1994年、Epic/Sony Records(現エピックレコードジャパン)の内部レーベルとして、「何でもいいからメジャーと違うことをやってみろ」という指令のもと設立されたdohb discs。スタジオが併設された事務所を下北沢に構え、当初スタッフは全員20代。アーティストと同じ目線に立ち、「自分たちのやりたいことを、自分たちの手で」というスタンスで活動を続けたこのレーベルは、ROVOやスーパーカーを輩出するなど、オーバーグラウンドとアンダーグラウンドの境界を超え、既成概念には捉われない自由な発想を次々と具現化させていった。 2000年に渋谷のON AIR EAST(現TSUTAYA O-EAST)で開催され、ROVOとスーパーカーが共演を果たしたイベント『soundohb 2000』をもって、レーベルとしての活動を終了したが、それから15年のときを経て、『soundohb 2015』の開
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昨日、TSUTAYAで号泣しました。 | 水野敬也オフィシャルブログ「ウケる日記」Powered by Ameba 昨日、TSUTAYAで号泣しました。 ただ、その理由を書いてしまうと一行で終わってしまい 感動の理由も全然伝わらないと思うので 涙までの経緯をお伝えしたいと思うのですが、 そもそものきっかけは、2002年に映画館でピクサーのアニメ「モンスターズインク」を見たことに遡ります。 僕は当時25歳で学生時代から所属していたプロダクションを辞め、無職の状態でした。 ただ、「本を出したい」と思っていたので、最低限の生活するためのアルバイトを週2日だけして、あとは一日中本を書いていました。 当時、僕は門前仲町で友人とルームシェアをしていたのですが(友人に無理を言って家賃もかなりの部分、彼に負担してもらっていました) 門前仲町の近くにある、日本で一番大きなイトーヨーカドーにシネマコンプレック
私は大学一年の時、音楽に救われた。 その時音楽がなかったら死んでたってほど重い話じゃないが、悩みが一気に解決されたのだ。それ以後、音楽鑑賞が趣味になったのだが、当時(今もそれほどだが)音楽に対してほとんど無知だった私は、どんな音楽を聴けばいいかわからなかった。 そんな時、たまたま行った本屋で、たまたま在庫があった音楽雑誌『SNOOZER』に、「日本のロック/ポップアルバム究極の150枚」という特集記事があった。結論から言うと、その一冊が、私の人生を変えてしまった。更に私を音楽馬鹿にしてしまったのだ。 この特集記事は、2007年当時の日本のアルバムを、150位までランク付けしたというシンプルなもの。私はこの特集記事を舐めるように読んだ。そしてその度に興奮した。このランキングに載っているアルバムを早く聴きたいと胸が騒ぎ始めたのだ。何故そうなったかというと、田中宗一郎、通称タナソー氏を始めとする
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