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ブックマーク / zeromoon0.hatenablog.jp (6)

  • 道徳教育についての雑感 - 無要の葉

    2015-02-10 道徳教育についての雑感 雑感シリーズ 道徳を科目化して評価する方向に進んでいるんだけど、未だに賛否両論ある。個人的には消極的な賛成というところだけれど、どうしても解せない部分を書いていく。 【小学生特有のアレ】 まぁまずないだろうとは思うけれど心配なのは小学生特有の「習ってないことは存在していないことと同じ理論」だ。例えば名前の漢字も習っているかそうでないかで漢字かな交じりのよくわからない表記になる。「一之瀬明雄」も小学三年生くらいだと「一のせ明お」と書かなくてはいけない。たとえ明雄が名前を書けたとしても提出物などに漢字で名前を書けば「他のお友達が読めない」と叱られることになる。 全くの余談だけれど、ローマ字を習う前にローマ字を覚えて、得意げにローマ字で名前を書き始めたクラスメイトがいたのを覚えている。たとえローマ字が読めなくても「英語(子どもにとってアルファベットは

    道徳教育についての雑感 - 無要の葉
    karotousen58
    karotousen58 2015/02/10
    学校の掃除時間。監視がなくても真面目にやる子、監視がなければ手を抜く子、監視関係なくサボる子、真面目だが要領が悪い為に、サボりと誤解される子、色々いる。私の受けた道徳教育は4番目の子には有害だと思う
  • 「考えすぎ」という種類のアドバイス罪 - 無要の葉

    2014-12-08 「考えすぎ」という種類のアドバイス罪 書きちらし寿司。 「容易に解決できない問題」に出会ったとき ここ数日仕事で悩んでいることがあったのでアドバイスをもらいに行った。「これこれこういうことで困っている。この状況をどう思うか。またはどうすればよいか」という問いに対して返ってきた答えは「それは君の考えすぎだね、もっとシンプルに行動しなよ!」というものだった。 いや、シンプルに行動してうまくいかないから相談してるんじゃ……。 そしてこの「考えすぎ」という言葉がずーっと引っかかっていました。うまくいかない、どうすればいいか、ああしたけどダメ、こうしたけどダメ、誰かにアドバイスをもらうか……というところでもらったアドバイスは「考えすぎ」というもの。確かに「うまくいかない」というところでスパイラルに陥っていたかなぁ、打てる手はいろいろ打ったけどダメだったからいっそ「うまくいかない

    「考えすぎ」という種類のアドバイス罪 - 無要の葉
  • 作文教育は難しいという話 - 価値のない話

    2014-09-24 作文教育は難しいという話 以下の記事を読みました。まとめると「日語での論文作成の技術英語のライティング作法に頼っている上に、大学に入るまできちんと作文教育が施されている子供がまだ少ない」ということです。実際日語で文章評価の基準が明確にされていないのがよくないのですが、大学に入るまでの作文教育は自分が「中の人」やっていた時の経験でいうと「無理」というのがあるのでその辺について書いていきます。 <a href="http://dlit.hatenablog.com/entry/2014/09/24/092924" data-mce-href="http://dlit.hatenablog.com/entry/2014/09/24/092924">国語教育とライティング教育の最近の動向についての印象 - dlitの殴り書き</a> 国語教育とライティング教育の最近の動

    作文教育は難しいという話 - 価値のない話
    karotousen58
    karotousen58 2014/09/25
    "「論理的な文章を書く」ことが意図されているつくりに"に吃驚。私の地元では、「情操教育めいた作文教育」が重視されたまま。http://www.ndsu.ac.jp/department/japanese/blog/2004/05/8.htmlのような指導が歓迎されている状態である。
  • 夏休みの宿題の話 - 価値のない話

    2014-08-27 夏休みの宿題の話 夏休みの宿題のボスに鎮座する読書感想文などについて議論があったので書いてみます。 子どもの読書感想文や自由研究を親がやることについて 簡単にまとめると「親の手伝いが入った作品でも、評価されれば精神的にプラスになるし一緒に作業することで興味関心や研究手順などを覚えるから悪いことではない」ということなんだけれど、それに対して「親の手伝いはズルだ」という意見も当然ありうるというところらしい。 自分の立場としては親の手伝い以前に「学校が指導も評価もできないものを宿題にすることそのものが疑問」という立場です。だからと言って「読書感想文自由研究はやめさせろ」ではなく、「作文指導や理科の実験助手のような専門知識のある教員を小学校にも配置して一律の指導や評価を与える」ことが問題の解決になると思っています。 現状の問題点 そもそも何故この手の課題で戸惑うかと言えば、

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  • 自分と他人の区別がつかない人の話 - 価値のない話

    2014-08-20 自分と他人の区別がつかない人の話 このブログでしばしば「自分と他人の区別がつかない」という表現をしているけれど、それがどういう意味で使っているのか書いたことがないので書いてみる。 よく家庭板とかで見るトラブルママ報告を見るたびに「この手の人はいてもおかしくない」と肝に銘じるくらい、自分はそういう人に絡まれやすい。両親いわく「お人よしで何でも言うこと聞いてくれそうな顔だから」だそうだ。実際2ヶ月に一回くらいのペースで道を尋ねられる。「地元っぽい顔」「何でも知ってそうな顔」らしいけれど、さすがに学生時代初めて池袋に着いてキョロキョロしているとき「西口はどっちですか」っておばあさんに聞かれた時はビックリした。「初めてなのでわかりません」としか言えない。今でもたまにそういうことがあるけど、さすがに慣れてきている自分が少し嫌だ。 タイトルに戻ると、「自分と他人の区別がつかない人

    自分と他人の区別がつかない人の話 - 価値のない話
    karotousen58
    karotousen58 2014/08/21
    「自閉症の人は自他の区別がつかない」という表現が誤解されているようなのでコメント。本当はhttps://dspace.wul.waseda.ac.jp/dspace/bitstream/2065/33578/1/ShagakukenRonshu_15_Miura.pdfのP.35後半あたりに出ているような意味。
  • ノスタルジアと感動の話 - 価値のない話

    2014-08-14 ノスタルジアと感動の話 まとまってないけど、思ったことを書いておく。 某ドラえもんの映画がひどいという評判を聞いて、「ああやっぱり」という風にしか思えなかった。そのへんの話は後で詳しく書くとして、今は「感動の押しつけ」ということについて考えていきたい。 いつごろからか「泣ける」と評判の話の需要がやたらと強調されるようになった。そして「感動した」「全米が泣いた」みたいなキャッチコピーに(笑)がついて微妙な捉え方をする人が増えていった。単に今は過剰供給の極みみたいなところがあると思うけれど、なんでこんなに増えたのかは最近思うところがないでもない。 この「ここで感動してください!」というのはテレビのテロップで「ここで笑ってください!」とか「ここは面白いところです!」っていう指示とあまり変わらないがする。心霊番組でも悲鳴をわざと重ねて「ここが怖いところです」みたいな紹介をしな

    ノスタルジアと感動の話 - 価値のない話
    karotousen58
    karotousen58 2014/08/15
    1970年代の初等教育では、「衝撃的な話を子供に見聞きさせて、子供のテンションを高くする→大人が喜ぶことを、感想として情緒的に発表させる」ある種の情操教育が高く評価された。この教育を受けた世代の影響力か?
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