ブックマーク / fujipon.hatenablog.com (10)

  • 「松屋のステーキ丼」に対する、ネットメディアの「レビュー」への疑問 - いつか電池がきれるまで

    松屋が好きだ。 正直、牛丼は吉野家のほうが美味しいと思うけれど、券で注文ができて、いろんな定がある松屋を僕はけっこう愛用してます。 2週間に一度くらいのペースで、新しい定系のメニューが出るので、一度はべてみようかな、という気分にさせられるのです。 最近ではジョージア料理のシュクメルリとかエビチリ(こちらは今も販売中)なんてのも話題になりました。 そんな松屋の最近の新メニューといえば、「ステーキ丼」。 ascii.jp 系列のステーキ専門店『ステーキ屋松』の大ヒットメニューで、ステーキ屋松の和風ソースと松屋オリジナルの洋風ソースがあるそうです。 普通盛りは、みそ汁付きで750円。「デカ盛り」は1150円。 この値段で、ステーキ丼が気軽にべられるなんて!と早速近所の『松屋』に出かけて、和風ソースの普通盛りを注文したのです。 しばらくの待ち時間のあと、出てきたのは、「うーむ、肉を焼いた

    kamayan1980
    kamayan1980 2020/11/01
    知らない誰かが書いたものというのは、基本的には『噂』と大差ない信憑性だと思ってる。そういう意味でいうと五感で楽しむ商品のレビューは大して意味がない。
  • 「と学会」と「note」とクリエイターの「老害化」について - いつか電池がきれるまで

    kakuyomu.jp anond.hatelabo.jp 僕は「と学会」のを読んで、『ノストラダムスの大予言』というのは、どうも当たらないというか、けっこういいかげんなものらしい、ということに自信を持てるようになったのです。『水からの伝言』(水に『ありがとう』などの『良い言葉』を見せるときれいな結晶ができて、『ばかやろう』などの『悪い言葉』を見せると、きたない結晶ができる、というやつですね)へのツッコミも記憶に残っています。 「いい話」「教育上役立つ(と多くの大人が思い込んでいる)話」は、「噓でも良いじゃないか」というような欺瞞に対して、敢然と立ち向かっていった『と学会』の活動は、当時の僕にとっては、とても刺激的なものでした。 その後の『江戸しぐさ』論争などをみると、結局、人は同じようなことを繰り返すものなのだな、と考え込まずにはいられないのですけど。 fujipon.hatenadi

    「と学会」と「note」とクリエイターの「老害化」について - いつか電池がきれるまで
    kamayan1980
    kamayan1980 2020/08/18
    スポットライトに当たるかどうかは宝くじみたいなもんなんだけど。その宝くじも高額当選者たちは「行いが良かったから」「お参りに何度も行ったから」などの理由を信じてるのよね。
  • 「人の気持ちがわかる」と自信を持って言い切る人は、こわい。 - いつか電池がきれるまで

    ブログなんてものを書かずにはいられない僕という人間は、北条かやさんと、五十歩百歩だよなあ、なんてことを考えてしまう。 しかも、彼女の場合は収入につながっているのだが、僕の場合は、ほとんどお金にもならない。 ある意味、よりいっそう病んでいる、ともいえる。 そういえば、一昔前(十数年前くらい)のインターネットには「閉鎖芸」みたいなものが蔓延していた。 ちょっとイヤなことがあると「閉鎖します」と宣言して、閉鎖・移転を繰り返すサイトが少なからずあったし、それに対して、取り巻きたちが「閉鎖なんて悲しいです!」とコメント欄に書き込む。 そのコール&レスポンスには、様式美のようなものがあった。 4月1日のネタとして、「閉鎖します」をやる人がいなくなってから、もう何年経つのだろうか。 サイトやブログにとっての「閉鎖」というのはプチ自殺みたいなもので、自分の葬式に参列できないことの代用なのかもしれない。 し

    「人の気持ちがわかる」と自信を持って言い切る人は、こわい。 - いつか電池がきれるまで
    kamayan1980
    kamayan1980 2016/04/20
    恋愛経験豊富な人は、浮かれたり失敗したり、泣いたり泣かされたり、悔しかったり罪悪感を抱えることを「勉強した」と思ってるんじゃないかなあ。なので、自分は「褒めた方がいい?」と尋ねるようにしてます。
  • 「PVなんてどうでもいいよ」戦略 - いつか電池がきれるまで

    『メディアのリアル』(吉田正樹著・プレジデント社)という、吉田正樹さん(『笑う犬の生活』シリーズ、『夢であえたら』など、数々の伝説的番組を生みだした元フジテレビプロデューサー(現ワタナベエンターテインメント会長))とメディア界の著名人たちとの対談のなかで、サイバーエージェントの藤田晋さんが、こう仰っていました。 それにしてもインターネットというのは、人々の欲望に忠実なメディアだとつくづく思います。人気が出るのは著名人ブログや儲け話、それからエロティックな分野であって、いくら真面目で堅いコンテンツを提供しても、なかなか人が集らない。それがインターネットの現実なのです。 サイバーエージェントでは、コンテンツの評価を基的にPV(ページビュー:Webのアクセス数の単位の一つで、閲覧者のWebブラウザに表示されたWebページの数(『IT用語辞典』より)で行っているそうです。 とにかく、たくさん見

    「PVなんてどうでもいいよ」戦略 - いつか電池がきれるまで
    kamayan1980
    kamayan1980 2015/05/30
    ネット『だけ』で儲けようとするからPV至上主義になっちゃうのであって。例えば「常連しか見に来ないけど、満足度は非常に高いお店ブログ」とかも成功例ではあるんですよね。
  • 『3年B組金八先生 伝説の教壇に立て!』を意固地になって語ってみるよ。 - いつか電池がきれるまで

    arrow1953.hatenablog.com 率直に言うと、これを読んだ時点では、「遊んだこともないのにこんなふうに書くなんて、なんか感じ悪いなあ、この『3年B組金八先生 伝説の教壇に立て!』って、僕にとっては、すごく面白いゲームだったのに……くらいだったんですよ。 でも、こういう形ででも、評価の割には売れなかった(とされている)このゲームが、いま、話題になっているのは、ちょっと嬉しくもあったのです。 ブックマークコメントをみても「自分は買ったけど、面白かった」という声がたくさんあって、ああ、仲間がこんなにいたんだなあ、と。 ただ、僕自身の考えとしては、「このゲームを自分は遊んでいない」と公言して、こういう文章を書いているのは、「不用意だし不躾だが、悪質な人ではないのだろうな」というのがありました。 ゲームレビューのなかには、明らかに自分で遊んだこともないゲームを、他所のサイトなどから

    『3年B組金八先生 伝説の教壇に立て!』を意固地になって語ってみるよ。 - いつか電池がきれるまで
    kamayan1980
    kamayan1980 2015/04/24
    題材が金八じゃなかったら「チュンの新作」で売れたと思うんだけど、「金八?キャラゲーか」と流した人は自分含め、意外と多いと思ってる。発売当初に遊びたかったー!(自分がプレイしたのはものすごく後)
  • もしも、僕の人生でビアンカかフローラのどちらかを選ばなくてはならないのだとすれば。 - いつか電池がきれるまで

    昔読んだこんな話を、読み返す機会があって。 『ユリイカ 詩と批評』(青土社)2009年4月号の「総特集・RPGの冒険」より。 (特集のなかの「鼎談・われらの道(RPG)はどこにある」の一部です。鼎談の参加者はブルボン小林さん、飯田和敏さん、米光一成さん) 米光一成:物語とかを提示してみせるのではなく場としての世界を提出すること、つまり、今のゲームが何でもできるようなある種の「世界」を作るっていう方向に行っているのは、やっぱりゲームならではの語り口なのかもね。 ブルボン小林:それで思い出したけど、知り合いのデザイナー……というか、『ユリイカ』の表紙を装丁している名久井さんだけど、彼女が『タクティクスオウガ』を最近また買って遊んでるらしいんだけど、あれってシナリオが「ロウ(law)」「カオス(chaos)」「ニュートラル(neutral)」って大きく三つに分岐していくんだって。名久井さんは以前

    もしも、僕の人生でビアンカかフローラのどちらかを選ばなくてはならないのだとすれば。 - いつか電池がきれるまで
    kamayan1980
    kamayan1980 2015/02/21
    真メガとかもそうだけど、けっこう冗談でなく、あの時代のゲームに道徳を叩きこまれた人って多そうよね。自分も含めて。
  • 僕にとっての「書店では買いにくい本」 - いつか電池がきれるまで

    参考リンク(1):「文庫女子」フェアが色々ひどすぎた(田舎で底辺暮らし) 「文庫女子」フェアが色々ひどすぎた - 田舎で底辺暮らし かなり話題になったこのエントリなのですが、ブックマークコメントのなかに、「ラインナップ自体は純粋におもしろそうな。たしかにレジに持って行きにくいPOPではあるな…」というのがあったのです。その他にも「こんなフェアをやっていると、これに影響されたと思われるのが恥ずかしくて、紹介されているに興味があっても、手に取ったり、レジに持っていく気分になれない」という反応も散見されました。 こういうのを読んでいて、「ああ、書店のPOPなどで強く推されていると、かえって飛びつきにくくなる」っていうの、僕にもあるなあ、と。 「書店員さんがPOPで発信するオススメの」って、大型書店では、よく見られますよね。 で、POPを見てみると、たしかに、ちょっと面白そうだな……と。 僕の

    僕にとっての「書店では買いにくい本」 - いつか電池がきれるまで
    kamayan1980
    kamayan1980 2015/01/25
    「他人に嫌われたくない」という気持ちは誰の心にもあるものだけど、悟られたくはないものね。
  • ディズニーランドと「待てない男」 - いつか電池がきれるまで

    参考リンク:東京ディズニーランドにデートに行ったけど、キレて解散した話。(はてな匿名ダイアリー) 東京ディズニーランドにデートに行ったけど、キレて解散した話。 正直、書いた人と相手の男性については「相性悪かったねえ」としか言いようがないのですが、いくつか考えさせられるとことがあったので。 まずはこの話。 東京ディズニーランドにいこうとデートに誘われた。 相手はランドまで徒歩15分の所に住んでいたので、事前のパスポートの購入をお願いした。 ついでに事前にレストランの予約をお願いした。 それから1ヶ月、特に連絡がないまま当日を迎えた。 彼はパスポートを購入していなかったので行列に並んだ。 もちろんレストランの予約もなかった。 直接これなくても家で5分ネットに繋げばどちらもクリアできるのに、わざわざ並ぶのが好きなのかな?と思った。 書いた人の「なんで予約していなかったの?あらかじめ言っておいたの

    ディズニーランドと「待てない男」 - いつか電池がきれるまで
    kamayan1980
    kamayan1980 2014/12/20
    「え、こんなのにあなたは並ぶの?」という冷め方ってあるし、件の男性もソレではないかと思った。
  • 「ゲームセンターは不良のたまり場」だった頃 - いつか電池がきれるまで

    明治時代、読書といえば四書五経のようなマジメな漢籍を読むことであり、絵空事を書いた「小説」は読書のうちに入らないとされていた。で、「小説のような悪書を読むのは不健全である」と新聞で論じられたりもした。ひとえに小説が新しいメディアで当時の大人達が慣れてなかったのである— こなたま(CV:渡辺久美子) (@MyoyoShinnyo) 2014, 11月 26 1950年代に漫画が悪書扱いされ、日各地で焚書まがいの弾圧が行われていたのは有名だが、そのころ漫画を取り上げられて泣いていた子供たちが成長し老人になった今、誰も手塚治虫の漫画を悪書と呼ぶものはいない。— こなたま(CV:渡辺久美子) (@MyoyoShinnyo) 2014, 11月 26 このツイートを読んで、以前、ネットで書いたことへの、意外な反響に驚いたのを思いだしました。 僕が子どもの頃、いまから30年くらい前だから、1980年

    「ゲームセンターは不良のたまり場」だった頃 - いつか電池がきれるまで
    kamayan1980
    kamayan1980 2014/11/30
    自分のとこだとPTAによる営業反対運動まで起きて、70年代後期に町に唯一あったゲームセンターが消えた。その後、ゲームコーナーは「不良が来ないように」と(親が立ち寄る)スーパーのすぐ隣に併設されたりした。
  • それを「シンポジウム」と呼んではいけない。 - いつか電池がきれるまで

    ※このエントリには、自殺についての話題と、自殺について書かれたエントリへのリンクがありますので、精神的に不安定な状態を自覚されている方は、読まないでください。 長くなりそうなので、なるべく短く、まとめて書きます。 きっかけは、このエントリでした。 参考リンク(1):自殺という選択肢はアリ?ナシ?〜週末シンポジウム第3回〜(心がよろけそうなときに読むポンコツ日記) それに対して、さまざまな反応が寄せられたのですが、そのなかでも多くの人に読まれた(であろう)ものがこちら。 参考リンク(2):「自殺」に関して〈個人〉と〈社会〉の両側面から考えたい(ぐるりみち) そして、この「参考リンク(2)」に対して、こんなエントリが書かれていました。 参考リンク(3):自殺する人は弱い(grshbの日記) 「弱い」という断定調のタイトルの影響もあってか、このエントリはだいぶ話題になったのですが、コメント欄や、

    それを「シンポジウム」と呼んではいけない。 - いつか電池がきれるまで
    kamayan1980
    kamayan1980 2014/05/16
    西原理恵子さんの名前を出す必要があったのかな。引き合いに出されても喜ばないだろうし、ましてや他人への批判に使うなんて、彼女のファンの一人としても不愉快です。
  • 1