⇒■[社会][メモ]とか言いながら、スグにまた脊髄反射的に 10 その場に立ちあわなければ、その出来事の事実を「知る」ことは出来ないし、その出来事を「知って」しまった人は、その出来事を「客観的、全体的、歴史的に把握する」ことは出来ないのではないかと思うのです。 ちょっと若い人に刺激的な言い方になるのだが、三十年から四十年くらい生きてみると、自分の人生というのが歴史のなかに埋め込まれている、ぅあっ、俺って歴史なんだという奇妙な感触が出てくる。簡単な部分では懐古だが。それは若い世代には伝えにくい時代感覚かもしれない。 そして、その自分が歴史である、そうか、人間が歴史なのか、というところから、人は人の体験に独自の内的な歴史の感覚から耳を澄まそうとするようになる。 このあたりがうまく言えないのだが、人の話を聞くというのがコミュニケーションとかいう次元だけではなくなるし、まして真偽だの善悪の判断では