胃がんからの復帰を目指す広島赤松真人外野手(35)が8日、広島・廿日市市の大野練習場で契約更改を行った。推定年俸は上限いっぱいの25%ダウンとなる2700万円で更改。迷わずサインし「ありがたいです。戦力として考えているとも言ってもらった。焦らず、焦ってやりたい」と感謝した。 昨年12月28日に「初期段階の胃がん」を患っていることを公表。今年1月5日に摘出手術を受けた。その後リンパ節に若干の転移が見つかり、強い抗がん剤治療を半年にわたって受けた。立ち上がれないほどの苦しみを味わった。 7月11日に3軍に復帰し、現在は想定よりも早く、マシン打撃、軽めのフリー打撃をこなすまでに回復。まだ手足のしびれは残っている状態だが「50%くらいには回復してきたかな」今後さらに段階を上げ、体を再びつくっていく。 激動のこの1年を振り返り「今となってはあっという間。しんどかった手術、抗がん剤も、もう忘れている。
江戸時代初期の小倉藩主、小笠原忠真(ただざね)(1596〜1667)を中心に、小倉藩ゆかりの文物を紹介する「最後の戦国武将 小笠原忠真展」が、北九州市立自然史・歴史博物館(いのちのたび博物館、八幡東区)で開かれている。12月3日まで。 小笠原家は、室町時代に信濃国(長野県)の守護となり、戦国時代には武田信玄と戦った。忠真の母は、徳川家康の長男・信康と、織田信長の娘・徳姫の間に生まれた。忠真は家康、信長のひ孫に当たる。 忠真は慶長20(1615)年の大坂夏の陣でも、徳川方として奮戦した。父、兄は戦死したが、忠真はその戦いぶりで、家康から「鬼孫」と称賛された。 忠真は信濃・松本、播磨・明石を経て、寛永9(1632)年、豊前小倉15万石の藩主となった。その武威から、九州の外様諸大名から「九州御目付」と目された。 一面、文化的素養もあった。大名茶人として、藩内にあった上野(あがの)焼の育成に尽力し
ワイルドな風貌と数々の過激な発言で「暴言王」の異名を取るフィリピンのドゥテルテ大統領(72)が10月末に来日し、天皇、皇后両陛下と会見した。実はドゥテルテ氏はかつて天皇陛下について「神のような存在として尊敬いたします」と語っており、会見を切望していたが、2度に渡って直前にキャンセルになった経緯があった。「三度目の正直」で念願がかなったドゥテルテ氏は帰国後、地元メディアに宮中での感動体験を語った。 「ヒトラーはユダヤ人300万人を虐殺した。(フィリピンには)薬物中毒者が300万人いるが、私も虐殺してやりたい」 「売春婦の息子め。フィリピンは独立国家で、米国の植民地ではない。オバマは何さまのつもりだ」 フィリピン南部ダバオの市長を長らく務めたドゥテルテ氏は昨年6月の大統領就任後、過激な発言で世界にその名をとどろかせた。 さらに昨年10月に訪中した際の中比間の協力文書の調印式で見せた態度も問題視
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