タグ

大正史に関するkangirenのブックマーク (4)

  • 1923.9 橘宗一少年墓碑 (名古屋・日泰寺)

    ■背中からの未来 > D19239 ■1923.9 橘宗一少年墓碑 (名古屋・日泰寺) 名古屋での打ち合わせが早めに終わったので、かねてから思っていた日泰寺を訪ねることにした。 1923 年(大正12年)9月16日、関東大震災直後の混乱の隙をつくようにアナキストの大杉栄と内縁の・伊藤野枝、そして大杉の甥である橘宗一(むねかず)の 3名を憲兵隊特高課が東京憲兵隊部に連行して殺害、それぞれ裸にされた遺体は菰包みにされ麻縄で縛られた状態で敷地内の古井戸に投げ込まれ、その上から 馬糞や煉瓦を投げ込んで埋められた。戦後見つかった「死因鑑定書」によれば大杉と野枝の二人については「胸骨完全骨折」など、激しい暴行を受けた痕跡があ ることが記されている。大杉の妹の長男・橘宗一は父親の橘惣三郎がアメリカ在住の貿易商で二重国籍を持ち、たまたま母親と日に帰国していてこの虐殺にま きこまれた。子どもが殺された

    kangiren
    kangiren 2023/07/01
    惨い。
  • [インタビュー]「関東大震災朝鮮人虐殺否定論、かつては右翼も想像できなかった」

    ノンフィクション作家の加藤直樹氏インタビュー 「2000年の『三国人』発言をした石原元知事も 虐殺そのものを否定するという発想はなかった 暗い歴史はなかったことにしようという空気」 今月23日夕方、東京でノンフィクション作家の加藤直樹氏がハンギョレのインタビューで関東大震災の朝鮮人虐殺について語っている//ハンギョレ新聞社 「(右派の)石原慎太郎元東京都知事ですら、関東大震災の朝鮮人虐殺を否定するという発想はなかった。少なくとも1990年代までは、右翼も虐殺を否定しようとする人はいなかった」 韓国でも相当な反響を呼んだ『九月、東京の路上で―1923年関東大震災ジェノサイドの残響』を書いたノンフィクション作家の加藤直樹氏は、最近『TRICK トリック 「朝鮮人虐殺」をなかったことにしたい人たち』という新しいを出版した。『トリック』は関東大震災当時の「朝鮮人暴動が実際にあった」「朝鮮人虐殺は

    [インタビュー]「関東大震災朝鮮人虐殺否定論、かつては右翼も想像できなかった」
  • 都市伝説となっていた「大正デモクラシー」 - BUSHOO!JAPAN(武将ジャパン)

    「『大正デモクラシー』はどうして戦争を止められなかったのか」という歴史学者成田龍一氏へのインタビュー記事がSYNODOSに載っていました。 http://synodos.jp/politics/7102 大正時代の「大正デモクラシー」は、日清・日露戦争と日中・太平洋戦争の間に、民主主義華やかなる「理想郷」があったというイメージがあります。 1960年代の空気と大正世代の「昔はよかった」から生まれた? ところが、この「大正デモクラシー」自体、かなり虚構の存在です。 大正デモクラシーの言葉が生まれたのが戦後です。この用語も、「発明者」と言われている信夫清三郎(1909~92)自身が1959年に開かれた座談会において「大正デモクラシーということはだれが言い出した言葉か知らないけれども」と語っているくらいです。 ぶっちゃけると、左翼的な歴史観で生まれた概念です。そのため、最近では大正デモクラシーに

    都市伝説となっていた「大正デモクラシー」 - BUSHOO!JAPAN(武将ジャパン)
  • 【書評】『関東大震災「朝鮮人虐殺」の真実』工藤美代子著 (1/2ページ) - MSN産経ニュース

    ■まるで良質のミステリー 関東大震災の時に流言蜚語(ひご)に惑わされた日人自警団が何の罪もない多数の朝鮮人を虐殺した−。 多くの日人はこの事件にある種の後ろめたさを感じ、きちんと検証してみようとしなかった。 大震災から86年、工藤さんが初めてこの困難な作業に挑んだ。 まず、当時の日韓関係の中で朝鮮人のテロ、日人襲撃が決して根拠のない流言蜚語ではなかったことを多くの資料・新聞記事から立証。 工藤さんは〈朝鮮人による襲撃があったから、殺傷事件が起きた〉〈テロリストの襲撃から家族や町内を守るのは正義といっていい〉と断定している。 当初は朝鮮人による襲撃事件を報じていた新聞がなぜ途中から事実を隠蔽(いんぺい)するようになったのか。それが、このの大きなテーマに繋(つな)がっていく。まるで良質のミステリーを読むような面白さだ。 圧巻は虐殺された朝鮮人の数を検証する部分。当時、吉野作造は2613

    kangiren
    kangiren 2009/12/23
    著者の工藤美代子氏が、皇室関連の本も出版してるということがすごく悲しい。
  • 1