いや、すみません、ええとですね、 ゼンリンさんの地図で ぼくの田舎のあたりを見ていたら 実家の建物の後ろに 「山口材木店」てあったんですよ。
いや、すみません、ええとですね、 ゼンリンさんの地図で ぼくの田舎のあたりを見ていたら 実家の建物の後ろに 「山口材木店」てあったんですよ。
ひとつはイタリア人の友達に聞いた話なんだけど、 最近、イタリアの人たちがどんどん 料理をしなくなっているらしいんですね。 レストランで食べる料理は変わらずおいしいし、 イタリア料理はおいしいよねっていうのは イタリアでもみんなが思ってることなんだけど、 「その料理を家でつくろう」って考える人が、 どんどん少なくなってるらしいんです。 料理人の友達なんかに聞いても、 習いたいってやってくるお弟子さんが来ないんだって。 でも日本では、たとえば料理教室を開いても、 普通の奥さんとかがちゃんと、 料理を習いたいってやって来る。 おそらく、日本の人たちは、 自分たちでつくりたいし、それを学びたいんですよね。
これから社会に出ようとする人、 あるいは就職活動をしている人は、きっと、 「私は社会に出て機能していけるだろうか」って ガチガチになって心配していると思うんですけど、 会社は、社会に出たばかりの人に対して そもそも機能を期待してませんよね。 「あなたという部品がダメだったとき、 会社という機械は動かなくなるんだよ」 という脅かし方を企業はしてないと思うんです。
糸井重里がほぼ日の創刊時から 2011年まで連載していた、 ちょっと長めのコラムです。 「今日のダーリン」とは別に 毎週月曜日に掲載されていました。 金で買えないものなどのこと。 2010-01-04 モノについてでも、 いわゆる「サービス」についてでも、 だいたいは、お金で買えると思われている。 そう思われているからこそ、 「なんでも買えるお金」というものの価値が 安定して認められているわけだよな。 しかし、ぼくらは、 うすうすであれ、自信なさそうにであれ、 お金で買えないモノや、サービスがあることも、 実は知っているよ。 人は、だれにでも、 お金さえくれれば同じことをしてやる、 とはかぎらないものでさ。 「それは不公平だ」と言う人が、 すぐにでも出てきそうだから、 もうちょっとていねいに言おうかね。 たとえば、 おかあさんが、赤ちゃんにおっぱいを飲ませている。 「1万円で、それを吸わせ
そういえば、 前回、公益資本主義について話した回が ちょうど、リーマン・ブラザーズ破綻の日に 更新されたんですってね。 ※とんでもない、原丈人さん 第2部 第6回「グッバイ・ロンドン グッバイ・ニューヨーク」
伝説の番組ウゴウゴルーガの プロデューサーとディレクターのおふたりに 糸井重里がお話をうかがったのは、去年のこと。 どうしていまごろ「ウゴウゴ」? という なんでもないタイミングでした。 でも、とーっても、おもしろかった! そのウゴウゴルーガが、あたらしく DVDを出すことになったらしいのです。 しかも、ゼロからの編集で、新作も入ってる‥‥とな? 我々はふたたび、あの不思議な世界をつくりあげた人たちに 会いに行きたくなりました。 フジテレビという会社のなかで みなさんがいま、どんなお仕事をしているのか、 ウゴウゴルーガという番組が ご本人たちに与えた影響は、いかに。 キン、キン、キンキンキンキキキキキ‥‥(拍子木)。 ウゴウゴルーガってなんだ? という方は、こちらへGO! 桜井郁子さん(=テレビくん) ウゴウゴルーガのプロデューサー。 番組冒頭で「おはようございます」と登場する テレビくん
糸井重里がほぼ日の創刊時から 2011年まで連載していた、 ちょっと長めのコラムです。 「今日のダーリン」とは別に 毎週月曜日に掲載されていました。 ばかにしないということ。 2009-03-09 3月6日の『今日のダーリン』に、 「人をばかにしちゃいけない」ということについて書いた。 それまで、ずっと考えていたことが、 あ、こういうふうになら書けるかもしれないと思って、 とにかく書いてみた。 『今日のダーリン』は、その日かぎりの掲載で、 アーカイブを残さないことにしているのだけれど、 まず、ここに貼り付けておく。 ・「人をばかにしちゃいけない」というのは、 よく言われることで、これはもう、 まったくもってその通りなのです。 人をばかにしていいか悪いか、という 倫理の問題だけではなく、 人をばかにしてトクかソンかという 損得の問題だけでもなく、 人をばかにして気持ちがいいかどうか、という
その『信頼の構造』という本は その次の『安心社会から信頼社会へ』ともども、 「ほぼ日」というちっちゃな船に乗り込んで 大海へ漕ぎだそうとしていたときに 読んだんですけど‥‥もうびっくりしまして。
第22回 コンピュータは怖くなかった。 二度ほど臨時の原稿を書いてしまったので、 第18回の続きが唐突に出てくることになってしまった。 前回は、コンピュータのことを、 やや斜めに見ていたぼくの前に、 「HAL研究所」の岩田さんが登場した というところまでだった。 「MOTHER2」というゲームづくりが 行き詰まっている所に、岩田さんの登場は、 まるでスーパーヒーローのようだった。 いまではしょっちゅう会っている人なので、 いまさら彼をほめたりするのは難しいのだが、 ぼくの「脱線web革命」を語るためにはしかたがないのだ。 「MOTHER2」は、岩田さんの「見積もりどおり」に、 ドタバタしながらも完成した。 期待や不安を、おろおろしながら語り合うよりも、 「いまある現実」を、正確に把握して、 次にやるべきことを、ひとつづつ積み上げていく。 この当たり前のシステムを、 実際に組み上げて確実に実
梅田さんが書かれていたなかで すごくおもしろいなと思ったのは、 あるときから、原則として、 「自分より年上の人には会わないことにした」 っていうことなんです。 ま、今日はちょっと違いますけどね。
そうですね。 糸井さんと梅田さんが 会ったことがないというので、 一度会っておいたほうがいいんじゃないですかと。 まぁ、それだけのことなんですよね。
とうとう、10周年を迎えることができました。 1998年の6月6日から数えて、10年が経ったわけです。 いや、なにもしなくても10年は経ったのですけどね。 吉本隆明さんの 「どんなことでも、 毎日10年やり続けられたら、 一丁前になれる」 ということばを、いちばん信じていたのは、 ぼくたちだったのかもしれません。 信じるというのは、ばかのようになることです。 利口な方法や、知恵のあるやり方を探そうともせずに、 「毎日10年続ける」ということをやってきました。 いや、考えてみれば、 ばかのようにでなければ続けられませんでしたね。 そして、とうとう待ち望んでいた10年がやってきた。 ほんとうにその日が近づくとなったら、 正直なところ、ぼくはさみしいような気持ちになりました。 たのしみにする「その時」が、 「その時」からは、 なくなってしまうのですからね。 それでも、逃げたり避けたりするわけには
親鸞という人は、 世間一般で言われていることとは 逆のようなことばかりを 言っていたような人なんです。 例えば 「善人なほもて往生をとぐ、 いわんや悪人をや」 (善人ですらこの世を去って極楽へ行けるのだから、 悪人は言うまでもなく極楽へ行ける、の意味) という言葉は、テストで 穴埋め問題として出てくるような 有名な一行です。 「□□なほもて往生をとぐ、 いわんや○○をや」 □□と○○それぞれに、 「悪人」と入れるか? それとも「善人」と入れるか? たとえ正解を入れたとしても、 スッと納得できないですよね? ですから、親鸞の言っていることを もっと知りたいという気持ちが 僕たちは、強くなっていく。 そうですね、 親鸞は、言っていることがすべて 知識的に、逆説のように見えるんです。 例えば『歎異抄』 (たんにしょう・親鸞の弟子の唯円がまとめた、 親鸞の語録とされているもの) の中で、唯円が親鸞
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