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g福德に関するkanototoriのブックマーク (9)

  • 東京新聞:「私年号」の板碑など展示 府中で元号企画展 天文との関係も紹介:東京(TOKYO Web)

    令和への改元にちなみ、府中市郷土の森博物館(南町)は、元号に関する二つの企画展を開いている。公年号とは異なる私年号(しねんごう)を取り上げた「中世東国と改元」展と、天文と年号のかかわりを紹介した「古代の改元と天文」展。どちらも二十七日まで。 (松村裕子) 博物館などによると、改元は、江戸時代までは天変地異や飢饉(ききん)があったときに世の中をリセットする意味があり、私年号は改元されないときに改元を望む民衆の中で流布された新年号。戦乱が続いた中世、年号を決める朝廷から離れた東国で、多くはデマと判明するまで短期間使われたという。 約四十ある中世の私年号のうち最も使われたのは延徳(えんとく)三(一四九一)年に広まった「福徳(ふくとく)」。福徳と刻んだ板碑(いたび)(石の供養塔)は福島、山梨県も含む広い範囲に七十基以上残り、市内にも二基あった。

    東京新聞:「私年号」の板碑など展示 府中で元号企画展 天文との関係も紹介:東京(TOKYO Web)
    kanototori
    kanototori 2019/10/06
    “「福徳元年」の板碑をはじめ「徳応(とくおう)」「弥勒(みろく)」「至大(しだい)」などの私年号が分かる板碑約二十点と関連文書約十点”
  • 企画展 「中世東国と改元」|公益財団法人府中文化振興財団

    福徳元年の銘がある板碑 府中町駅前の発掘調査で、石の供養塔―板碑―が出土しています。板碑そのものは中世の東国、特に武蔵では盛んに造立されていて、けっして珍しいものではありません。しかし、ここで出土した1枚には見慣れない年号が刻まれていたのです。それは〈福徳元年〉。 そもそも年号は、天皇即位や災厄などを理由に、基的には朝廷が定めるものでした。国家君主である天皇が空間だけでなく時間をも支配するという思想に基づいていたようです。その数は240を超えます。しかし、このなかに〈福徳〉という年号はありません。このように朝廷が公式に定めたものではない年号を「私年号」といいます。実は、古代以来少なくない数の私年号が使われているのですが、とりわけ中世後期の東国で多く確認されています。そのほとんどは、府中町駅前で発掘されたものがそうであるように、板碑のような宗教関係の遺品に見いだせます。 中世東国の人び

    企画展 「中世東国と改元」|公益財団法人府中文化振興財団
  • 『れきナビ―やしお歴史事典』

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  • 宗泉寺|青梅市吹上にある曹洞宗寺院

    宗泉寺山門 宗泉寺堂 宗泉寺鐘楼 宗泉寺の縁起 宗泉寺は、師岡山城守将景が開基、天寧寺四世説翁星訓が開山となり、天文19年(1550)創建、慶安2年(1649)江戸幕府より寺領3石の御朱印状を拝領したといいます。 新編武蔵風土記稿による宗泉寺の縁起 (吹上村)宗泉寺 曹洞の禅宗、隣村根ヶ布村天寧寺の末、寶龍山と稱す、尊地蔵木の坐像、開山寺四世説翁星訓永禄六年三月廿六日寂せり、御朱印あり、寺領三石を附せらる、御朱印には高麗郡とあり、堂九間四方巽向、間に撞鐘をかく、須田大隅守盛輔と云人、寶永三年丙戌の秋鑄たるよし銘に見えたり。 地蔵堂。二間半に三間、境内にあり。 白山社。小社、境内の鎮守なり。(新編武蔵風土記稿より) 「青梅市史」による宗泉寺の縁起 宗泉寺(宝竜山) 吹上にあり、尊は地蔵菩薩である。天文十九年(一五五〇)天寧寺四世説翁星訓を開山とし、師岡山城守将景を開基として創建され

    宗泉寺|青梅市吹上にある曹洞宗寺院
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    kanototori 2017/11/12
    “福徳二年(一四六七)”
  • 大泉井頭公園コース(お散歩スポット):練馬区公式ホームページ

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    kanototori 2017/11/12
    “「福徳元年辛亥三月廿三日」”
  • (上尾歴史散歩)中世の信仰と板碑 - 上尾市Webサイト

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    kanototori 2017/11/12
    “社寺や有力者が時の年号をめでたい字に置き換えたもの”
  • 宮代町立図書館/宮代町デジタル郷土資料

    当事業は公益財団法人図書館振興財団の平成28年度振興助成事業・平成29年度提案型助成事業として助成を受け実施しております。 宮代町は、縄文時代に奥東京湾を臨む大宮台地に位置していたため、約8000年前から「ムラ」を形成し、中世には鎌倉街道沿いの集落として、近世には日光御成街道沿いの徳川家の経済基盤を支える農村として発展してきました。そのため、前原遺跡等の出土品、中世の「西光院阿弥陀如来像及両脇侍像(国指定重要文化財)」、近世の農村状況を伝える「騎西領落堀堰論裁許状」、江戸庶民の旅日記「道中日記覚」、庶民信仰を示す「円空仏」、近世の貴重書「五魂説 完」等の文化遺産を多数保有しています。これらの文化遺産をデジタル化して公開します。 『宮代町史』の文、各資料の目録を対象とした「検索閲覧システム」をご利用いただけます。 詳しい閲覧方法についてはヘルプをご覧下さい。

    宮代町立図書館/宮代町デジタル郷土資料
  • 勝山日記と妙法寺記 | CiNii Research

    kanototori
    kanototori 2017/03/28
    「勝山日記は次年に「明応元辛亥此年モ季号イロイロ也」とあるから、当時は年号の使用に相当の混乱があたのであろう」
  • 指定 有形民俗文化財 自性院の私年号板碑 - 【公益財団法人新宿未来創造財団】

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