イヌタロー@さいたま新都心 @saitamainutaro さいたま新都心に住む犬です。 注文住宅の民。北浦和→上尾→町屋→西葛西→江戸川橋→北浦和→さいたま新都心。子育て/フルマラソン/阪神タイガース/磯山さやか/野呂佳代/スピッツ
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フジテレビから始まった漫才ブーム 1980年代初頭に突如巻き起こった爆発的な漫才ブームは、単なる演芸ブームというだけでなく、社会のコミュニケーションモードを漫才風に変えてしまうようなある種の革命だったと言える。 「ボケ」「ツッコミ」「キャラ」「フリ」といったような芸人の世界の専門用語が一般人のボキャブラリーになり、笑えるかどうかを基準に私たちはコミュニケーションの良し悪あしを判断するようにさえなった。そしてその中心にあり、影響力をふるったのがテレビ、特にフジテレビだった。 ブームのきっかけとなったのは、「花王名人劇場」(1979年放送開始。制作は関西テレビ)というフジテレビ系列で放送された番組だった。これはさまざまな芸能の名人芸を紹介する演芸番組で、落語もあれば、『裸の大将放浪記』(1980年放送開始)のようなドラマを放送することもあった。漫才もそうした番組コンセプトのなかの一企画として放
ショッキングなことがあった。 会社に、帯広出身の同僚がいる。 わたしが他の同僚に向かって『わたしはガチで六花亭のファンなんだ』と話していた時のことである。帯広出身の同僚がぽつりと言ったのだ。 六花亭って……そんなにイイすかねえ? 瞬時に六花亭disの気配を嗅ぎ取ったわたしは、んー?と言いながら彼の方を振り向いた。 もしかすると花山薫みたいな顔になりかけた内心が表情に出ていたのかもしれない。ただならぬ気配に慄いたのか、同僚は小さな声で『いや…帯広いると子供の頃から何かってーと六花亭だから…有難みがなくて…』と宣ったのだった。 有り難がれよ!!!と、声を大にして言いたかった。 言わなかったけど。 あぁ~そうだよねえ~生まれたときから街に六花亭があるんだもんねえ~そりゃそっかあ飽きもするかあ~でも羨ましいなあ~えへへへへ~しか言えなかったけど。 ひとつだけきっぱりと伝えたことがある。 『とにかく
この番組が「真に迫る」ワケ 「下山国鉄総裁轢死事件」が起こったのは昭和24年(1949)のことである。 「下山国鉄総裁轢死事件」は、だいたい縮めて『下山事件』と呼ばれる。轢死事件と言い切るのも問題あるのだが、下山事件という呼称にも違和感がある。 昭和24年にはこの夏、この事件(7月6日死体発見)につづき、「三鷹事件」(7月15日)、「松川事件」(8月17日)と国鉄で立て続けに事件が起こる。 6週間のあいだに続けさまに起こったので「下山事件」「三鷹事件」「松川事件」と3つ並べて呼ばれることになる。 それぞれきちんと呼ぶなら、下山総裁轢死事件(ないしは下山総裁死体断裂事件)、三鷹駅列車暴走事件、松川駅・金谷川駅間列車脱線転覆事件、であって、残り2つが地名なのに、「下山」だけは犠牲者名である。少し乱暴な感じがする。それがまあ、昭和20年代らしい荒っぽさだといえば、それまでなのであるが、この呼び名
【独占】『笑点』林家木久扇の後任メンバー情報をキャッチ!息子・木久蔵や蝶花楼桃花でもない、立川流からのレギュラー出演は史上初となる真打・立川晴の輔 3月31日の放送で、林家木久扇が卒業した『笑点』(日本テレビ系)。最後のお題では観客にも黄色いタオルが配られ、会場が一体となって木久扇への感謝を叫んだ。 「木久扇さんは、1969年から55年もの長きにわたって『笑点』に出演していました。2023年8月27日に放送された『24時間テレビ』内のコーナー『チャリティー笑点』で、2024年3月をもって卒業することを発表。次の世代にバトンタッチすると宣言していました」(スポーツ紙記者、以下同) 木久扇は、誰にバトンタッチするのか。 「3月31日の放送直後に木久扇さんが生出演した『真相報道バンキシャ!』で新メンバーのことを聞かれると、座布団運びの山田隆夫さんの名前をあげてトボけていました(笑)。このところ、
記者会見で「本別フェア」の狙いを説明するJA本別町の佐野政利組合長(中央)=帯広市で2024年3月12日午後1時7分、鈴木斉撮影 北海道本別町のJA本別町が、独自の開発商品や地場産の豆を使った町内の和菓子などを帯広市の大型店で販売し、生産者や民間事業者の収益増を目指す取り組みを始めた。加速する人口減少と相次ぐ食品工場の撤退決定で町は厳しい環境下にあるが、「座して待つよりチャレンジを」(JA関係者)と、地域内で埋もれがちな逸品をPRして町を盛り上げたい考えだ。 同JAと連携して本別産品を扱うのはディスカウント店「MEGAドン・キホーテ西帯広店」。帯広物産協会の仲介で3月15~17日、同店食品売り場で「本別フェア」を開催し、その後も店内で商品販売を継続することになった。
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