■背中からの未来 > D19239 ■1923.9 橘宗一少年墓碑 (名古屋・日泰寺) 名古屋での打ち合わせが早めに終わったので、かねてから思っていた日泰寺を訪ねることにした。 1923 年(大正12年)9月16日、関東大震災直後の混乱の隙をつくようにアナキストの大杉栄と内縁の妻・伊藤野枝、そして大杉の甥である橘宗一(むねかず)の 3名を憲兵隊特高課が東京憲兵隊本部に連行して殺害、それぞれ裸にされた遺体は菰包みにされ麻縄で縛られた状態で敷地内の古井戸に投げ込まれ、その上から 馬糞や煉瓦を投げ込んで埋められた。戦後見つかった「死因鑑定書」によれば大杉と野枝の二人については「胸骨完全骨折」など、激しい暴行を受けた痕跡があ ることが記されている。大杉の妹の長男・橘宗一は父親の橘惣三郎がアメリカ在住の貿易商で二重国籍を持ち、たまたま母親と日本に帰国していてこの虐殺にま きこまれた。子どもが殺された