同じ期間ニートしてた:
模型メーカーのタミヤがレーサーミニ四駆を発売してから30年。かつて社会現象となったミニ四駆が、今また盛り上がりを見せているのをご存じだろうか。タミヤの社員としてミニ四駆の誕生から携わり、「前ちゃん」という愛称でブームの火付け役としても尽力した前田靖幸氏がその舞台裏を語る。 かつて日本中の子どもたちを熱中させ、累計で1億7000万台を超える販売実績を誇る「レーサーミニ四駆」。その立役者である模型・プラモデルメーカーのタミヤがレーサーミニ四駆の商品第1号を市場にリリースしたのが1986年5月。あれからちょうど30年が経つ。 2016年に入って都内で行われた公認競技会をのぞくと、レースへのエントリーだけでも3000人以上の規模となり、順次全国各地で開催されていく。実は今、またブームのうねりが高まっているのだ。1999年を最後に途絶えていた夏休みのタミヤ公認の全国イベント「レーサーミニ四駆 ジャパ
GW後半の行事として、実家のある市の例祭を十何年ぶりか(ひょっとしたら二十年以上ぶりかも知れない)で見た話を、2回にわたってエントリーに書いた。 主にスマホで撮った写真を貼るばかりで、あまり感想を書かなかった。どちらかというと、よい記憶より敬遠したい記憶の方が多く蘇ったからだ。敬遠したい記憶というのをもうちょっと具体的に書くと、「ムラの掟」とでもいうべきものだ。 実家のある市は、60年以上前にいわゆる「昭和の大合併」で成立した。元は、中心部をなす地域だけが町で、あとは全部村だった。合併から60年も経過しているのに、住人の意識には、昔の行政区分の記憶が色濃く残っている。写真を貼った例祭は、中心部の町の祭りである。実家の家族はその祭りに対してずっと、驚くほど冷淡だった。なぜなら自分たちの住む町(元の村)の例祭でないからだ。自分たちの住む町の郷社の例祭は秋にあり、そちらのほうには熱心だったような
少し前の記事だが、気になったので書き綴っておこうかと思う。 「会議に遅れられない」緊急停車中の電車を降りて線路を歩く! 法律に違反しないの? (弁護士ドットコム) - Yahoo!ニュース この人物が「会議に遅れてしまう」という理由で、本当に線路を歩いていたとするなら紛れもない社畜であることは確かだが、それ以上に、法律という社会ルールの上位に「社内ルールを位置づけていた」という認識に驚いてしまう。いつの間にか「社畜無罪」という自分勝手なルールが日本に静かにはびこっていたということだろうか。 よく思うのだが、この「社畜無罪」の傾向は昔から日本社会にあった。仕事が生活の最優先事項として扱われ、仕事を言い訳にすれば大概のことは許されてしまうというやつだ。身近な例では、待ち合わせにおける遅刻した言い訳として「仕事」を使ったことはないだろうか。 筆者も昔、日本にいた頃よくこれを使った。遅刻された相手
沖縄戦で使われた大日本帝国海軍の司令部として使われた防空壕がある。 その防空壕が旧海軍司令部壕だ。 当時の太平洋戦争最前線が沖縄。その沖縄の小禄で防空壕を建設する事になる。山の中にトンネルを掘るんだけど、そのトンネルの規模が凄い。軍隊の手だけで掘られた全長450mの坑道と部屋はまさに司令部感があった。 幕僚室で幕僚が手榴弾で自決した部屋。 手榴弾が飛び散って壁を削っている跡が生々しくも残されている。正直ゾッとした。手榴弾で自決ってあんた……。 戦時中は自決で現代では自殺。完全に主観だが、同じ死でも言葉の響きで否応無く死んだ感が強い。当時の教えでは、捕虜になるぐらいなら死を選べ!ってよく聞くけど……悲しいよな。そんな教えがまかり通るのが悲しい。とにかく陰惨な気持ちになる。 旧海軍司令部壕では1000人以上の遺骨が見つかったらしい。自決した幕僚室ではハッキリとここで人が死んだ!とわかるから寒気
大学日本一5回の名門、法大アメリカンフットボール部の運営費で数千万円の使途不明金が発生している問題で、監督を辞任する意向を示している青木均氏(68)らが練習後に部員らに対し、チクワや缶詰などを食事として数百円で売っていた疑いがあることが10日、複数の大学関係者への取材で分かった。関係者によると、仕入れ値と売値の差額分が使途不明金の一部となった可能性がある。青木氏は辞任理由について、金銭トラブルなどを否定した上で「運営上の問題はなかった」と話している。 【写真】チクワ好きの上田まりえ 大学関係者によると、青木氏から部員への食品購入は「強制に近いものだった」との証言も出ているという。部員が「食べたくない」として食品購入を断ると、青木氏の機嫌が悪くなることもあった。2014年ごろから、青木氏らが主導する形で缶詰、チクワなどを練習後に部員数十人に提供。仕入れ額を上回る額で1回の食事代として数百円
ファクトチェックです。 産経などで時折取り上げられている軍事ジャーナリストに井上和彦氏という方がいます。「日本が戦ってくれて感謝しています」という太平洋戦争に関する彼のネットや書籍での主張が妥当か、私が居住するシンガポールに関する記述を検証します。検証基準は下記です。 記述の事象は正確か (ファクトチェック) 記述の全体の位置づけが妥当か (例外や少数事象には注釈をつけるなど、一般的であるような誤解を避けているか) 記述の事象が正確かどうかや全体の位置づけの評価は、シンガポール教科書を含むシンガポール政府の記述を根拠とします。シンガポール政府の史実認識や解釈に異議があるかもしれませんが、今回の記事の視点は「シンガポール"が"、日本が戦ったことに感謝しているか」だからです。 井上和彦氏による、以下の3つの記事のシンガポールの記述を評価対象にします。 zakzak by 夕刊フジ: 【戦後70
以前はただ、新しいものを受け入れるのは億劫でそもそも興味がわかない、ということだと思っていた あんな新しいものどう扱っていいかわからん、気が進まん、という風に しかしそれは違った 自分は今まさにおっさんに近づいているが、元来変わったもの好きだし、幸い新しいものにまだ興味はある、意欲もある にもかかわらず敬遠してしまう その理由は、新しいものが「新しく見えない」からだ 若い人にとっては新しい興味をひくモノ、しかし長い時を歩んできたおっさんからすれば「昔そういうのあったな」という風に、たぶん脳みその構造上、自分の過去の経験に照らし合わせて、似たようなモノにうまくカテゴライズしてしまうんだろう そしてその「はいはいまた焼き直しね、ちっとも進歩ねーな」的知ったかぶりの態度こそ、若い世代からすればわけのわからん難癖つけて結局手を出さないおっさんそのものに見られているのだ 歳を重ねるにつれて「新しく見
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