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「砼」――という漢字をご存知だろうか。 マイナーな漢字なので、ある程度中国語の心得のある人でも知らない人の方が多いかもしれない。実は中国人でもこの字の意味や読み方を知らない人が多い。 これは中国語で「コンクリート」という意味を表す漢字で、旁の「仝」は「同」の異体字(古字)なので、そこから類推して tong2 トン と読む。漢字の六書の分類に従えば、形声文字に分類される。 もし「砼」をあえて日本語読みするとすれば、「ドウ」になるかもしれない。 なぜこのような字形になったかといえば、「砼」は「コンクリート」を一文字で表すため、「人」・「工」・「石」という三つの漢字を組み合わせて造られた新しい漢字だから。コンクリートが「人工石」とは全くうまく思いついたものだと思う。 ただし、「砼」は建設土木業界や技術者の間以外ではあまり使用されない。中国語で「コンクリート」という意味を表す場合、一般には「混凝
ひさびさ更新の今回は、考古学で使う中国の地名のはなし。 日本考古学でも同様なのだが、中国でも考古資料や遺跡に関係する地名というのは、日本でいえば小字に相当するものが多く、あるいはそれよりももっとローカルな場合もある。 そして地名を知るにあたってさらに厄介なのが、中国の漢字である。現代中国で使う簡体字という漢字は、必ずしもすべての漢字が簡体化しているわけではなく、比較的単純な字形などの漢字で簡体化せずにそのまま使われているものもある。そのため簡体化した漢字が別の漢字と同じ字形になり、もともと全く別の漢字であるにもかかわらず、現代では同じ漢字で表記されるという例がしばしばみられる。しかも漢字を使っている日本人にとっては、日本漢字とも同じに見えてしまうので、ますます混乱する。 僕のブログに写真を使っている南朝陵墓の石獣の名称は、簡体字で書くと「狮子冲南朝陵墓石刻」である。「狮子冲」が地名だが、日
タイトルはあんまり関係ないです。 『萬姓統譜』皇犬子 犬子,小史,初名太子,武帝曰:皇太子非可命名。于是移點于外,因名犬子。 梁の人、皇犬子。姓が皇、名が犬子だ。 初めは「太子」と名付けられていたが、武帝が「皇太子なんて名前はだめだ!」といったので、点の場所を移して、「犬子」となったという。 名前の付け方に対して皇帝まで出てくるとは……。 中国史における悪魔ちゃん騒動である。 皇犬子でググったらいろいろでてくるんだね……。
中国本土で約半世紀にわたって使われている簡体字(簡略字)を、元の繁体字(正字)に戻そうという「繁体字復活論」がここへきて過熱している。 台湾で昨年5月に国民党の馬英九政権が発足してから中台間の交流が急速に進んでおり、こうした機会に「それぞれが採用している、異なる字体を統一しよう」というのが、理由の1つ。 一方、「普遍化した簡体字を繁体字に戻すのは、ムダな労力と混乱を招くばかりだ」といった有識者の反論もあり、賛否両論が渦巻いていた。 議論のゆくえが注目されていたが、中国政府のシンクタンク・中国社会科学院はこのほど「漢字の規範を調整した上で、近いうちに新しい『規範漢字』を発表する」として、半世紀ぶりに"漢字改革"を行う見通しであることを明らかにした。 今年は、中国悠久の漢字の歴史に新たな1ページが書き加えられることになるか? 中国メディアに「繁簡之争」(繁体字と簡体字の争い)と称された、漢字を
山東省の一部の地域にある「シャン」という姓の漢字(文字の上部が彡、下部が且)は非常に珍しく、漢字コードが割り当てられていなかった。このため、運転免許証や銀行通帳に正しい姓名を印刷することができない。 このような煩わしさを解決するため、シャン一族は発音が同じ別の2種類の漢字を、姓として使うことにした。 それって、U+22489の「𢒉」なので、GB 18030だと[95 39 B7 39]にあると思うのだけど…。ちなみに、元ネタの中国新聞網のページでも、やはり「𢒉」がコンピュータで使えない文字として紹介されている。うーむ、GB 18030って山東省には普及してないのかしら?
(中国通信=東京)鄭州12日発新華社電によると、河南安陽にある曹操の墓の考古学発掘現場で、2日午前、墓の主を曹操と断定する「動かしがたい証拠」となる、「魏武王常所用(魏の武王が普段使っていた)」という刻銘石碑がまた出土した。これで曹操の墓から出土した「魏武王常所用」の銘を刻んだ石碑は9個となった。 同日午前9時半前後、出土したばかりの、「常所用長犀盾」の文字を刻んだ石碑が、テレビ画面を通して公衆の前に示された。曹操の墓から「盾」の字がついた石碑が出てきたのは初めてで、墓の主が生前、この種の武器を使用していたことを示している。 残念ながら、石碑は3分の1が欠けていた。考古学関係者は、これまでの発掘の経験から、欠けた部分に「魏武王」の文字が刻まれていたと推測するとともに、今後の発掘作業で出土することを希望している。 これまでの考古学発掘で、曹操の墓から、銘を刻んだ石碑は計約60点出土している。
則天文字(そくてんもじ)は、中国・武周の女帝武則天が制定した漢字。則天新字、武后新字とも言われる。六書の文字分類では象形文字あるいは会意文字である。 ※Unicodeでの番号は参考資料、注釈を参照のこと(以下このページにおいて同じ)。 武則天が権力を誇示するため、あるいは個人的な好みや考えのため制定されたとされる。武則天が失脚するとほどなく忘れ去られた。日本で最も有名なのは「圀」の字で、徳川光圀の名前に使用されている。この字は「國」の「或」の部分が「惑」に通じるので不吉だとの理由で「囗」(くにがまえ)に「八方」という字が入れられた。 また、「『地』は『土』の上に『山水』がある」という理由から、代わりに「土」の上に「山水」を乗せる字「埊[1]」が考案、使用された。 「臣」は「忠」を第一にせねばならないという考えから「忠」の上に「一」を乗せた字「𢘑[2]」が「臣」の代わりに使用された。 武則
入院中は当然のことながら『文物』『考古』などの中文専門誌を見ることが出来ない状態でした。それで退院する少し前に指導教授と電話で「最近何か新しい遺跡とか金文とか出ました?」「いやあ、そんなに大したの出てないな」というような話をしていたのですが、本日nagaichiさんの『枕流亭ブログ』を見ると以下のような記事が…… 「太公望の墓……?」 要するに最近山東省淄博市高青県陳荘村にて西周期の墓葬やら車馬坑やらが発見され、おまけに「斉公」の銘がある青銅器まで出土したもんだから現地では「ここが太公望の墓だ!」という説まで出て来て大騒ぎという話です。「斉公」の銘のある青銅器については次の記事を参照。 「山東省首次発現“斉公”銘文和西周刻辞卜甲」(中国新聞網) 記事中では銘文の字釈を微妙に間違えてますが、「豊肇作厥祖甲斉公宝尊彝」、すなわち豊という人物が初めて祖先の祖甲斉公を祀る青銅器を作ったとありますね
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