富士山登山鉄道構想検討会の第2回理事会が12日、東京で開かれ、神奈川県の箱根登山鉄道やスイスのユングフラウ鉄道など国内外の先進事例について調査結果が報告された。首都大学東京理事長の島田晴雄理事は「事業計画を立てるためにも、先進事例がどのように実現してきたのかを示してほしい」と述べた。SMBC日興証券社長の清水喜彦理事は「先進事例の収支計画を調べてほしい」と要請。「富士山の鉄道も赤字のために税金
福徳元年の銘がある板碑 府中本町駅前の発掘調査で、石の供養塔―板碑―が出土しています。板碑そのものは中世の東国、特に武蔵では盛んに造立されていて、けっして珍しいものではありません。しかし、ここで出土した1枚には見慣れない年号が刻まれていたのです。それは〈福徳元年〉。 そもそも年号は、天皇即位や災厄などを理由に、基本的には朝廷が定めるものでした。国家君主である天皇が空間だけでなく時間をも支配するという思想に基づいていたようです。その数は240を超えます。しかし、このなかに〈福徳〉という年号はありません。このように朝廷が公式に定めたものではない年号を「私年号」といいます。実は、古代以来少なくない数の私年号が使われているのですが、とりわけ中世後期の東国で多く確認されています。そのほとんどは、府中本町駅前で発掘されたものがそうであるように、板碑のような宗教関係の遺品に見いだせます。 中世東国の人び
創立の2年前の1945年8月6日、広島は原爆投下により焦土と化しました。大野邦男社長にとっても、つらい経験となりました。親族、縁者、友人、知人、多くの大切な人を失い、施設もほとんど壊滅しました。 生き残った仲間たちは、広島の早い復興のために、広島の人々のより良い生活、より良い明日のために、石油は絶対に必要なものであると考えました。 1947年12月20日、組織変更し株式会社となり、第1号店を西白島にオープンしました。ここから、株式会社大野石油店の歴史が始まります。 ※左写真:創立の頃のメンバーと木造平屋建ての本社社屋 右写真:昭和20年代の八丁堀給油所、当時はまだ車が少なく、バスへの給油が中心であった
リリース、障害情報などのサービスのお知らせ
最新の人気エントリーの配信
処理を実行中です
j次のブックマーク
k前のブックマーク
lあとで読む
eコメント一覧を開く
oページを開く