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邪馬台国と歴史に関するkawakami-mas626のブックマーク (1)

  • 【一聞百見】「卑弥呼は纒向に都を置いた」 遺跡から邪馬台国論争に区切り 考古学者の寺沢薫さん

    古代史最大の謎といわれる邪馬台国(やまたいこく)論争。畿内か九州か。魏志倭人伝に記された3世紀の女王・卑弥呼(ひみこ)の都はどこに-。江戸時代の朱子学者・新井白石(あらい・はくせき)以来300年以上にわたって議論されながら、決着していない。畿内説の有力候補地、奈良県桜井市の纒向(まきむく)遺跡の研究・情報発信に取り組むのが同市纒向学研究センターだ。寺沢薫所長(72)は今春「卑弥呼とヤマト王権」(中公選書)を刊行。「邪馬台国論争に一つの区切りをつけたい」との思いだった。 「邪馬台国と卑弥呼には近づくな」。考古学の道に進んだ昭和50年代、上司や先輩から厳しく言われた。遺物や遺跡をもとに歴史像を組み立てるのが考古学。魏志倭人伝という文献中心の邪馬台国論争については「口にすることもできなかった」。 卑弥呼は、景初3(239)年に中国・魏に使者を送り、親魏倭王の称号と金印を授かったと魏志倭人伝は記す

    【一聞百見】「卑弥呼は纒向に都を置いた」 遺跡から邪馬台国論争に区切り 考古学者の寺沢薫さん
    kawakami-mas626
    kawakami-mas626 2023/07/09
    大和王権の前に、後漢の後ろ盾があった北九州勢力の一強時代があったが、大陸の政治動向でそれが崩れたとする点が、これまでの邪馬台国=大和説とは異なる。
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