古墳に関するkawakami-mas626のブックマーク (3)

  • 古墳時代はいつから始まったのか?「卑弥呼の墓」起点に一石を投じたホケノ山古墳

    ホケノ山古墳から出土した画文帯神獣鏡=奈良県橿原市の県立橿原考古学研究所付属博物館古墳時代はいつから始まったのか-。倭国の女王・卑弥呼の墓ともいわれる奈良県桜井市の箸墓古墳(3世紀後半、墳丘長280メートル)が起点というのがかつての学界の主流だった。大きな一石を投じたのが同古墳近くにあるホケノ山古墳(3世紀半ば、同80メートル)。平成12年の発掘で類例のない埋葬施設「石囲い木槨(もっかく)」や中国製の画文帯(がもんたい)神獣鏡が見つかり、弥生時代と古墳時代をつなぐ存在として注目された。出土品は今年、国重要文化財に指定。今月7日には記念講演会が開かれ、ヤマト王権誕生の謎に迫った。 「最古の古墳」求め徹底発掘

    古墳時代はいつから始まったのか?「卑弥呼の墓」起点に一石を投じたホケノ山古墳
  • 今城塚古墳は真の「継体天皇陵」 皇位継承を再現した国内最大230体の埴輪群

    大地の神を鎮めるとされる力士形埴輪=高槻市立今城塚古代歴史館力士、牛、太鼓、ニワトリ…。不思議な集団が土の中から姿を現した。これらはすべて埴輪(はにわ)。大阪府高槻市の今城塚古墳(墳丘長181メートル、6世紀前半)で国内最多の200体分以上が発掘された。「真の継体天皇陵」といわれるだけあって、人の背丈ほどある巨大な家形埴輪も出土。天皇が神に祈りをささげた祭殿とされる。大量の埴輪群は、天皇崩御に伴う厳粛な皇位継承儀礼を再現したものという。1500年前の天皇陵の姿から、現代の天皇の御代替わりの源流も見えてきた。 天皇陵とされながら、今城塚古墳ほどズタズタに傷めつけられた巨大古墳はない。戦国時代に織田信長が砦(とりで)として使い、豊臣秀吉の時代には活断層による大規模な伏見地震で墳丘が崩壊。被葬者を納めた石室は跡形もなく、後円部も上半分ほどが失われた。

    今城塚古墳は真の「継体天皇陵」 皇位継承を再現した国内最大230体の埴輪群
  • 【THE古墳】「卑弥呼超え」銅鏡103面 桜井茶臼山古墳が示すヤマト王権の産業革命

    桜井茶臼山古墳から出土した「三角縁神獣鏡」の破片=奈良県橿原市の橿原考古学研究所(恵守乾撮影)「銅鏡百枚」。魏志倭人伝は、倭国の女王・卑弥呼(ひみこ)が中国皇帝から与えられた鏡をこう表現する。象徴的な数字にも見える「百枚」。それを上回る103面以上の銅鏡が、奈良県桜井市の桜井茶臼山古墳で確認された。来は200~300面あったといい、多くても数十面といわれた古墳のイメージを覆した。 中国製だけでなく大型の国産鏡も出土。被葬者は、卑弥呼の時代から受け継いだ銅鏡とともに、鏡の国産化を進めることで「脱中国」を図り、強大なヤマト王権を目指した。その姿は、国力充実へ金属器生産を重視した「産業革命」でもあった。 卑弥呼の数世代後の王邪馬台国(やまたいこく)有力候補地の奈良盆地東南部に位置する全長204メートルの巨大前方後円墳。築造時期は、卑弥呼の時代から半世紀後の3世紀末だが、卑弥呼の影が見え隠れする

    【THE古墳】「卑弥呼超え」銅鏡103面 桜井茶臼山古墳が示すヤマト王権の産業革命
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