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よくあるじゃないですか。「実は○○という言葉は失礼な言葉だった!」とか。「○○という言葉を使う人は、実は××(ネガティブな何か)だった!」みたいな、あーゆーの。 最近も観測しました。下記のような記事です。 口癖で分かる性格 「なるほど」が多い人は何も聞いていない こういう、ビジネスマナーとかライフハックの体を装って、言葉にネガティブなラベルを無理やりくっつけようとする向きが、私は好きではありません。というか嫌いです。 この手の記事の問題点は、箇条書きにすると以下のようになります。 ・根拠が全くない、ないし根拠が明示されないまま、言葉に対してネガティブなイメージ付けを行っている ・それを読んだ人が、「そうだったのか、知らなかった!気をつけよう」という印象を持ちやすい、いわば「気づき」を誘導する書き方になっている ・更に、上記の「気付いた」人が、その言葉を使っている他人に対してまで「あ、××な
いや、なんていうのかな。元々、結婚なんて超個人的な問題ですし、そもそも結婚なんてメリット・デメリットでするもんじゃねえだろ、とも思うんですけど。 だからこそ、例えば男性視点、女性視点それぞれの「結婚することによるメリット・デメリット」みたいな記事に、かなり違和感を覚えます。 私は男性なので、特に「男性にとっての、結婚のメリット・デメリット」みたいな記事に強く感じるところなんですが、結婚って二人でするものなのに、なんで「自分にとってのメリット・デメリット」の話しかしないのかなあ、と。 敢えてメリットデメリットでいうなら、「相手のデメリット回避」というのはメリットに入んないんですか?と。相手が、結婚しないままでいることでどんな不利益を被るか?という視点の話をあんまり見ないけど、なんでですか?と。 もう少し言うと、私が考える限り、「男性にとっての結婚するメリット」より、「女性にとっての結婚しない
このニュースを見ました。 音楽の無断使用禁止求める 祇園のディスコにJASRACが仮処分申し立て 概略しか情報がないので判断が難しい部分もありますが、 同協会によると、同店は19年7月の営業開始から、利用契約を結ばないまま、店内でレコードやCDなどを流して著作権を侵害したとしている。経営者に面談や文書で20回以上、契約をするよう求めてきたが、応じなかったという。という記載を見る限りでは、スラップ訴訟のようには思えません。これだけ交渉して応じられないのであれば、法的手段以外にどんな手があるんだよ、という程度のレベルではあると思います。また、実施しているのも仮処分申し立てであって、いきなり損害賠償を求めるような内容ではないようです。むしろ、よくここまで放置していたな、という印象を受けます。 ところが、当該記事のコメントを見ていると、疾風怒濤のJASRAC非難・経営者擁護の嵐、罵倒や怒声の満漢全
基本的には、 ・「してはいけないことをした」場合、叱る ・「しなくてはいけないことをしてない」場合、待つ 様にしている。 私のやり方である。正しいのかどうかはよくわからない。というか、正しい叱り方などというものはこの世に存在せず、その時その時で適しているかどうかがあるだけなのだろう。だから、常に、「この叱り方は正しいんだろうか」というのは考えるようにしている。 いつも通り、そのうち自分で読み直して得るものもあるだろうということで、今日あったことを書き残しておく。 しんざき家の長男は7歳、小学一年生。長女次女は双子で、いずれも来月3歳になる。 今日、私が仕事から帰ったのは21時前だった。いつもなら、奥様・長男長女次女は既に入浴を終えており、寝る前に合流して一緒に寝るタイミングだが、その時はまだ皆リビングにいて、若干不穏な空気だった。どうも、3人でハッピーターンを食べて、包装袋をその辺にまき散
最初に結論を書いてしまうと、言語に「乱れ」なんて存在しない、少なくとも非難されるようなものではない、というのが私のスタンスです。 多分、同じ研究をしていた人は大体そうなんじゃないかと思います。私の研究室で「日本語の乱れだ!けしからん!」という考え方の人を観測したことは一度もなく、「なんか新しい口語用法だ!レポートのネタになる、逃がすな!!」って人ばっかりでした。 この記事の目次は下記の通りになります。 1.書いている人の立ち位置 2.国語学ってなんですか 3.で、「日本語の乱れ」ってなんでしょうね 4.「正しい日本語」とかいうものを商売のタネにする人達があんまり好きじゃない 順番にいきます。 1.書いている人の立ち位置 私は文学部出身でして、日本語日本文学、その中でも国文学ではなく国語学というものをやってました。古い日本語から新しい日本語まで、「言語としての日本語」について研究する学問です
こんなツイートを見かけました。 一般には知られていない事実。それは以前どこの教室にもテレビがあり、教育テレビも見られれば、デジカメやビデオをテレビにつなげて自由に授業ができた。ところが今はどこの教室にもテレビがない。NHKが1台ごとの視聴料を請求したからだ。学校での視聴は無料と文科省が動けば済んだのに。怠慢。https://twitter.com/naka8952/status/509672439509303296 言うまでもなくこれは純度100%の単なるデマでして、学校や社会福祉施設などの機関は受信料免除対象なので、「NHKが1台ごとの視聴料を請求」などという事態が発生する訳はありませんし、それによってテレビが教室から撤去されるということも起こり得ません。 1 全額免除 (学校) (2) 別表2に掲げる学校において、児童、生徒または幼児の専用に供するため、その管理者が受信機を設置して締結
いやーこれはテレビ朝日様の為にも宣伝に協力しないとなー。 テレビ朝日:みんながカメラマン 「自分が撮ったスクープ映像をテレビ朝日に送って、テレビに流してもらおう!これで君もジャーナリストだね!やったね!まあ無償だけどね!」みたいなコンセプトなんだと思います。 スクープのアウトソースを図るって報道局としてどうなの、という話もないではないですが、まあそれは今までも、youtubeの動画をパクってそのまま流しているだけの番組とか色々あった訳ですし、今更のことと考えて問題ないだろうとは思います。 ただ、 投稿者は、本サイトに投稿データを投稿するにあたり、本規約の全文をお読みいただき、本規約に同意いただく必要があります。と謳っている割に、絶妙な感じでデフォルト非表示になっている規約については色々と興味深いです。 テレビ朝日様の説明の手間を省くために、重要そうなところを幾つか確認してみましょう。 4.
「フウマ殿、忍とは忍ぶものでござる。」(ワールドヒーローズ ハンゾウさん談) いや、勿論、そういうお前は本当に忍んでんのかよ光龍破とかどんだけ派手なんだよ忍者は「れっこーざん!」とか技名叫ばねえよなんだよ忍者レッグラリアートって、と思わないでもないのだが、ただ衆目の一致するところフウマは確かに忍んでない。全然忍んでない。そこに異論はない。 学術的な定義がどんなものかは知ったことではないのだが、しんざき基準で言う「忍んでる忍」というものは、少なくとも以下の条件を4つか5つくらいは満たしていないといけないと思う。 1.正面から敵に突っ込んで大軍を蹴散らしたりしない。 2.格闘家や剣をもった侍と一対一で不意打ちもしないで尋常に立ち会ったりしない。 3.目立つ技を目立つ挙動・目立つ位置でガンガン使ったりしない。 4.爆裂究極拳を使わない。 5.手刀で敵の首をハネたりはする。 6.装備を外した方が防
色々とどうかと思ったので。 目上の人に「了解」は失礼? そもそもなんでこんな記事が、仮にもNHKのニュース一覧にクレジットされているのかさっぱり分からないのですが。 上の記事には、大きく分けて三点の突っ込みどころがあります。 1.内容が完全に個人ブログの引用に立脚しているのに、引用元の詳細どころかリンクすら貼っていない 2.かつ、個人ブログに触れていながら、その個人ブログでの結論は一顧だにせず、都合のいい議論のトリガーとしてのみ利用している 3.内容自体が無根拠な覚醒作りを助長する内容になっており、生産性のかけらもない 仮にも公共放送の組織がやっている記事でこれは、全体的にアホですかと思うわけです。 まず第一に、突っ込むのもアホらしい基本的な部分なんですが、 ネットで話題になっているのは「『了解』は失礼か?」というタイトルのブログ記事で、この記事に反応して「「目上には『了解』ではなく『承知
「その話題は、「嘘か本当か」を正確に判断する必要があるくらい重要な話題か?」というのを判断する能力、あるいは、「中途半端な状態を許容して、「あっそ、ふーん」で終わらせることが出来る能力」。 いや、最終的にはごく当たり前の話に着地するんですが。 以下は、ちょっと前の記事になるのですが、下記リンクを読ませて頂いて、なんとなく思ったことです。 「それでも、僕やあなたは、騙される」のです。 今更いちいち言う程のことではありませんが、webには勿論大小様々な話題やニュースが溢れております。そして、その中には本当のこともあり、本当といえないこともないがだいぶ偏っているものもあり、話者の恣意的な判断が大部分を占めているものもあり、嘘っぽいが嘘と断言は出来ないものもあり、はっきりと嘘であると言えるものもあります。 これは前提というか、当然の現実です。 で。実際のところ、それらの大小様々な話題の中で、「嘘か
「そうだったのか!」「今まで俺が信じていたことは間違いだったのか!」という感覚は、それが自分の根幹を揺るがすようなものでない限り、実はとっても気持ちいい。 固定観念に触れない程度の気付き、というものは快感だ。覚醒欲求、とでもいうのか。それとも真実欲求、とでもいうのか。どんなジャンルでもそうだが、大体の人は「勘違いしていた自分からの脱却」「正しい知識を得たことによるレベルアップ」という感覚にわりと弱い。 という話を、以下のようなリンクを読んで考えた。 「間髪をいれず」が殺された日 そうなんですよね。 上記の記事を乱暴に要約してしまうと、「本来言葉は変化するものであって、「正しくはこう!」などということを希求することに意味などないのに、知ったかぶって「正しい日本語」などというものを主張する輩によって言葉狩りが発生してしまう」という問題提起になる、と思う。 この問題提起については、私は全面的に賛
ここに、「野球部がなかった(ないし弱小だった)高校に主人公が入って、野球部が大躍進をする」という少年漫画が一冊落ちていたとする。 「主人公という才能を得た無名校の大躍進」というのは、スポーツ漫画の定番テーマの一つだ。多分、古今東西こういうテーマの漫画はたくさんあると思う。 多くの高校スポーツの例に漏れず、高校野球は地方大会(予選)と全国大会(本戦)に分かれている。地方大会で優勝して甲子園に行けるかどうか、というのが、物語序盤の最大のテーマ、最大のキーポイントになることは論を俟たない。主人公はその才能、ないし努力を経て自分の実力とチーム力を向上させ、当時弱小だった主人公の所属高は徐々に周囲に注目されるようになる。王道の展開である。 さて、ここで「地方大会最大のライバル」が登場する。 少年漫画の構造上、「序盤の強いライバル」は必要不可欠、欠くべからざる存在である。地方大会最大のライバルは、当初
今更感あふれる事案だが、「今更」で片づけていてはいけないような気もするので。 言うまでもなく、Webにおいて、「記事のタイトル」の重要性は物凄く高い。「ブログに人を呼ぶコツ」のかなりの部分を、タイトル付けの話が占めるくらいだ。 で、その重要性が悪い方向に利用されている例も枚挙に暇がないわけだが、直近の例を一つ挙げてみる。 【報道しない自由】京大教授「朝日と毎日の報道番組は、もはやただの思想誘導」 勿論、このタイトルは純然たる煽りタイトルであって、元ソースはおろか引用内容ですら、佐伯教授は朝日や毎日の話を出していない。「思想誘導」という言葉すら使っていない。「世論を誘導する」という言葉自体は使っているが、少なくとも報道局を限定した批判は一切ソースに含まれていないのであって、このスレタイは端的に言って「歪曲」だと言って差し支えないだろう(元記事自体ちょっと見方が一面的過ぎる気はするが、それは一
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