古本屋用語と私のものさし 版元・文庫・コレクション追加 【トップページ】 赤本―あかぼんともいう。近世に出された草双紙の一種。延宝期から享保にかけて流行した赤い表紙の庶民・子供向けの本。赤本には刊記がないので、いつごろから出されたか正確には突き止められない。名称は、丹色の表紙を使ったことに由来し、半紙半截二つ折の大きさから、「ひいな本・赤い本」(元禄、享保ころ)と呼ばれる豆本が出され、さらに大判紙半截形の「中本」に行き着く。ページは5~10丁が基準。内容は、桃太郎・鼠の嫁入り・舌切り雀・文福茶釜などのおとぎ話や、浄瑠璃、歌舞伎に取材したものが多い。版元は、鱗形屋・西村など。黄表紙・合巻を導き出した歴史的意義は大きい。現在では、別の語義で、特価本・ぞっき本をさすことがある。 荒擦れ本―出版したばかりの図書にもかかわらず、古本のような感じを与える本をいう。たとえば、資料・古典ものなどの復刻、地
図書館あちこち これは1997年12月から1999年4月まで、『大東新聞』に掲載したエッセイです。付け加えなければならない部分、訂正しなくてはならない部分、いろいろありますが、今は取り敢えず、掲載された段階のままでここに載せておきます。……と、いうのも当時これを読んだ学生が「すごく面白かった」と言ってわざわざ尋ねてきてくれて、後輩に教えたらしく、「読みんでみたい」という要望が、今尚、ぼくのところにやって来たりするためです。今後は、しかし、このサイトは「日本の図書館・世界の図書館」というようなサブタイトルで、興味深い典籍を蔵する図書館などについて記し、図書館サイト・マップにして行きたいと考えています。 図書館あちこち(一) ナメクジから餞まで 人生に偶然がないとしたら、失恋もまた、ぼくを外の世界へ引っ張り出してくれるために用意されていたものだったのかもしれない。ナメクジの大群の大移動を夜中
It turns out that looking at the aggregation of billions of search queries people type into Google reveals something about our curiosity, our thirst for news, and perhaps even our desires. Considering all that has occurred in 2005, we thought it would be interesting to study just a few of the significant events, and names that make this a memorable year. (We’ll leave it to the historians to determ
『幕張サボテンキャンパス』(まくはりサボテンキャンパス)は、みずしな孝之による日本の4コマ漫画。サボキャンと略される。『まんがくらぶ』、『まんがライフオリジナル』、『まんがくらぶオリジナル』(いずれも月刊、竹書房・刊)に連載された。単行本全11巻(文庫版は全6巻)。 概要[編集] 8年にわたる長期連載で多くの個性的なキャラクターが誕生し、作者の代表作となる。千葉県千葉市花見川区幕張周辺にある架空の大学が舞台で、大学生活の日常を描いた内容。 ストーリーは主人公・柏明日香の入学から始まり、大学生活、大学職員時代、大学院生としての日々が描かれる[1]。基本的にはギャグでありながら、その端々で登場人物の友情や成長、将来の進路など学生時代特有のドラマがストーリー4コマ形式で展開し、子供から大人まで幅広い人気を得た。 キャラクターの苗字あるいは名前は、千葉県内に実在する駅名や地名をもとにしている。また
利長、利政、知好、利常、利孝、利貞、幸(前田長種室)、蕭 (中川光重室)、摩阿(豊臣秀吉側室 → 万里小路充房側室)、豪(宇喜多秀家室)、与免(浅野幸長と婚約)、千世(細川忠隆正室 → 村井長次室)、菊、保智(武田信吉と婚約)、福、他 養子:福寿院(水野忠清正室) 前田 利家(まえだ としいえ)は、戦国時代から安土桃山時代にかけての武将・大名。加賀藩主・前田氏の祖。豊臣政権の五大老の一人。俗に「加賀百万石の祖」とも称されるが、実際に前田家が百万石を超えるのは利長・利常ら利家の息子たちの世代からである。 略歴[編集] 尾張国海東郡荒子村(現・名古屋市中川区荒子)の荒子城主前田利春の四男。はじめ小姓として14歳のころに織田信長に仕え、青年時代は赤母衣衆として従軍し、槍の名手であったため「槍の又左」の異名を持った。その後柴田勝家の与力として、北陸方面部隊の一員として各地を転戦し、能登一国23万石
『ウィキペディア』創設者に非難の声――経歴の変更問題で 2005年12月22日 コメント: トラックバック (0) Evan Hansen 2005年12月22日 オープンソースのウェブ百科事典『ウィキペディア』が正確かどうかを探っていくと、行き着いた先は設立者のジミー・ウェールズ氏だった。 公開されている編集ログから、ウェールズ氏(写真)がウィキペディアの自身の経歴を18回書き換え、以前ウィキペディアの運営に携わっていたラリー・サンガー氏がこのサイトを立ち上げた1人だとする記述を削除していたことがわかった。 ウェールズ氏はまた、自身が開設した検索サイト『ボミス』の説明も何度も変更している。このサイトには、『ボミス・ベイブズ』というアダルト写真を集めたセクションがあった。 ウェールズ氏がこうした変更を行なっていたことは、ハイテク関連のライター、ロジャーズ・ケイデンヘッド氏が19日(米国時間
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