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ブックマーク / www.jarchive.org (5)

  • [AKA-018] ucnv - glitchpng | 赤身レコーズ

    赤身レコーズ第18弾はucnv先生謹呈Rubyのプログラムコード!1!1 これを通すだけでPNG画像をグリッチ化! 1KB以下だけど強力デス!! 試すにはRubyのインストールが必要ですヨ パスが通ってなかったら通しておくんだヨ(WindowsMac、後は調べろ) インストールしたら「>ruby glitchpng.rb test.png」と引数にPNG画像を指定ですヨ そしたら「out.png」が出てくるんだヨ!ワーイ! なるべく色数多めでサイズ大き目のPNG画像の方がうまくいくようですヨ。試し用デカ画像 Artist: ucnv Release: 2010-11-30 download ZIP(glitchpng.rb/646byte) blogdexjp@hotmail.com

  • ポスト・フラットのはなし その4 (better)

    まったく馬鹿げた話だが、ここはもともと「ポスト・フラット」の話をするためにはじめたのだった。すぐ書くつもりが忘れていて、どうでもいい話ばかりで埋まってしまっている。これではディレクトリを/blogから/journalに変えた意味がない。 しかし「ポスト・フラット」は未だ抽象概念であって、具体例をどのように示せばいいのかも判らない。そこで止まっていた。しかし考えるだけでは何も生まれないのだ。考えるためには、考えるための道具を集めなくてはいけない。道具を集めずに考えるからいつまで経っても何も浮かばないのである。それは知っている。 そこで、もしアートの展覧会で「ポスト・フラット展」があったとして、そこにどんなものが展示されているかを考えることで埋めていくことにしよう。アートの多くは抽象概念のまま提示する媒体であるから、ポスト・フラットとは相性がいいはずだ。 「フラット」がコンテキストから開放され

  • ポスト・フラットのはなし その2 (better)

    ポストフラットとは何か。この言葉が示す対象はまだ世の中にない。だから具体例が出せず判りづらい概念かもしれない。反面、同時代を生きている人には感覚的に理解しやすい言葉だとも思っている。 この言葉がどういう意味なのかを単純に説明すると、ポストは「後」という意味だから、ポストフラットは「フラットの後」ということ。ではフラットとは何かというと「平ら」だが、ここでは平らな時代、つまり今、現代のことを示している。だからポストフラットは「現代の後」の時代、今の次に来る時代のことである。 ポストフラットな時代とは何かを語る前に、当は「平らな時代=現代」が真実かを検証するのが筋かもしれないけども、今回はそれは後回しにして必要だと感じた時に説明する。なので、とりあえず以下の前提は既に共有しているものと仮定する。 現代の文化は総じて「フラット型」であり、それを支える各人の行動様式は「新自由主義」的だった

  • ポスト・フラットのはなし その1 (better)

    ポストフラットというキーワードを意識したのは二〇〇六年七月だったと思う。自分のミニコミを作っていた時に思いついた概念で、渋谷の喫茶店で大谷能生さんにその妄想を話したことがある。当時サイトのトップページに唐突に「post-flat」と単語だけアップしたのを覚えてる人はいるだろうか。 更に具体的に言語化したのは翌二〇〇七年の五月~六月で、大谷能生さんのイベントでその話をしようと思ってまとめていたのだ(しかし筋から離れすぎるのでポストフラットの話は3分程度で終わった)。そしてその後『週刊アスキー』の書評欄で簡単な言葉の紹介をして、以降は知り合いにしか話していない。 その「ポストフラット」について、二〇〇八年ならウェブに書くのがちょうどいい気がしてきたし、もう一年以上、何をするにも頭を横切る思考の基盤になっていて、そろそろ自分の中にだけ閉じ込めておくのも我慢できない、飽きた、という個人的判断

  • ポスト・フラットのはなし その3 (better)

    ポストフラットを説明するのに、少しだけ確認しておかなくてはいけないフラット型社会──くり返すが現代のこと──の特徴がある。それは「大きな物語」と呼ばれるような思考、「何かが始まると何かが終わる」という価値観が適応できない出来事が多くなってきていることだ。 というのは、フラット化を目指している現代は「何かが始まっても前の何かも続いていく」という累積と並列化の世界だからだ。古いモノと新しいモノを同時期に体験できる──というより既にタイムスタンプの違いでしかない──、レアなモノもそうでないモノも簡単にアクセスできる、プロも素人も同じ制作機材を使える、同じ空間にいる、同じものが共有される……。そこにあるのは単なる個人史(個人視?)だ。「大きな物語」があるように思えたのは、または物事が順番に登場したように見えていたのは、自分の視野に入る「小さな物語」の塊であって、視界に入らなかった出来事や物語がこの

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