室町幕府最後の将軍足利義昭が織田信長とともに上洛(じょうらく)を果たした永禄11(1568)年の2年前にも、2人が京に上る計画を進めていたことを示す書状が熊本市の民家で見つかり、熊本県立美術館(熊本市)などが3日、発表した。 美術館によると、書状は永禄9年8月28日付で計14通。近江矢島(現在の滋賀県守山市)に亡命していた義昭とその側近が山城南部や伊賀の武士に支援を要請する内容で、上洛のお供として信長の参陣が決まったと明記されている。 日程が決まり次第、改めて使者を送ると書かれていたが、この翌日に近江の戦国大名・六角氏の離反が発覚。義昭は近江を脱出し、書状は出されずに終わった。上洛計画も頓挫したという。