「あの日」、たくさんのゴムボートが命を救った。西日本を襲った豪雨により大規模に冠水し、48人が犠牲となった岡山県倉敷市真備(まび)町。その中で、自衛隊員でも消防隊員でもない男性が、ひとりでも多く助けようと、力尽きるまでこぎ続けていた。 「生きとったんじゃな」 倉敷市真備町箭田(やた)の会社員、野村浩史さん(31)は病院で目覚めた瞬間、こう思ったという。体力が回復した10日午後、退院した。 野村さんは豪雨が降り続いていた6日夜、自宅に父真示さん(58)、母裕美子さん(57)といっしょにいた。同午後10時ごろ、真備町地区に避難勧告が発令されたことから、「車がやられたらどうにもならん」と先に高台の公園に避難。車内でサッカー・ワールドカップの中継を見ていた。 状況が急変したのは7日午前1時ごろ、まだ自宅にいた裕美子さんから、「(水が家の車の)ボンネットまできた、もうダメじゃ」。2時間後には「肩まで