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犯罪と評論に関するkaratedouのブックマーク (5)

  • 酒井法子夫の家庭環境と転落 『ジロー』を立ち上げた父の苦悩 : ここから行こう!

    2009年09月09日11:27 酒井法子夫の家庭環境と転落 『ジロー』を立ち上げた父の苦悩 覚せい剤取締法違反で起訴された酒井法子(38)の夫、高相祐一(41)。人気ショップ『ジロー』を立ち上げた父、高相次郎(70)。高相の家庭環境と転落人生を振り返る。 → ranking (以下引用) 東京一のファッション街・表参道から、青山霊園の方向へ15分ほど歩き、高級ブディックや飲店が途切れたあたりに、レンガ色、5階建ての瀟洒(しょうしゃ)なビルがぽつんと建っている。 『スキーショップジロー』は、このビルの1階から3階まで、3フロアを占める。創業し、現在も社長として経営にあたっているのが高相次郎氏(70歳)だ。そして彼の長男が、高相祐一被告(以下呼称略、41歳)である。 (中略) 高相次郎が出したお詫びの文章 → ranking 高相次郎が出したお詫びの文章 → ranking 高相次郎が出し

    karatedou
    karatedou 2009/09/14
    よく言われる話だけど、高相祐一はどう見ても小者で、犯罪者としては酒井法子の方が全然ランクが上。
  • 無差別殺人くらいしかやることがない 2008-06-14 - planet カラダン

    秋葉原の事件、全然考えがまとまらないけどメモ。 現代日の「世間」様が守り続けるハーモニー、「諧調」にはちゃんと少数者の居場所も確保されている。少数者を「病人」として遇するような居場所。病気なのだから、ケアや対策でなんとかできると思ってる。不平不満の叫び、屈したつぶやきも、全部日常の風景に回収できる。 政治的主張も、「あの人は政治的主張が好きな人だから」のレベルで消費されてしまうから、デモやビラでは諧調が乱されることがない。 十代の女の子が手首を切ったり、赤の他人同士がネットで募って集団自殺しても、ネットという手段が問題にされることはあるけど*1、彼らの絶望が問題になることはないし、自殺なんかで諧調が乱されることはない。自殺はすでに十分多い。 現代の多数派であるところの「自称良識」が担う日社会というのは、言ってみれば「船上パーティ」のようなものかもしれない。はじめから船に乗ってない人/

    無差別殺人くらいしかやることがない 2008-06-14 - planet カラダン
  • 「観客になる」のは「非日常」から自己を守るための儀式みたいなものでは。 - 想像力はベッドルームと路上から

    当事者じゃなくなればとたんに観客になる人々ってなんだかなあ - novtan別館 このエントリの趣旨は理解するけれども、ただこうまで単純に切り捨てることはできないんじゃないのかな、とも思う。 今日のような突発的に発生した事件や事故に巻き込まれた人達は、普段、自分が「当事者」になることなど微塵も考えていない人達だろう。 そのような人達にとって、「現場の動画や写真を撮ること=観客になること」は、突然自分を襲った「非日常」から自己を守り、普段自分達がいる「日常」に戻るために必要な儀式みたいなものじゃないかと思う。 これは写真を撮っていた人達だけではなく、電話やメールで友人に状況を伝えたり、あるいは、 革命的非モテ同盟跡地 秋葉原通り魔事件 現場に居合わせた者の主観的記録 : 筆不精者の雑彙 このように「ブログエントリ」という形で自分が出くわした「非日常」をまとめている人達にも言えることじゃないだ

    「観客になる」のは「非日常」から自己を守るための儀式みたいなものでは。 - 想像力はベッドルームと路上から
  • Amazon.co.jp: いじめの社会理論—その生態学的秩序の生成と解体: 本: 内藤 朝雄

    Amazon.co.jp: いじめの社会理論—その生態学的秩序の生成と解体: 本: 内藤 朝雄
  • 「いじめ」の社会関係論

    (『ライブラリ相関社会科学3 自由な社会の条件』 1996年、鬼塚雄丞・丸山真人・森政稔編、新世社、p.319~360) 群れであることの構造的な「いきがたさ」を、人々がリアルな体験を生きることそのこととその人たち「なりの」社会秩序の存在様式とが分かち難く結合した相において、明らかにしたい。これが筆者の問題関心である。この「いきがたさ」は人類の宿痾の病とも言うべき普遍的なものであり、その置かれた社会的設定条件により様々に形を変え消長する。この「いきがたさ」の普遍的な形を、職場組織・地域社会・学校といった生活体験領域の個別の諸相からくっきり染め出す、特殊な媒体が「いいめ」である。 上記の問題関心に照らして「いじめ」を次のように操作的に定義する。①集合性の力を当事者が体験するような仕方で、②意識的・無意識的を問わず、③一方に対する他方の嗜虐的な関与が、④社会関係において構造的に現実化すること。

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