私は5、6年ほど前から多言語社会研究会のメンバーになってはいるが、あまり真面目な会員ではなく、どことなく「余所者」意識が抜けない。そのような者が大会の場で「講演」なるものを行なってよいのだろうかというおそれのようなものを感じる。しかし、せっかく大会企画者によって機会を与えられたので、いわば「風変わりな会員」による「異端の問題提起」のようなものをさせていただき、ご批判を受けて、対話と討論のきっかけとすることができればと期待している。 そこで先ず、どういう意味で「風変わり」で「異端」の会員なのかということを説明しなくてはならない。第1は単純なことで、私は若い頃からずっと言語学に憧れていたが、それは漠然たる憧れにとどまり、実際には言語学も社会言語学も本格的に学んだことはない。また語学の才能に乏しく、多数の言語をマスターしているわけではない。多数の言語を操ることのできない者が「多言語社会」について