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2024年5月5日のブックマーク (2件)

  • 楠本イネはあのシーボルトの娘~日本初の女医として歩んだ道を振り返る

    文政十年(1827年)5月6日は、後に日初の女医となる楠イネの誕生日です。 母が日人女性で、父は外国人男性。今では珍しくもありませんが、当時は、外国と交流をほぼ絶っていた江戸時代の日です。 では、なぜイネが誕生したのか? 理由はシンプル。彼女の生地は長崎で、母・滝が、出島に出入りしていた遊女でした。 おそらくやイネの他にも、同じような出自の子供はいたでしょう。 しかし、イネの場合は父親の職業がその後の運命に大きく影響します。 なぜなら、その父とはフィリップ・フランツ・バルタザール・フォン・シーボルト。 すなわち「鳴滝塾」を作ったあのシーボルトだったからです。 ※以下はシーボルトの関連記事となります

    楠本イネはあのシーボルトの娘~日本初の女医として歩んだ道を振り返る
    kawakami-mas626
    kawakami-mas626 2024/05/05
    日本に居られなくなったシーボルトに日本人女性との間につくった娘がいたことは知っていたが、意外な後日譚だった。特に宇和島の殿様、大村益次郎、オランダから来日した異母兄弟
  • 垂仁天皇の娘、ヤマトタケルの高貴な妻フタヂノイリビメ アーカイブ「神話のなかのヒメたち もうひとつの古事記」(31)

    第7部 14代仲哀天皇① 〈帯中日子天皇(たらしなかつひこのすめらみこと)、穴門(あなと)の豊浦宮(とよらのみや)と筑紫の訶志比宮(かしひのみや)に坐(いま)して、天の下治(し)らしめしき〉 古事記は、倭建命(やまとたけるのみこと)の御子が14代仲哀(ちゅうあい)天皇として即位したことを書く。ヤマトタケルの異母弟で、仲哀天皇にとっては叔父である13代成務天皇が崩御し、皇統を継ぐことになったのだ。 もともと、12代景行(けいこう)天皇には3人の太子(ひつぎみこ、皇太子)がいた。ヤマトタケルと成務天皇になる若帯日子命(わかたらしひこのみこと)、そしてその同母弟、五百木之入日子命(いぼきのいりひこのみこと)である。この3人が娶(めと)ったの中で最も高貴な血筋は、ヤマトタケルの妃になった布多遅能伊理毗売命(ふたぢのいりびめのみこと)だった。11代垂仁(すいにん)天皇の女(むすめ)で、ヤマトタケル

    垂仁天皇の娘、ヤマトタケルの高貴な妻フタヂノイリビメ アーカイブ「神話のなかのヒメたち もうひとつの古事記」(31)
    kawakami-mas626
    kawakami-mas626 2024/05/05
    神話と歴史が混交している時代のこととて、なんとも言い難いけれど、書紀と古事記が微妙に違うことを伝えているのは気になる。