三菱内燃機製造(現在の三菱重工業)に入社。最先端の航空機技術を学ぶ為にヨーロッパ、アメリカへ1年半派遣された。 1932年、入社5年で設計主任に抜擢された堀越は、まだ複葉機が主流な時代において、単葉機である七試艦上戦闘機を設計。しかし試作された2機は試験飛行中に墜落してしまい不採用。 同年中に佐々木須磨子と見合い結婚。後に6人の子宝に恵まれる[1]。 1934年には九試単座戦闘機の設計・開発を進め、九試単座戦闘機では機体表面の空力的平滑化を徹底するなど革新的な設計を行い、逆ガル翼を持つ試作一号機を経て、1935年試作二号機が日本海軍初の全金属単葉戦闘機九六式艦上戦闘機として採用された。日本で初めて全面的に沈頭鋲を採用した航空機である。 1937年より十二試艦上戦闘機の設計を行う。後の零式艦上戦闘機(零戦)である。 海軍からのあまりに高い性能要求に悩み、会議において堀越は「格闘性能、航続力、