ブックマーク / www.churobird.work (23)

  • 遺跡まるごとペルガモン博物館 - 時たま、旅人

    www.churobird.work 1都市1博物館・美術館が芸術キャパシティの限界と自認しているわたしですので、初めから興味のある博物館を狙い撃ちすることに決めていました。博物館島にある早々たる施設の中で、わたしが躊躇なく選んだのはペルガモン博物館です。ペルガモン博物館には、館名の由来にもなった「ペルガモンの大祭壇」を始めとするギリシャ、ローマ、中近東のヘレニズム美術品、イスラム美術品などが展示されています。博物館島の中でもとりわけ人気が高く、というか恐らく一番人気だと思うんですが、行きあたりばったりさんの呼び声高いわたしもさすがに事前予約をして臨みました。 館内に入っていきなり目に飛び込んでくるのが、大きなイシュタル門です。大きさだけでなく、釉薬で鮮やかに発色したレンガの青色の美しさに目を奪われます。愛と戦を司るメソポタミアの女神の名を冠したイシュタル門は、バビロニア王国の首都バビロン

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  • 忠実な間欠泉「オールドフェイスフル・ガイザー」 - 時たま、旅人

    www.churobird.work いよいよ、ガイザーカントリーに戻ってきました。まずはこの国立公園で最大のビレッジがあるアッパー・ガイザー・ベイスンからスタートします。 ビレッジの中心はオールドフェイスフル。宿泊施設、レストラン、ジェネラルストアやカーリペアの出来るガソリンスタンド、郵便局、医療機関・・・なんでもありました。 アッパー・ガイザー・ベイスンには公園内で最大の目玉と言える間欠泉オールドフェイスフル・ガイザー(Old Faithful Geyser)があります。公園内で最初に名前をつけられたことを考えると「Old」は容易に想像がつきますが、「忠実な」を意味する「faithful」は、この間欠泉がかつてキッチリ45分おきに噴出していたことに由来します。さすがに45分キッチリということはなくなりましたが、1回の噴出が2分30秒以内に終われば次回は65分後、それ以上続くようなら次回

    忠実な間欠泉「オールドフェイスフル・ガイザー」 - 時たま、旅人
    katsuki0704
    katsuki0704 2019/08/02
    毎回写真が素晴らしく綺麗です!
  • ヘイデンバレーからウエストサムに見る多彩な景色 - 時たま、旅人

    www.churobird.work わたしがロッジから外に出たのは早朝というにもまだ早い時間で、周囲は真っ暗でした。周囲に点在するロッジの人々をなるべく起こさないように夜逃げみたいに静かに出発しました。こんな時間に活動しているのは、決して時差ボケのせいではなくて、これから訪れる場所で夜行性の動物たちに出会えるチャンスを期待したからです。早朝の方が人が少なくてゆっくり出来るし。 オールドフェイスフルから反時計回りでイエローストーン湖沿いをフィッシングブリッジに向かいました。フィッシングブリッジにはビジターセンターがありますが、開いている時間でもないのでそのままヘイデンバレーに向けて北上します。 早速、エルクを発見!!フィッシングブリッジからヘイデンバレーに向かうグランドループ沿いの林の中にいました。マンモスカントリーでもたくさん見たけど、あっちのエルクは人馴れし過ぎていたので、わたしを警戒

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  • 一夫多妻の家とユタ州議事堂 - 時たま、旅人

    www.churobird.work ソルトレイクシティ観光は続きます。 白い支柱が印象的なビーハイブハウスはブリガム・ヤングの自宅兼事務所として1854 年に建てられたものです。ヤングの義兄弟であるトルーマン設計の邸宅は1世紀以上前に建てられたとは思えないほど良好な保存状態でした。内部はモルモン教の歴史やヤング家の生活を紹介する博物館になっていました。 入場は無料ですが、もれなくモルモン教の宣教師ガイドがつきます。それが嫌で受付で引き返す人もいました。英語でかまわないと言ったのですが、日語の話せる方をわざわざ呼び出してくれました。アサインされたのは日人の母親を持つ若いアメリカ人女性で、研修中だというコロンビア人女性と一緒に30分ほどガイドしてくれました。 ヤングが色々な人と面会をしたという執務室です。ビーハイブ (ミツバチの巣) は勤勉を意味するモルモン教会の象徴ですが、ヤング人も

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  • レンタカーで行くボンネビル塩湖 - 時たま、旅人

    2017年9月下旬、少し遅めの夏休みを取ってずっと行ってみたかったイエローストーン国立公園を訪れることにしました。 イエローストーン国立公園は、1872年に世界で初めての国立公園に指定されました。アイダホ州・モンタナ州・ワイオミング州の3つの州にまたがる8,980㎢の広大な敷地内に火山活動による観光スポットが散在しています。さらには地上に残された数少ない手付かずの巨大温帯生態系に暮らすたくさんの野生の動植物を間近で見ることができるので、アメリカで最も人気の高い国立公園なんです。 色々と検討しましたが、念願のイエローストーンを自分のペースで楽しむためにレンタカーでのひとり旅を決行することにしました。 ところが、夏前からせっせと観光情報を仕入れていたわたしに届いた悲しいお知らせ。9月中旬から降り始めた雪のせいで公園内の道路やトレイルのあちこちが閉鎖している模様・・・。イエローストーンの9月下旬

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  • イスティクラルとジャカルタ大聖堂 - 時たま、旅人

    www.churobird.work イスティクラル・モスクは、モナス(独立記念塔)のある広場に面して建っていました。壁が格子状になった白亜の巨大な現代建築の建物は大きなドームがなければ普通のオフィスビルと変わらない形をしています。外壁には他のモスクで見かけるようなアラビア語の装飾文字が一切見当たりません。国の重要施設であることが窺える立地ですが、それもそのはず。イスティクラル・モスクはインドネシア国家がオランダからの独立を記念して1978年に建てた国立モスクなのです。だから、アラビア語で独立を意味するイスティクラルがモスクの名前になっているんですね。モスクのシンボルであるドーム屋根の直径は45m。12万人以上を収容できる規模は当然ながら国内最大、そして東南アジアでも最大、さらには世界最大規模です。世界最大のモスクがアジアにあったなんて知らなかったのですが、実はイスラム教徒人口が世界最多国

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  • 女神の支配するパラントゥリティス海岸 - 時たま、旅人

    www.churobird.work ジョグジャカルタ最終日、せっかく東南アジアまで来たので、少しくらいはビーチリゾート気分を味わいたい・・・ということで、ジャワ島の南端にあるパラントゥリティス海岸まで行ってみることにしました。 パラントゥリティス海岸へは街の南側にあるギワガンバスターミナルからローカルバスが出ています。ギワガンバスターミナルは、中長距離バスも出る市内随一のバスターミナル・・・のはずですが、田舎のロータリーみたいな場所にボロボロだけどカラフルにペイントされたミニバンが数台並んでいて、想像とは違ったところでした。バスとは名ばかりのバンに乗車し、当にこの車でたどり着けるのか・・・という一抹の不安を胸にジャワ島の南端にあるインド洋の海岸を目指して出発しました。 市内を抜けると、所々で乗客をピックアップしたり、降車させたりしながら農地や荒野が広がる東南アジアらしい風景の中をドアを

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  • 世界最大のゴシック建築 ケルン大聖堂 - 時たま、旅人

    www.churobird.work 帰国日前日、ユトレヒトから列車で2時間。空港のあるデュッセルドルフを通り過ぎてケルンに向かいました。ケルンの街の中心部に入るずっと手前から壮大なゴシック建築が見えていて、ケルン中央駅が近いことにはすぐに気が付きました。いやはや遠くから見ても大迫力。 ケルン中央駅すぐの広場から見たケルン大聖堂(ザンクト・ペーター・ウント・マリア大聖堂)の正面像です。広場の端っこまで下がってみましたが、カメラではその全景を収めることが出来ません。世界最大のゴシック建築の圧倒的迫力を表す言葉はそう簡単には見つかりませんよ。天を衝くようにそびえる2の尖塔のドイツらしい荒々しさと塔やファサードに施された装飾の繊細さが見事に共存しています。 東側が聖堂の背面になりますが、これが正面だと言われたら疑いの余地ありません。それくらい立派なんです。ちなみに現在の大聖堂は3代目。世界最古

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  • ミッフィーの故郷ユトレヒト - 時たま、旅人

    www.churobird.work アムステルダムから列車で南に30分、やってきたのはミッフィーの生まれ故郷としても知られるオランダ第4の都市ユトレヒトです。 中世の街「ユトレヒト」で、お出迎えしてくれたユトレヒト中央駅のあまりの近代的な様子にびっくりです。ユトレヒト中央駅は1973年に開業した駅舎を基に再構築されたオランダ最大の駅です。人口30万に満たないユトレヒトにあって、この駅の利用者は1日17万人以上と国内最多。オランダのほぼ中央に位置しているので接続列車の数も多く、1日あたり最大900以上の列車が発着します。つまり、この駅でトラブルや事故が起こるとたちまち国中の鉄道網が乱れるということです。ところで、わたしには駅舎がミッフィーに見えて仕方ありませんけど、気のせい? 構内の造りも機能的でした。ちなみに駅ビルにはわたしの大好きなアルベルトハイン(Albert Heijn)が入って

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  • アムステルダム国立美術館 前編 - 時たま、旅人

    www.churobird.work チューリップ、風車、ハイネケンのイメージの強いオランダですが、多くの芸術家(それも巨匠と呼ばれるレベル)を輩出していることでも知られています。ゴッホやフェルメール、レンブラントならわたしでも聞いたことある名前・・・なんだったら作品を鑑賞したことだってありますもんね。実は、アムステルダムは大小様々な博物館や美術館がある芸術の街でもあります。運河巡りに疲れたらどっぷり芸術に浸かってみるのもあり!? とは言ったものの、今回は数ある美術館・博物館の中から国立美術館一に絞って鑑賞することにしました。名だたる美術館が他にもたくさんあるのに勿体ない!とお叱りを受けるかもしれませんが、最近気がついちゃったんですけど、1都市1美術館くらいがわたしの芸術キャパシティの限界なんで・・・。 アムステルダム国立美術館は8000点もの展示物があり、中世から現代までのオランダ芸術

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  • アントワープ大聖堂でネロが最期に見たルーベンス - 時たま、旅人

    www.churobird.work フランダースの犬はアントワープ郊外のホーボーケンという架空の村が舞台になっています。そして、ネロとパトラッシュが天に召されたクライマックスシーンの舞台はアントワープ大聖堂。その聖堂内にはそこらの美術館も敵わない傑作の数々が収められていることでも知られています。ルーベンスに限ってもネロの憧れた「キリスト昇架」や「キリスト降架」だけではありません。いよいよアニメの聖地にして芸術の殿堂アントワープ大聖堂へ入ってみます。 この旅行記を読んでくださってる方はお気づきかと思いますが、わたしは芸術への造詣がゼロに近い不粋なタイプですので、深く理解する事はまずもって苦手で、基は好きか嫌いかの直感で鑑賞しています。わたしなりに見たまま感じたままを書いてみようと思っていますが、そこに異議があってもサラッとスルーして頂ければありがたいです。 大聖堂の中に入るとまず、高い天

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  • ブラボー隊長と巨人の手首 in アントワープ - 時たま、旅人

    www.churobird.work 今回、飛行機から降り立ったのはドイツのデュッセルドルフ国際空港。ここを選んだ理由は今回もいつもと同じ・・・安かったから!そこからまずは列車で15分弱のデュッセルドルフ駅へやってきました。駅の近くのバス停から最初の目的地へ向かいます。 バスで3時間弱、最初の目的地ベルギーのアントワープに到着しました。実はこの旅行は2016年4月。3月22日にベルギーのブリュッセルで空港とマールベーク駅を標的にした連続爆破テロがあったばかりでした。多数の死傷者を出したテロの直後、空港や駅にはいつにも増して緊張感のある重い警備が敷かれていて、日常を取り戻しつつある人々の表情も怒りと悲しみで曇っているように感じました。今回の旅程からベルギーを外すことも考えましたが、数日前に長らく運休となっていたデュッセルドルフからアントワープへの国際バスが再開したことを知り、恐る恐るながらア

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  • ゲルニカの悲劇にみたバスクのプライド - 時たま、旅人

    www.churobird.work ビルバオの旧市街にあるバスク鉄道駅にやってきました。旧市街にぴったりのレトロな駅舎です。ここからバスク鉄道で次なる目的地に向かいます。 バスク鉄道という名前からトロッコ列車的なレトロさを想像していたら、やってきたのは予想に反して今時の列車。ガステルガチェに行く時にも立ち寄ったベルメオに向かう途中に今回の目的地があります。 バスク鉄道45分の旅で到着したのはゲルニカ駅。駅がある辺りは街の中心地なんですが、長閑な田舎町という感じでこじんまりとした駅舎がぴったりの雰囲気。さらっとゲルニカと書きましたが、このワードに聞き覚えのある人も多いはず。真っ先に思い浮かぶのは、ソフィア王妃芸術センターに展示されている画家パブロ・ピカソの作品です。スペイン内戦中の1937年に描かれた有名な絵画で、ドイツ空軍によって史上初の無差別爆撃を受けたスペインのバスク州ビスカヤ県の地

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  • ビルバオ旧市街でバル巡り - 時たま、旅人

    www.churobird.work ネルビオン川に沿って旧市街へ向けて南下し、ホテルの近くまで戻ってきました。降りしきる雨のせいでわたしのように川沿いを歩いている人もあまりいません。 アレナル橋を渡るとネルビオン川に面して見えてくるネオバロック様式の建物がアリアーガ劇場です。ビルバオ市庁舎と同じくホアキン・ルコバの設計で1890年に開場した。これまでには火災や集中豪雨による川の氾濫で深刻な被害を受けたこともありましたが、1985年には大規模修繕工事が行われました。 アリアーガ劇場に面するように建っているのはサン・ニコラス 教会です。1756年に完成したバロック建築のカトリック教会はイグナシオ・イベロの設計です。メインファサードの中央にある鐘楼の後ろに八角形のドームが隠された正方形の外観は温かみのある壁足の風合いもあってなんとも言えない味があります。 ビルバオ旧市街は7つの通りからなってい

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  • マドリードの家庭料理と雑感 - 時たま、旅人

    www.churobird.work スペインでの最初の事はベタに前酒のサングリアと前菜の生ハムでスタートしました。すっかり忘れてしまっていましたが、スペイン事は大容量。おつまみとして最適の塩加減の美味しい生ハムもこんなにあると最終的には苦行に変わります。 マッシュルームのスープとシーザーサラダ。ヨーロッパでは良く目にするマッシュルームスープ。ただでさえキノコ好きなのに旨味成分が詰まった程よい塩加減のスープはついついパンに手が伸びてしまいます。シーザーサラダはチーズも海老もたっぷり。大容量の料理を見るたびに来日したスペイン人が日のレストランでひもじくないかちょっと心配になりますね。 入っている野菜の種類も多いエンサラダ・ミクスタ(ミックスサラダ)。玉子まで入っていてそれだけでお腹いっぱいになるボリュームです。驚いたのは、一緒に出てきたパスタが前菜だと言われたこと! 定として頂い

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  • 城塞都市セゴビアとローマ水道橋 - 時たま、旅人

    マドリードから日帰りでやってきたのは城塞都市セゴビアです。マドリードから80kmの5万5000人が暮らす地方都市には10年前に行き損ねた因縁の世界遺産「セゴビア旧市街と水道橋」があるんです。世界遺産ハンターを自称する以上、今度こそ見逃すことはできません。 セゴビア駅が郊外なので列車を諦め、安くて便利なバスを利用しました。地下鉄モンクロア駅と直結のバスターミナルから出発したバスは約1時間でセゴビアのバスターミナルに到着。ここからお目当てのローマ水道橋まで歩いて約10分です。 バスターミナルから水道橋に向かって歩き初めるとすぐにムハデル様式の教会がありました。10世紀頃に建築されたセゴビア最古の教会の一つサン・ミジャン教会です。アラゴン王国の首都ハカの大聖堂をモデルにしているのでアラゴン建築の影響を受けた味のある外観です。 レストランやカフェが並ぶフェルナンデス・ラドレダ通りの向こうの建物の上

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  • 贅を尽くしたスペイン王宮 - 時たま、旅人

    www.churobird.work 10年前にも訪れたマドリード。写真をあまり撮ってなかったこともあり、だいぶ記憶が薄れていました。おかげで?新鮮な気持ちで王道観光を楽しめました。 さて、10年前の記憶を掘り起こしてみると・・・王宮に行った記憶がないんです。なぜこんなメジャーな観光スポットをスルーしたのか・・・やっぱり思い出せません。 王宮はカサ・デ・カンポを見下ろす小高い丘に建っています。最寄駅はオペラ駅。地下鉄の出口から出るとすぐに王立劇場(テアトロレアル)がありました。1850年に落成した歌劇場は1997年のリニューアルを経て、バレエやダンスの公演、クラッシックコンサートも開かれるマドリードの文化の中枢として今なお健在です。 王立劇場の西にはホセ1世が中世以来の住宅地を撤去して造らせた立派な広場がありました。わたしは他にも理由があるはずだと勝手に思っているんですが、王宮の東側だから

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  • 聖なる泉セノーテで泳ぐ - 時たま、旅人

    チチェン・イッツァ遺跡観光を終えた正直な感想は・・・こんな密林な高度な文明を築いたマヤ人のことはとても尊敬できるけど、おどろおどろしい話が多すぎる・・・でした。彼らなりのちゃんとした理由や根拠があっての儀式なので、どんなに意味不明で残酷に見えても今の物差しで断じることは出来ませんけど、それでも心臓の弱い人はピラミッドを眺めて写真を撮ったらガイドの説明に耳を閉ざすくらいの方がいいのかもしれません。 www.churobird.work アグア・デ・ハマイカを飲んで気を取り直します。甘味と酸味があって汗をかいた後にはピッタリのハイビスカスジュースでした。 チチェン・イッツァ周辺には川や湖沼がなく、天然の湖セノーテが唯一の水源でした。ユカタン半島には推定7000ものセノーテがあるといわれていて、カンクンを訪れる人にはマストの観光スポットになっています。セノーテが出来るまでは何百万年もの時間がかか

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  • 国立人類学博物館 後編 - 時たま、旅人

    www.churobird.work メヒカ(アステカ)室はこの博物館のなかでも最大のスペースをとっていました。展示品の多くはメキシコシティの地下から発見されたものです。 かつてのメキシコシティでもあるアステカ帝国の首都ティノチティトランは湖に浮かぶ都市でした。伝説の地アストランで暮らしていたアステカ族は「サボテンの上で蛇をべている鷲がいる地」という予言に導かれて13世紀にメキシコ盆地に到着しましたが、当時のメキシコ盆地には新参者の住む場所はありませんでした。先住国の攻撃を逃れるように移ったテスココ湖の小島で「サボテンの上で蛇をべている鷲」を目撃し、小島に定着し、その地を都として国を建てました。その後、彼らは小島の灌漑を進めて農地を広げるとともに、徐々に力を蓄え、1428年には独立を果たしました。スペイン人が到来する16世紀にはメキシコ高原を支配する大帝国に成長していました。湖上に浮か

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  • テオティワカン遺跡のピラミッドに登る - 時たま、旅人

    www.churobird.work バスが向かったのはメキシコシティから約50km北にあるテオティワカン遺跡。 紀元前2世紀頃に建造されたメソアメリカ最大の古代都市はその最盛期の人口が20万とも言われています。ところが600年頃に何故だか滅亡しています。テオティワカンに対抗できるような勢力はなかった時代なのでクーデターが原因だと考えられていますが、真相は不明のままです。そして20万人もいた人々がどこに消えてしまったのか?という疑問も残ったまま。廃墟と化したこの都市遺跡を13世紀に見つけたアステカ人がテオティワカン(神々の集う場所)と命名しました。1987年には世界文化遺産にも登録されているメキシコ最大級の観光資源です。 入り口から売店や土産物屋の並ぶ通りを抜けるとさっそく遺跡が見えてきました。ここは1800年前のものと思われるジャガーの宮殿です。 遺跡に残る壁画を見ると・・・ジャガーの頭

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