細川政権(ほそかわせいけん)は、明応2年(1493年)から天文18年(1549年)まで存在した、日本の戦国時代における武家政権である。この時期に足利将軍の権威は弱体化していた室町幕府で、細川氏宗家の京兆家当主が管領を独占して実権を握っており、足利将軍を推戴(ときには対立)しつつも実質的に政権を担った。細川京兆家による専制であることから「京兆専制」とも呼称される。 歴史[編集] クーデターによる政権奪取[編集] 足利義材(足利義稙) 応仁の乱の最中、細川氏本家京兆家当主で室町幕府管領として大きな力を持っていた細川勝元が死去し、このことを受けて嫡男の政元が跡を継いだ。とは言え、政元はまだ7歳であり実際には後見である細川政国(典厩家)が主宰し、内衆の中から選ばれた評定衆による合議によって方針が定められた。内衆とは細川京兆家直属の家臣のことで、室町幕府の奉行衆を模した行政官的な役割を果たす人々であ
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