一昨年、なぜか後藤朝太郎の『支那の体臭』(バジリコ)が突如として復刊されたが、後藤はこのような“ルポルタージュ”を書く以前、もっぱら「言語学者」として知られていた。 銅牛樋口勇夫の『漢字襍話』(郁文舎ほか1910)には、「漢字の言語學的研究に沒頭沒脚せる人」として登場する。 今一言して置きたい事がある。其れは高橋(龍雄―引用者)氏が國學院雜誌上「愚なる漢字の研究」なる論説中後藤朝太郎氏の如き專門の漢字研究者は日本に二人か三人あれば澤山ぢや。と言つて居るに就てゞある。成程後藤氏の如く漢字の言語學的研究に沒頭沒脚せる人はさう多くを得ようとしても容易に得られもすまいけれども、漢字の根本的智識を日本國民全體に普及せしめて日常誤りなく精確に漢字を使用せしめむ爲には雜話子位の木の葉研究者の十萬人や二十萬人は有つても邪魔にならぬではあるまいか。(p.129) 後藤は、著述活動の初期に『漢字音の系統』(六