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はてなグループの終了日を2020年1月31日(金)に決定しました 以下のエントリの通り、今年末を目処にはてなグループを終了予定である旨をお知らせしておりました。 2019年末を目処に、はてなグループの提供を終了する予定です - はてなグループ日記 このたび、正式に終了日を決定いたしましたので、以下の通りご確認ください。 終了日: 2020年1月31日(金) エクスポート希望申請期限:2020年1月31日(金) 終了日以降は、はてなグループの閲覧および投稿は行えません。日記のエクスポートが必要な方は以下の記事にしたがって手続きをしてください。 はてなグループに投稿された日記データのエクスポートについて - はてなグループ日記 ご利用のみなさまにはご迷惑をおかけいたしますが、どうぞよろしくお願いいたします。 2020-06-25 追記 はてなグループ日記のエクスポートデータは2020年2月28
≪前回より続き≫ 片岡さんは一九四七年の生まれ。一九六〇年代後半から七〇年代初めにかけて、展示会での新製品説明パネルなどのレタリングデザイナーとして、文字デザインの基本を学んだ。まだ筆と溝引きによる書き文字全盛の時代だった。その後、広告代理店のスタンダード通信社でアートディレクターとして長く活躍。やがて九〇年代に入ると、広告づくりも写真植字システムから、パーソナル・コンピュータの導入による、机上で作業がほぼ完結するデスク・トップ・パブリッシング(DTP)へと激しい変革を迎える。とくにその一連の作業システムを主導したのが、略称「マック」で知られるコンピュータ、「マッキントッシュ」であった。 ところが初期のマックは性能も現在から比べると未成熟で、書体の完成度が劣り、使用に耐えるいい書体がないというのが、書体にこだわるデザイナーが共通して抱いていた認識だった。片岡さんもそのひとりで「いい書体がな
2,蘇る活気 聖師が綾部を離れていた明治40年前後の大本は、開教以来もっとも衰微した時代であった。 出口一家は三度の食事にも事欠く有様で、時にはカシの実を拾って団子にし飢えをしのぐといったこともあり、家計をきりもみする出口すみ子二代教主の苦労は筆舌に尽くせぬものがあった。 開祖の「お筆先」に必要な筆墨はおろか、和紙を買うのにも四苦八苦で、二代教主や幹部は縄ないの手仕事をしたり、力仕事に出てやっとその日の生計をたてていた。 こうしたなかで、聖師の帰綾は教勢回復の大きな機転となった。湯浅斎次郎、梅田信之、吉田竜次郎といった有力な信徒のバックアップもあったが、その活動は目をみはるものがあった。 明治41年12月8日の秋季大祭には参拝者が約100名をかぞえた。前年の秋季大祭がわずか20名ばかりの参拝者であったことからみても、聖師の帰綾がいかに大きな活力となったかをうかがい知ることができる。 聖師は
240号(1882.1) 穎才新誌 1号(1877.3.10)−終刊不明 製紙分社→穎才新誌社 所蔵:240−503号 欠号あり 明治10年、陽其一が発行した活版印刷による日本最初の子ども向け投稿雑誌。これは明治の少年雑誌の一特色である。少年たちの作文・詩・書画などの投稿を掲載し、少年たちの大歓迎を受けた。「穎才新誌」への投稿によって文才を磨いた文学者も多く、星野天知、山田美妙、尾崎紅葉、大町桂月などの名が見られる。また、陽其一は、本木昌造を助けて、日本の活版印刷の発展に大きな貢献をした人であった。「穎才新誌」は日本の活版印刷の嚆矢であるとともに、明治10年代の青少年の意識や精神を知る上で重要な位置を占める。
『かごしま印刷史』 日本印刷・出版史の重要基礎資料 発行:鹿児島県印刷工業組合 発売:南方新社 A4判 上製本 箱入り 498ページ 定価10500円(本体10000円+税) 日本印刷・出版史上で重要な位置を占める薩摩。南北朝期の印刷、百科全書『成形図説』をはじめとした江戸期島津家による活発な事業、幕末維新期の和英辞書の刊行、金属活字印刷の開始など、日本の印刷・出版史を知るに欠かせない重要資料。 ■主な項目 第1編 薩摩版の登場(室町〜幕末) 1章 五山文化、地方へ ・『聚分韻略』の版木・薩陽和泉荘の刊 2章 薩摩版再び ・重豪、薩摩の士風改革・『成形図説』未完の大事業 3章 斉彬の出版事業 ・斉彬が遺志つぐ・洋書刊行に情熱・薩摩最初の木活字本 4章 木村嘉平の金属活字 ・洋書復刻が目的・本木昌造らに工作・電胎法に苦心 5章 薩摩初の石摺 ・胡麻所と茶屋で・岳飛と
活字(図1)は高さ23.45mmの四角い鉛合金の片面に凸状の文字がついた凸版です。文字は一字ずつばらばらになっていて,文章によって組み替えができる版です。固定されておらず,自由に動かして組むことができる(movable type)という意味から,活きている字なのです。 活字の材質は,木や銅や錫,鉛合金などの金属活字があります。朝鮮から伝わった銅活字は徳川家康の「群書類従」を印刷したことでが有名ですが,現在は使われません。本の表紙の金箔の箔押しは真鍮の凸版で押されます。木活字は金属活字が出来るまでは時々作られたものですがあまり一般的ではありません。 わがくにの金属活字は明治2年に長崎に来た上海の美華書館のウイリアム・ガンブルの指導を受けた長崎製鉄所の本木昌造,平野富二が企業化して広まったものです。 教科書に金属活字が使われたのものに,明治3年大学東校「化学訓蒙」があります。こ
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