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ブックマーク / kame710.hatenablog.com (145)

  • 2023.4.10 インフォームドコンセント - カメキチの目

    『死について-あらゆる年齢・職業の人たち63人が…』スタッズ・ターケル著 というを読んで、死についての感想を書いたけれど、また死についてのに 出あった。 『人生の終わりをしなやかに』  清水哲郎 浅見昇吾 アルフォンス・デーケン とてもよかった。 二つのことだけ書きます。 (きょうは、よくいわれる「インフォームドコンセント」に関したこと。 次回は、「希望」ということについて) ーーーーーーーーーー 「インフォームドコンセント」とは、ウィキペディアによれば 「「医師と患者との十分な情報を得た上での合意」を意味する概念。 医師が説明をし、同意を得ること。 特に、医療行為や治験などの対象者が、治療や臨床試験・治験の内容についてよく説明を受け 十分理解した上で対象者が自らの自由意志に基づいて医療従事者と方針において合意すること」 若かったころはこういう言葉は聞いたことがなかった。 自分が知らな

    2023.4.10 インフォームドコンセント - カメキチの目
    kaiyumaru
    kaiyumaru 2023/04/13
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  • 2023.4.7 死について - カメキチの目

    『死について-あらゆる年齢・職業の人たち63人が堰を切ったように語った』 スタッズ・ターケル 著というを読んだ。 死がせまった歳になったからではなく、若いころは(誰でもそうかもしれないが) 個人の「生と死」、それが営まれる社会というものが気になった。 (私は16,7の頃、死を怖がるというよりも、それが何なのかがわからないことが不安で、 自分だけの「信仰」《寄りすがれる存在、神仏のようなものに祈る》を持ったことがあった) でも題名に「死」とあれば、飛びつきたくなる。 「死」は、頭や心の問題である前に、頭や心をふくむ身体ぜんたいの問題、 事柄だといえそうな気がする。 死についてのを読むとき、「死」がその場で(頭や心をふくめ)身体全体に 迫ってくる。身体全体で感じられてくるのだ。 また、内容が同じ、似たでも、読む側にとってはその時その場は二度とは 訪れない(同じをくり返して読むことはあ

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    kaiyumaru
    kaiyumaru 2023/04/09
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  • 2023.1.27 「あんたかてアホや、うちかてアホや」 - カメキチの目

    『日精神史-自然宗教の逆襲』  阿満利麿・著 という、「宗教」とか「精神」への関心とヒマがないと読まないようなを読んだ 読んでほんとうによかった。 とてもおもしろかった。 帯に「日人とははたして何者か?」とあったが、 よくある日人論の切り口とは違って新鮮だった。 私たち日人は、自然の物事には神(霊魂)がやどり、その神を感じるという アニミズム信仰に古代からなれ親しんできたが、「科学技術」万能の現代でも 心にはしっかり息づいている。 (頭では「非科学的」「迷信」とはわかっていても、たとえば《やむをえない理由があっても》 べものを捨てたり、《「土の肥やしになる」と自分に言いわけしても》用をたすべきところ 《便所》ではない場所でそれをするとバチが当たりそうな気がする《やむなくしたときは心のすみで 「神さま、すみませんでした」と謝った》) ーーーーー 住んでいるところは関西でも大阪では

    2023.1.27 「あんたかてアホや、うちかてアホや」 - カメキチの目
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    kaiyumaru 2023/01/27
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  • 2023.1.24 軍事費大増大→戦争の危険 「杞憂」だろうか? - カメキチの目

    「クリスマス停戦」の記事に養老孟司さんの言葉を載せました。 「ヒトには悪い癖がある。 それは可能なことならやろうとする、という習性である。…動機はさまざま… 行為には、行われてしまえばそれまで、という面がある。 ヒト社会は、どれだけ長期にわたって、殺人を禁止してきたか」 ーーーーー 昨年の12月。ある日のヤフーニュースにはこういうのがありました。 一つ目 「政府は2023年からの5年間の防衛費を、これまでの約1.5倍となる総額43兆円に増額… 追加財源が必要となる2027年度以降は、年間約4兆円分のうち1兆円余りを増税で確保する… 防衛費増額の議論が進む背景には、ロシアによるウクライナへの軍事侵攻、北朝鮮のミサイル開発… 中国が軍備の拡張と海洋進出を続けていること… 国際情勢が緊迫化する中、岸田首相は防衛費の増額を巡り、増税を検討する考え… 政府は2023年度からの5年間で、防衛費を増額す

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    kaiyumaru 2023/01/24
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  • 2023.1.20 生活を支えるトラック - カメキチの目

    子どものころ、近くには一軒の料品が主のごく小さな雑貨店しかなかった。 衣類や文房具などがいるときは、7㎞ほど離れた田舎町の中心部に出かけなければ ならなかった。 (当時はこれがふつうで、こういう状態しか知らなかったので、「不便」と感じたことはなかった) ーーーーー 動物は、たえずべ物、獲物をさがし、狙っている。 (「生きる」ことは「べる」ことなのだ) 「」は人間にも、過去とか現代、未来をこえて絶対的。 豊富でなくても「べる」ことは欠かせない。 (料品を中心にさまざまな生活必需品がいつでもおかれているスーパーやコンビニなどは 安心して生きてゆくためになくてはならない。 いまは必要なものがそこで見つからなければネットで探し、注文し、宅配してもらうという 新たな求めかた、買いかたが出現し、そのサービス、恩恵に多くの人があずかっている) ーーーーー いまの日ではたいていのところが、少

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    kaiyumaru 2023/01/23
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  • 2023.1.13 「インフォスフィア」 - カメキチの目

    「インフォスフィア」 初めて聞いた言葉だ。 何のことかチンプンカンプン…。 にはこうあった。 「この時代において人間が住まう共時的環境が情報圏(インフォスフィア)である。 先に、ICTが高い自律性を獲得し、人間のほうがそれに依存するようになると述べた。 そこでは我々はICTを通して世界を見るだけでなく、ICTに適合した観点で見るようにうながされる」 (ちなみに「ICT」とは、「通信技術を活用したコミュニケーション」。 また「インフォスフィア」とは「情報空間」のこと。 (英: infosphere、インフォスフィア)とは、information(情報)と sphere(球・空間)の混成語であり、 人間が扱う「情報」によって形成される、「物理的空間」とは別の独自の秩序を、比喩的に表現した言葉」 要するに、 いま自分たちが生きている世界、現実の環境はあらゆる情報で成りたっており、 「ICT」、

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    kaiyumaru 2023/01/13
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  • 2023.1.6 「合理」と「本性」 - カメキチの目

    (『人間の解剖はサルの解剖のための鍵である』というの感想で、 「次回からふかく感じいった三つのこと…」と書いて休んでいました。 再開したので続きを書きます。 ①「合理」と「性」②「デフォルト設定」③「インフォスフィア」の三つ。 きょうは①) ーーーーーーーーーー 「合理」 「合理的」とか「合理性」とかよくいう。 それは経済と相性がいいと、には述べられていた。 経済学での「人間」は、「合理的」に考え行動するものとされている。 つまり、人間は「合理的」存在ということが前提に経済学は成りたっている。 (人間だけが「合理的」というだけでなく、資主義の市場には見えないところで「合理」という 「神の見えざる手」が働き、需要と供給の関係により「合理的」に商品の値段は決まるとされる) ところで、 経済学は、昔は「近代経済学」と「マルクス経済学」しか聞かなかったが、 現代は「行動経済学」というものが

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    kaiyumaru 2023/01/07
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  • 2023.1.3 明けおめ - カメキチの目

    明けましておめでとうございます。 ことしもよろしくお願いします。 しばらく休んだのは、引っこしという突然の出来事と、それに関したあれやこれの ためだった。 (こんどのことでは、障害者になったときと同様、人生には思わぬことが起きるものだとあらためて 感じています。 新年いちばんはこのことをネタにしました) 老いて引っこしすることになろうとは夢にも思わなかった。 生活に気楽な自分でも、住みなれたところを離れることになるので、引っこしを 決めるまでには迷い考えることが、それなりにいろいろあった。 いまは、アパート(コーポ)に住んでいる。 (6戸だけの小さな2階建ての1階部分。階段に人があがる音、小さな子どもの跳ねる音がときどき するくらいで気に入った。 新婚または若夫婦むけの物件らしく、老人は「危ない」と思われているのか、65歳以上の老人 ということで、私たちは案内《には載っていなかったのに》の

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    kaiyumaru 2023/01/05
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  • 2022.11.15 体外受精 - カメキチの目

    『1999年に生まれて』(シャルロッテ・ケルナー著)という小説)を読んだ。 衝撃的な中身だった。 この作品の舞台は1999年のドイツ2022年の現在からは23年前の過去だが、バイオ技術の応用が大きく進んでいた。 (「バイオ」は生命のこと。人間のことならきわめて個人的で、プライバシーにかかわるので 世には大ぴっらにされにくい。 生命倫理に抵触しそうなことなので、世間にかくれるよう密かに実験されているのでは?と疑う。 こののなかだけでも、関連した生殖技術として他に「代理出産」「代理母」も出てきた) 小説は、思春期をむかえた主人公(カール)は自分が「体外受精」技術で生まれた ことは養父母(隠す必要もないと考えている)から聞きしっており、自分の出生を調べ ルーツを探し、そしてアイデンティティをもとめる物語。 ーーーーー 「体外受精」。 言葉は知っていても、私は日での実態がどうなのかは知

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    kaiyumaru 2022/11/17
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  • 2022.11.11 つながる(社会) - カメキチの目

    ④つながる(社会) 「つながり」「縁」のいちばん直接的で身近なものは、いうまでもなく「血縁」。 次に身近なものは「地縁」。 (ではさいごに「社縁」、つまり勤め先など血縁でも地縁でもないものもありました) ーーーーーーーーーー はじめは血縁にもとづく「イエ」、「家族」。 【引用】「〈家族-自然と文化をつなぐもの〉 家では人は自由に、恥ずかしげもなく振る舞う。 →ヒトの「生き物」としての側面を「家族」に留め置くことで、それを「社会」の側に持ち込ませず 「社会」が「社会」であることを可能にする。 ヒトの「自然」を安全に囲い込むことによって「社会」を可能にするシェルターないし安全弁、 それが「家族」という社会組織の根源的な役割」 家では、たいていのことは安心して行える。「恥ずかしげもなく振る舞」える。 「家」は自分のいちばん身近なアイデンティティみたいなもので、ふだん、 意識することはない。 そ

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    kaiyumaru
    kaiyumaru 2022/11/14
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  • 2022.11.1 着る(衣) - カメキチの目

    『民俗学入門』(菊池暁・著)というを読んだ。 民俗学はいろいろ定義されようけれど、要は庶民の生活、文化を見つめる学問。 私には有名な柳田国男の『遠野物語』よりか、6年前に読み、それを記事にした 六車由実さんという女性の『介護民俗学』のほうが身近で数段よかった。 (これは、もと民俗学者の著者が、まったく畑ちがいの老人介護という施設職員となり、 民俗学の基的な手法、相手からの「聞きとり調査」というものを用いて入所のお年寄りに働きかけ、 それまでボゥーとしてばかり、生気のなかった方々が昔、若かった、活動的だったころの自分を 思いだされることによって変化してゆく取りくみ、実践を著したもの) 今度のこれは民俗学のひとつの入門書で、「学問」と聞けばかたいイメージがする けれど、人間の生活の基だけ、しかも現代の私たちが興味を誘われるような話に しぼられており、とてもおもしろかった。 いちばん強く感

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    kaiyumaru
    kaiyumaru 2022/11/02
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  • 2022.10.14 「善悪を決めつけてはならない」 - カメキチの目

    前回、『冴えてる言葉(2-2)』のはじめに、 「いまの日のように平和で安全、おおかた衣住に困らない状況にあるなら 「幸福と不幸」は私たちが思うほど大きなひらきがあるわけじゃないけれど…」 と書いたけれど、そうでなかったら(衣住に困るほど貧困だったら)どうだろう? 「『幸福と不幸』は私たちが思うほど大きなひらきがあるわけじゃない」とは 決していえない気がする。 (ユニセフの募金をよびかけるアフリカなどの実態) ーーーーー 「発展途上国」といわれている国々の現実。 日人には想像をぜっする「貧困」があふれる世界がある。 そんな世界の姿は、通りいっぺんの情報だけではわからない。 感じられない。 そのことをの子どもたちと長いあいだ触れあう石井光太さんの、二冊を読んで 痛感した。 『それでも生きる-国際協力リアル教室』 『当の貧困の話をしよう』 という。 「貧困」というと、ふつうは経済的な

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    kaiyumaru
    kaiyumaru 2022/10/14
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  • 2022.10.11 冴えてる一言 (2-2) - カメキチの目

    きょうは④から終わりの⑥まで。 ④「人間の幸福と不幸…それは人間が思うほど大きなひらきがあるわけじゃない… それは今の日が安全で恵まれた状況にあるからだ。 戦争とか、飢饉とか、疫病とかで、大量の死が発生すると、印象も変わる。 そんなことはないと言い張る人もいるだろうが、 人間はどんなことにも慣れるものだ」 平和な日常。 心配や不安のない(なかった)一日のありがたさ。 その「ありがたい」ことに気づくと幸せになる。 幸せは、「タイクツだ」「ヒマだ」…と思うときにも潜み、隠れているのだ。 (「タイクツだ」「ヒマだ」…と思えることも幸せになる) ただ、掘りおこしてやらなければ見つからない。 (幸も不幸も、平和なときは「人間が思うほど大きなひらきがあるわけじゃない」。 しかし、「戦争とか、飢饉とか、疫病とかで、大量の死が発生すると、印象も変わる」。 ほんとうにそうだと思う。 しかし、「戦争とか、飢

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    kaiyumaru 2022/10/11
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  • 2022.10.4 「偶然」「偶有性」 - カメキチの目

    「偶然」ということによく触れるけれど、 頭のなかにと棲みついている感じがある。 で、「偶然」についてちょっと真面目に考えてみた。 ーーーーーーーーーー 極言すれば、ある意味、生きていること、世界、すべてが「偶然」という気がする 人間で生まれたこと、生まれたのがある親のもと、ある時代、ある国、ある地域、 というような大きな、まったく受け身の「偶然」から、 自分の人生は自分のものだから自分で切りひらくという小さいけれど唯我独尊的な 少しは主体的な関与がみられる「偶然」まで。 ーーーーー 自分をふくめ、世界は「偶然」というしかたでしか存在しえない。 あれこれいろいろ、多様多彩な可能性のなかから、たまたま存在している この「偶然」が自分にとっての現実、リアルというもの。 そういう意味で、言葉として「偶然」とはいっても、じつは「必然」。 ーーーーー 「偶然」ということは来(科学的には)存在しない。

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    kaiyumaru
    kaiyumaru 2022/10/06
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  • 2022.9.30 「病気を分け持つ」 - カメキチの目

    とても強く感じたことの三つ目は、 「病気を分け持つ」ということだった。 この話は「病と癒し」という大きな項目のなかにある。 重い病気やわけのわからない病にかかると、誰しもたまらなく不安になる。 癒しがほしい。 癒しとなるものは人それぞれでも、「病気を分け持つ」ということも、 病気からの痛みを減らし取りのぞくこととともに、 誰にとってもの癒しとなるにちがいない。 ーーーーーーーーーー では「病気を分け持つ」の前に、「病気は代替不可能」と述べられていた。 【引用】 「病気は、…(病人自身のものにもかかわらず)他の人々をも脅かす。 人間にとって病気が持っているこのような矛盾した属性を極力無視するのが、 現代医療の基礎となっているバイオメディスン(生体医学)の特徴である。 … (病人と健康人の)相互作用の関係を、バイオメディスンは原理的に切り捨ててきた。 しかし、医療実践においてはこの相互作用こ

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    kaiyumaru 2022/09/30
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  • 2022.9.27 いのち (2-2) - カメキチの目

    前回(2-1)は、 すべての生きものたちに対する人間の責務を実行するには人間の数、人口が 多すぎてはいけない(少なすぎてもダメ。ほどほどがよい。ほかの生物たちとのバランスが だいじ)ので、デザナの人々は自分たちの世界観にもとづき、産児制限している と述べた。 ーーーーー 下線のような理念・目的があってのこと。 日はちがう。 じつは、デザナの人々の「産児制限」の話は、(日の人工中絶における「いのち」の あり方を考えた)「胎児の生命-水子供養と「いのち」の個別化ー」という項目の なかで述べられていた。 ↓ 【引用】「幼くして死んだ子のいのちは、次に生まれたきた子のいのちとは別個のものであり、 中絶した胎児のいのちは、後で生まれた子の命とは無縁だと考えられている。 水子供養の背景には、このような「いのちの個別化傾向」がありはしないだろうか。… 〈人工中絶と間引き〉 日では人工中絶についての

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    kaiyumaru 2022/09/28
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  • 2022.9.23 いのち (2-1)  - カメキチの目

    ひと口に「いのちはいちばんたいせつ」と言っても、たいせつにするし方は、 人々がどこで暮らし、いつの時代に生きているか、つまり文化により 形はさまざまであることを、このはつよく教えてくれた。 ーーーーー いのちを失う、無にするものとして、ありふれた身近なものは病気やケガ。 いまの日では、これまでなら死ぬしかなかったものも助かるようになった。 ありがたい。 (日の「世界に自慢できるものは?」と訊かれたら、私は迷わず「国民皆保険制度」と答える。 《原則ではあるけれど》いのちは平等に扱われ、お金によって差別されない) 医学・医療面での科学・技術の進歩、発達は、直接いのちにかかわることなので ありがたく、私たちを幸せにしてくれる。 そうなのだけど、 人生という根、より大きな次元、文脈のなか(「文化」といっていい)において 考えてみると、幸せのほうはおぼつかなくなる。 (「幸福度」というものさ

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    kaiyumaru 2022/09/23
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  • 2022.9・20 生むのは女性 - カメキチの目

    戦後の、いちおう民主主義社会といわれている世のなかで育ったので、男女平等、 差別はいけないと教わった。 教わっていても、これは「差別じゃない、区別」と言いわけしたくなるような、 差別くさいしぐさが(ほんのたまではあっても)出て、ドキッとすることがいまだある 東京オリンピックの森喜朗発言のように表にでたかどうかの違いだけで、 行為にまで進まないだけで、意識だけなら私にもある。 恥ずかしい。 机のうえだけ、ちょっとだけ、頭だけ「男女平等」「民主主義」を教わり、 それだけで「人間みな平等、民主主義はたいせつ」となるわけではない。 正直、ここまで長く生き、いまの日(だけではないけれど)を見ていると 「差別のない社会」「人間みな平等」「民主主義」は真理なのかと疑われてくる。 国民の格差はますますひろがり、半分以上の国民の意見を押しきって国葬を 強行しようとする政治のどこに民主主義が感じられようか。

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    kaiyumaru 2022/09/22
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  • 2022.9.16 「信じる」 「疑う」 - カメキチの目

    前回の記事ともに、『貝と羊の中国人』を読みおえてもう一つ強く感じたことに 「信じる」「疑う」がある。 政治を信じるというのと、何かの誘い(たとえば「統一教会」、「オレオレ」)にのる というのは同列には扱えないけれど、「信じる」点では同じことで、結果として ダマされた、詐欺だったということに終わることがある。 「信じる」ことは恐ろしい。 信じたことが裏切られる、ダマされるということがある。 そういうことまで考えて、なおかつ覚悟をもてるなら、信じていいのだと思った。 ーーーーー そうではあっても、 人は「信じる」ことで安心し、生きる。 突きつめれば、信じなければ毎日の生活だって成りたたない。 (そういう意味では、よくいわれるように人は「幻想」を生きているのだと思われる) 私は霊感のような「他力」で幸福になろうと思わないが、「自力」で幸せになる 自信もないので、マイ仏壇にムニャムニャつぶやくなど

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    kaiyumaru 2022/09/18
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  • 2022.9.13 「タテマエ」と「ホンネ」 - カメキチの目

    「タテマエ」と「ホンネ」ということを、 愛読している爽風上々さんのブログ、『貝と羊の中国人』(加藤徹)というの 紹介記事から強く感じた。 書名の「貝と羊」がとてもおもしろく感じられて読んだ。 sohujojo.hatenablog.com (上の爽風上々さんのブログが全体について詳しくわかりやすいのでクリックしてください) 中国の人については前にも、別なを読んでの感想文を書いたことがあった。 (2021.2.26から3回連続記事「爆買い中国人」。「中国人はなぜ声が大きいのか?」など生活慣習、 社交、風俗など外から目に見えて感じられやすいものを「Q&A」形式で著したもの) ーーーーー は、そういう外面的なものが形づくられた理由・背景を、広大な中国歴史文化から解きあかしたもの。 漢字、儒教、仏教、道教など古くから日文化に大きな影響をあたえている なじみ深いものもよく出て、叙述

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    kaiyumaru 2022/09/14
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