将棋の藤井聡太王位(22)が今月9日、静岡県牧之原市を訪問した際、市内の旧家で今春見つかった200年以上前の詰将棋(つめしょうぎ)が披露されました。藤井王位が一目で解いてみせたこの詰将棋に、解答とは別の謎が秘められていたことが、その後の調べで分かりました。愛好家が「約20年ぶりの大発見」と興奮し、藤井王位も「気づかなかった」と驚いた、図面に隠された秘密とは―。東京新聞連載「バン記者・樋口薫の棋界見て歩き」の「盤外編」としてお伝えします。(樋口薫)
ロシアによるウクライナ侵攻を巡り、6月中旬に約100の国・機関が参加する「世界平和サミット」がスイスで開かれたものの、ロシアは招待されず、中国は欠席、インドなど主要新興国も共同声明への署名を見送った。ロシアの軍事に詳しい小泉悠・東京大学先端科学技術研究センター准教授(42)は「戦争は当面続く」と見通した上で「即時停戦には反対だ」と言い切った。(滝沢学) 小泉氏は「ロシアのプーチン政権は、(ウクライナが)占領地を差し出せば戦争をやめる、とは約束していない」と指摘。「ロシアの要求はウクライナの政権すげ替えや非軍事化であり、土地を渡せば停戦が可能との議論は第三者の勝手な思い込みだ」と楽観論を否定した。 ロシアの侵攻から2年となる2024年2月24日、ウクライナの首都キーウ(キエフ)で、献花するウクライナのゼレンスキー大統領(中央)、欧州連合(EU)のフォンデアライエン欧州委員長(右から2人目)ら
「地上の楽園」だまされた… 「北朝鮮帰還事業」韓国が異例の調査に着手 日本から9万3000人渡航、被害解明へ 【ソウル=木下大資】1959~84年に多くの在日朝鮮人らが北朝鮮に渡った「帰還事業」に対し、韓国政府の調査機関「真実・和解のための過去事整理委員会」が調査を行うと決定したことが分かった。関連資料の収集や脱北者への聞き取りなどを通じ、北朝鮮が「地上の楽園」とする虚偽の宣伝によって事業が進められた経緯や被害の把握を目指すとみられる。 真実・和解のための過去事整理委員会は、韓国政府が設置した独立機関。軍事政権による過去の人権弾圧事件などを調査し、真相究明や被害者の名誉回復を行っている。韓国は憲法上、北朝鮮も自国の領土と位置付けるものの、日朝間で行われた帰還事業を調査対象にするのは異例だ。尹錫悦(ユンソンニョル)政権が北朝鮮の人権問題を国際社会に提起する姿勢を打ち出す中、韓国として初の公式
グーグルマップで遊んでいたら、北太平洋にぽつんと浮かぶミッドウェー諸島に、明治時代の「櫻井又五郎」という名の墓を見つけた。 墓の存在に気づいたのは2020年9月。新型コロナウイルス「第2波」で自粛ムードが漂う中、せめて旅行気分だけでも、と(グーグルマップで)太平洋の島々を巡っていた時だった。 深夜にスマホの中の墓を見つめながら、素朴な疑問が浮かんだ。100年以上も昔、櫻井さんはなぜこんなところに? こつこつと調査を重ね、結論には至っていないが、ひとまず経過をまとめてみたい。何か情報をお持ちの方は、ぜひお寄せください。(デジタル編集部・谷岡聖史) ミッドウェー諸島(環礁) ホノルルから約2000キロ北西、東京都心から約4100キロ東南東にあり、主に大小2島からなる。世界複合遺産でもある北西ハワイ諸島の一部だが、行政上はハワイ州ではなく、米連邦政府の魚類野生生物局が直接管理する。長らく無人島だ
【ニューヨーク=杉藤貴浩】新型コロナウイルスを巡り、米国で「日本はワクチン接種を中止し、コロナを一掃した」という偽情報が広がっている。ワクチン懐疑論者の多くが支持する寄生虫駆除薬を使った成果だとする誤った内容も含まれており、大手メディアは「ファクトチェック」で打ち消しに追われている。 偽情報は、保守系のラジオコメンテーターが10月下旬にインターネット上で「ワクチンをやめてイベルメクチンに移った日本は、ほとんど一夜にしてコロナを終わらせた」と発信したことが発端。9~10月に感染が急減した日本に注目し「コロナと闘う諸外国の中で絶対的なスーパースターだ」などと持ち上げている。 実際には日本は現在もワクチン接種を進めており、寄生虫駆除薬イベルメクチンは日米ともにコロナへの有効性が確認されていない。だが、偽情報は日本で起きたワクチンへの異物混入問題など一部の事実を巧みに取り込んでおり、会員制交流サイ
伊豆の国市宗光寺に白旗神社がある。そのご神体は石仏で、同地内にあった清生寺に伝わる「愛宕山縁起」にいわれる地蔵と思われる。清生寺の本尊は愛宕地蔵。天平五(七三三)年狩野川をいかだで下る三島明神造営のための木材の上に乗っていたものを勧請したと伝える「愛宕霊験記」(矢田家文書)が残る。
中国の少数民族ウイグル族の女性が国外で出産後、里帰りした空港で拘束され、拷問を受けたとの証言を基にした漫画家清水ともみさん(50)の漫画「私の身に起きたこと」がツイッターで公開され反響が広がっている。共感した読者が英語や中国語、ウイグル語などに翻訳して拡散。デモ隊と警官隊の衝突が激化する香港の街頭でも掲示された。 中国当局は「テロ対策」と称してイスラム教徒のウイグル族を弾圧。国際調査報道ジャーナリスト連合(ICIJ)が入手した文書でも大規模監視や強制収容の実態が明らかになった。モデルとなった女性はエジプトで三つ子を出産。帰国後、二〇一五~一七年に三度も拘束された。十分な睡眠も許されない劣悪な環境で、手足をいすに固定され電気ショックを受けた。当局に引き離されていた三つ子は病気となり、一人は死亡した。
令和への改元にちなみ、府中市郷土の森博物館(南町)は、元号に関する二つの企画展を開いている。公年号とは異なる私年号(しねんごう)を取り上げた「中世東国と改元」展と、天文と年号のかかわりを紹介した「古代の改元と天文」展。どちらも二十七日まで。 (松村裕子) 博物館などによると、改元は、江戸時代までは天変地異や飢饉(ききん)があったときに世の中をリセットする意味があり、私年号は改元されないときに改元を望む民衆の中で流布された新年号。戦乱が続いた中世、年号を決める朝廷から離れた東国で、多くはデマと判明するまで短期間使われたという。 約四十ある中世の私年号のうち最も使われたのは延徳(えんとく)三(一四九一)年に広まった「福徳(ふくとく)」。福徳と刻んだ板碑(いたび)(石の供養塔)は福島、山梨県も含む広い範囲に七十基以上残り、市内にも二基あった。
ロシア本土と結ぶ海路輸送の拠点となるサハリン西岸のホルムスク港。橋によって、天候に左右されない輸送が可能になるとの期待もある ロシアの本土と極東のサハリン島を結ぶ橋の建設構想が再び注目されている。旧ソ連のスターリン時代から浮かんでは消えたが、プーチン大統領が今夏、建設に向けた採算検討を地元責任者に指示した。ただ地元住民からは「もっと優先的にお金をかける分野があるはず」と冷ややかな声も上がっている。 (ロシア極東サハリン州で、栗田晃、写真も) プーチン氏は今年七月、サハリン州知事と会談した際、「橋は昔からの住民の夢だ」と発言。極東振興への意欲をアピールする狙いとみられる。タス通信によると、スターリンは一九五〇年、サハリンと大陸間の連絡道建設を指示。一部建設も始まったがスターリン死後、中止に。約二十年前も建設検討の動きがあったが、立ち消えになった。
トップ > 特集・連載 > ドナルド・キーンの東京下町日記 > 記事一覧 > 記事 【ドナルド・キーンの東京下町日記】 天皇巡幸 旧友の進言 Tweet 2015年12月6日 京大図書館で所蔵のコレクションを見るキーンさん 母校の京都大に講演で呼ばれて、出かけてきた。私が奨学金を得て日本に初めて留学したのが同大大学院だった。一九五三年からの二年間、日本文学を堪能する一方で、寺や神社に足しげく通った。日本食しか食べず、いろりのある下宿の三畳間に布団を敷いて寝た。当時の写真を見ると、私はいつも笑顔。恋い焦がれた日本での生活はまるで夢のようだった。 講演では当時、親交があった人たちについて話した。文豪の谷崎潤一郎や元文部大臣の永井道雄ら皆が皆、大切な人たちだ。その中でも最も世話になったのは米海軍で一緒だった同志社大元教授のオーテス・ケーリだ。 ケーリは海軍日本語学校の同期生。父が日本でキリスト教
馬に関連した資料約一万五千点を所蔵している横浜市中区根岸台の「馬の博物館」が十月で開館四十周年を迎えるのを記念し、同月二十九日まで所蔵名品展「馬の美術150選」を開いている。 同博物館がある根岸森林公園にはもともと、一八六六(慶応二)年に完成した根岸競馬場があった。横浜に居留する外国人だけでなく日本人にも人気があったが、一九四三年に閉鎖され、終戦後は米軍が使用した。六九年に敷地の一部が返還されたのを受けて七七年十月、馬についての知識を普及させる目的で博物館がオープンした。 所蔵名品展では百五十点の美術品を三期に分けて紹介。数百年前の厩(うまや)に現代の厩務員(きゅうむいん)の姿を描き込むなどした斬新な絵柄の「厩圖(うまやず)2016」や、室町時代の鞍(くら)などが並ぶ。同博物館の山田朝子さんは「車や機械がない時代から、馬は人間の生活を支え続けてきた。パートナーとして歩んできた歴史を感じても
東京電力福島第一原発事故後に福島県内から横浜市に避難した少年が転校先の小学校でいじめを受けていた問題を受け、福島県からの避難者や神奈川県の住民ら二十五人が意見交換する集会が二十二日、横浜市神奈川区のかながわ県民活動サポートセンターであった。参加者からは「いじめの背景には親の無理解がある」などの声が上がった。 東日本大震災の被災者を支援する団体でつくる「かながわ避難者生活支援ネットワーク」が主催。冒頭で、今回横浜市でいじめ被害に遭った少年の代理人の黒沢知弘弁護士が問題の経過を説明した。学校や行政の対応は不十分とする一方、問題が報道された後、弁護士事務所に「何かできることはないか」などと励ましの声が届くようになり、「少しずつ一般の人の理解が広まっていると感じた」と話した。 福島県浪江町から震災直後に鎌倉市内に避難した松尾弘美さん(72)は、同じ浪江町から関東に避難した若い母親数人から、子どもが
都は二十九日午後、戦時中の軍需工場、中島飛行機武蔵製作所の跡地で、唯一残っていた建物である旧変電室(武蔵野市緑町二)を取り壊す工事を始めた。工事に先立ち同日午前、内部を公開。二階天井の一部に修復したような跡があり、保存を求めてきた市民団体は「空襲で投下された不発弾の痕跡の可能性がある。戦争を伝える貴重な建物の取り壊しは残念」とあらためて訴えた。 (竹島勇)
リリース、障害情報などのサービスのお知らせ
最新の人気エントリーの配信
処理を実行中です
j次のブックマーク
k前のブックマーク
lあとで読む
eコメント一覧を開く
oページを開く