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ブックマーク / vergil.hateblo.jp (9)

  • 『はだしのゲン』が原爆を落としたアメリカの責任を追求していないという驚くべき主張 - 読む・考える・書く

    広島市の教育委員会が平和学習教材から『はだしのゲン』を削除してしまった事件に関して、右派「論客」の池田信夫がこんなことを書いている。 おもしろいのは、これだけ原爆の悲惨さを描いているのに、それを落とした国の責任をまったく問わないこと。目的は平和を訴えることじゃなく、アメリカの国際法違反をごまかすことだったんじゃないの。 https://t.co/gwWx8bghD9 — 池田信夫 (@ikedanob) February 17, 2023 いくらなんでもこれはひどい。 原爆の悲惨さを描いた作品なら他にもいくらもあるが、その原爆を落としたアメリカの責任を『はだしのゲン』以上に厳しく追求した作品などないのではないか。 例えば、ゲンの母親が原爆症と栄養失調で衰弱した末に亡くなったあと、ゲンはその死体を背負ってマッカーサーに会いに行こうとする。アメリカが落とした原爆がどれほど罪深いものかを教え、母

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    kamm 2023/03/06
  • ネトウヨはなぜ大坂なおみを忌み嫌うのか - 読む・考える・書く

    その理由をあまりにも明快に指摘しているツイートがあったのでメモ。 ネトウヨが大坂なおみさんを蛇蝎のごとく嫌うの、大坂さんが「日人という属性がなくても全く揺るがない存在」だからでもあるのだろうな 「日人の誇り」みたいなものを振りかざすこともなければ、「日人として」という枠にもとらわれない 「日人であることだけが拠り所」のネトウヨとは対極的 — つりがねむし (@Tsurigane_mushi) June 2, 2021 ネトウヨがことあるごとに大坂さんに「日人だと認めたくない」「日人らしくない」と言いたがるの、大坂さんが明確に自立した個人としての「大坂なおみ」という存在を確立していて、わざわざ日人という民族/国籍にアイデンティティを求める気がないのが伝わってくるのが憎くて仕方ないんだろうな — つりがねむし (@Tsurigane_mushi) June 2, 2021 まして

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    kamm 2021/06/04
    日刊ゲンダイはネトウヨ
  • 『日本のいちばん長い日』-- 名作と言われるこの映画も、改めて見直してみたら愚かな茶番劇でしかなかった。 - 読む・考える・書く

    半藤一利の原作をほぼ忠実に映画化した、岡喜八監督の映画『日のいちばん長い日』(1967年)。日の降伏に至る最後の数日間、とりわけ8月15日の「玉音放送」までの24時間を、息詰まるような緊張感で描いた名作と評価されている。 以前見たときは確かに私もそう感じたのだが、最近改めて見直してみたところ、もう、この映画はただの茶番劇にしか見えなくなっていた。 脚や演出が悪いのではない。役者の演技が大根というわけでもない。実際、この映画では、錚々たる名優たちがそれぞれの役を熱演していた。 鈴木貫太郎首相 - 笠智衆 阿南惟幾陸相 - 三船敏郎 米内光政海相 - 山村聡 天皇裕仁 - 松幸四郎 下村宏情報局総裁 - 志村喬 井田正孝中佐 - 高橋悦史 畑中健二少佐 - 黒沢年男 徳川義寛侍従 - 小林桂樹 ダメだったのは、彼らが演じた人物たちそのものだ。 号泣する男たち この映画では、いい大人の

    『日本のいちばん長い日』-- 名作と言われるこの映画も、改めて見直してみたら愚かな茶番劇でしかなかった。 - 読む・考える・書く
    kamm
    kamm 2021/04/09
    まあその通りなんだろうけど、映画が作られたときは戦争体験者ばかりだったわけでどういう心境で視聴したのか聞いてみたいけれど、55年たってそれもかなわず。当時SNSがあったら面白かっただろうなあ
  • この国で特大ヒットするマンガ・アニメを楽しむには近現代史へのまともな認識などあってはならないのだ、ということがわかってきた。 - 読む・考える・書く

    『この世界の片隅に』に続いて、完全に「国民的マンガ・アニメ」の地位を確立したと言える『鬼滅の刃』。 しかしこの作品も、ナショナリズムを煽っているとまでは言えないまでも、その設定・構成にはかなり危ういものを感じさせる。 読んでみてまず最初に引っかかったのは、マンガ版のラストだ。 最終決戦で鬼舞辻無惨を倒し、鬼たちを滅ぼしたことによって、この世界はようやく「人を喰う鬼がいない世界になった」とされる。そして「ただひたすら平和な 何の変哲もない日常が いつまでもいつまでも続きますように」という願いが語られる。(第204話「鬼のいない世界」) 続く最終話である「幾星霜を煌めく命」では、時代は一気に現代に飛び、炭治郎や禰豆子、善逸や伊之助の子孫たちが平和で微笑ましい日常を送る姿が描かれる。 つまり、この物語の世界では、鬼殺隊の剣士たちが命がけで鬼と戦って手にした平和が、そのまま現代まで続いているのだ。

    この国で特大ヒットするマンガ・アニメを楽しむには近現代史へのまともな認識などあってはならないのだ、ということがわかってきた。 - 読む・考える・書く
    kamm
    kamm 2021/01/19
    あははは
  • 憲兵までゆるふわ化してしまった『この世界の片隅に』 - 読む・考える・書く

    『この世界の片隅に』で太極旗シーン以上に問題なのが、憲兵が出てくるエピソードだ。この話は以前にも一度取り上げているので内容が一部重複するが、改めて問題点を整理してみることにする。なお、このエピソードに関しては原作マンガとアニメ版に大きな違いはない。 『この世界の片隅に』で「憲兵」はどのように描かれたか このエピソードでは、呉の軍港に浮かぶ軍艦をスケッチしていたすずを間諜(スパイ)容疑者として捕まえた憲兵が、すずを連れて北條家に怒鳴り込んでくる。[1] 家族たちは玄関先で怒鳴り散らす憲兵の説教を神妙に聞いていたのだが、憲兵がいなくなると、次のシーンでは、よりによってすずなどをスパイ扱いした憲兵をバカにして爆笑する。[2] 現実にはあり得ない憲兵描写 しかし、こんなことは当時の現実としてはあり得ない。 まず、憲兵がスパイ容疑者を捕まえたら憲兵隊詰め所に連行して尋問するはずで、容疑者の自宅に引っ

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    kamm
    kamm 2020/08/23
    以前ネットで「切捨御免という制度で侍は気まぐれに町民を殺してた」みたいな発言を見かけてオエってなったけとまさに同じ感じ。新聞社に連絡して釈放されたサザエさんの作者もこの人にとっては認められないのかもね
  • 「天皇一家が安心して観られる」という点に『この世界の片隅に』の本質が表れている - 読む・考える・書く

    戦争アニメを見ても責任感のかけらも示さない天皇家の人々 天皇一家(徳仁ナルヒト、雅子、愛子)は18日、前作にシーンを追加してリニューアルしたアニメ『この世界の(さらにいくつもの)片隅に』を鑑賞した。 記事によると、試写会終了後、一家は片渕監督やすず役の俳優のんと懇談し、「圧倒されました」とか「感動しました」などと感想を述べたらしい。 www.asahi.com 「感動しました」。愛子さまは、さまざまな思いを込めたように、のんさんにそう伝えたという。 18日夜、長編アニメ「この世界の(さらにいくつもの)片隅に」(20日公開)のチャリティー試写会での出来事だ。愛子さまは天皇、皇后両陛下とともに出席。主人公の女性・すずの声を演じた俳優のんさん、監督の片渕須直さんと並んで映画を鑑賞した。(略) (略)作品は、戦時下の広島市や呉市を舞台に、主人公すずをはじめとする人々の営みを描き、いつの時代も変わら

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    kamm 2019/12/23
  • 京アニ支援への恣意的優遇は法の下の平等に反する - 読む・考える・書く

    先月の京都アニメーション放火大量殺傷事件に関連して、安倍政権は被害者らへの支援金を税制上特別に優遇する措置を検討しているという。 www.sankei.com アニメ制作会社「京都アニメーション」(社・京都府宇治市)の放火殺人事件をめぐり、政府が被害者らへの寄付金を「地方公共団体に対する寄付金」と位置付け、税額控除制度を活用して寄付者の税負担を軽減する方向で調整していることが21日、分かった。犯罪被害に関する寄付金を災害義援金と同じように扱うことは異例。特に企業が寄付しやすい環境をつくる狙いがあり、支出金の全額を決算時に損金として算入できる制度を活用する。 (略) 政府は、世界に誇るコンテンツ産業を担う京アニの事件が放火による不慮の出来事である上、京アニへの寄付は不特定多数の被害者を対象としていることから、災害義援金と同じ優遇制度を適用する方向だ。 寄付金の全額を損金算入できるようにする

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    kamm 2019/08/23
  • 小林よしのり徹底批判(7)噂を根拠に中国軍を悪魔化 - 読む・考える・書く

    中国との戦争を正当化する方法 『戦争論』では、アジア太平洋戦争を「アジアを植民地化していた」「差別主義欧米列強の白人ども」との戦争と位置づけることで旧日軍の免罪を図っている。しかし、この理屈には大きな欠点がある。中国との戦争が正当化できないのだ。欧米列強の植民地でも何でもない中国に日が攻め込み、東北部(いわゆる「満州」)を奪い、さらに支配地を広げようと侵略を続けていたのだから当たり前である。 ではどうするか? 小林(に限らないが)が採用したのは、徹底的に中国軍を悪魔化する、という手法だった。中国軍はこんなに卑怯でこんなに残虐だったのだから、それと戦った日軍は正しい、というわけだ。 ■ 『戦争論』が取り上げた典型的なエピソード 中国軍の卑劣さを示す典型的な事例として、『戦争論』ではこんなエピソードを取り上げている[1]。(注:この事例についてはSF作家の山弘氏が既に詳しい検証をさ

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    kamm 2018/10/14
  • 軍艦スケッチ事件から見る『この世界の片隅に』のリアリティへの疑問 - 読む・考える・書く

    遅ればせながら(私はいつも遅ればせなのだが)右から左までどこを向いても絶賛の嵐のアニメ映画『この世界の片隅に』を見た。 全体としての感想はだいたい以下に引用したツイートと同じ。一言で言えば「ロクなもんじゃない」ということ。 「この世界の片隅に」では戦時中の全体主義も今の日社会によくある世間以上のものではなく、戦争については庶民は抗いようもなく、みんなが苦しんでみんなが健気に助け合って生き抜いたんだと。現憲法の基的人権も女性の権利もない状態で、女性を含め庶民は今よりもむしろ穏和で微笑ましかったと。 — KaSuehiro (@KaSuehiro) 2016年12月11日 「この世界の片隅に」は当に警戒すべき作品になってしまった。あの手の人たちがこの作品を利用してほざく「戦時中でも笑いがあり、愛に満ちたささやかな日常があったという真実が描かれていた」だからなんなんだよクソッタレ — 鮎@

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    kamm 2017/11/05
    そりゃ悲惨な体験だから後世に伝わってるだけで、「憲兵に玄関で注意されました」なんてわざわざ残すようなネタじゃないでしょ。リアリティがないというなら当時の生き残りの人100人ぐらいに聞き取りでもしなさいよ。
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