うまくいかない日に仕込むラペ 「あぁ、今日のわたしダメダメだ…」 そういう日は何かで取り返したくなる。長々と夜更かしして本を読んだり、刺繍をしたり…日中の自分のミスを取り戻すが如く、意味のあることをしたくなるのです。 うまくいかなかった日のわたしの最近のリベンジ方法。美味しいラペを…
うまくいかない日に仕込むラペ 「あぁ、今日のわたしダメダメだ…」 そういう日は何かで取り返したくなる。長々と夜更かしして本を読んだり、刺繍をしたり…日中の自分のミスを取り戻すが如く、意味のあることをしたくなるのです。 うまくいかなかった日のわたしの最近のリベンジ方法。美味しいラペを…
勢いだけで生硬な、到底面白いとは思えないネタ文章が100も200もブクマを稼ぐ。それに引き替え練りに練った自分の文章は誰にも見向きもされず野晒しになったまま数ヶ月、やがて自己憐憫から書くのに二週間も費やしたそれを消去した。ローカルからもすべて。ためらいはなかった。わかっているよ。自分に創作能力がないなんてことは。 とくに興味深いところのない有名ブロガーが思いつきのようなフレーズを適当に呟いて40も50もブクマを稼ぐ。皆が何をありがたがっているのか自分には少しも理解できなかったが、自分もそれを真似て呟いてみた。毎日欠かさず呟いていた。しかし反応はなかった。わかっているよ。自分には適性がなかった。読み返してみたらまるで狂人の呻き声みたいではないか。そこには面白がることが困難なほど真に迫った、真性の異常者が確かにいた。 ブログをはじめてから二年ほど経つ。訪問客は検索エンジンに騙されて連れてこられ
夜勤とか当直とかしているから、ひんぱんに健康診断がある。職場はとうぜん病院だから自前で健康診断をする。労働衛生の管理を雇用者に従属したスタッフがやるのって、何だか、監査が独立していない決算みたいなものじゃないかと思えるんですがね。制度としてそれでいいんですかね。 制度のことはともかくも、健康診断で大丈夫だったら勤務が続けられる。だめだったらどうなるんだろうと時々考える。NICU当直ができなくなった新生児科医をうちの病院は雇っておいてくれるだろうか。たぶん雇う余裕は無いんだろうなと思う。総枠は決まってるし、そしたら当直ができない人の分まで誰かが余計に泊まることになるし。 健康診断と言われるたびに、むかし観た仮面ライダー(シリーズのどれか)の1シーンを思い出す。悪の組織の下っ端サイボーグ(アリコマンダー?とか言ったか)がメンテを受けるシーンである。サイボーグ達がずらっと並んで寝かせられていて、
思考メモ:差別の周辺/あんたジャージでどこ行くの リンク先を読み、ふむふむ。差別ってネタよりも思ったこと、「きょうだい」は、こんなとこで口を開いているのか、と。親にはなかなか言えんだろう、ましてや友人に言うのもなかなか難しいだろう、言うこと自体がめんどくさくもなりそうだし、妙に同情されてもつき合いにくいだろうし。 「差別」ということを考えると、いろんな意味で難しいと思うし、わからないと言えばわからない。やっぱりこれはそれぞれの立場と経験というものが関係してくるのだろうと思う。 例えば障害を異質や異形ととらえたとき、生理的な違和感ということを感じる人のその感覚の存在というものは避けられないものだと思うし、それは日常的な慣れも関係してくるのだろうとも思う。どういう感覚でも、その感覚自体を「持つ」ということは自由なはず。ただ、そうした要素の感覚が生まれたのなら、それを上手に隠す、ということもまた
そもそもDQNの定義ってなんだよ。 オタクってどんなヤツだよ。 そういう傾向の奴がああいう犯罪をする? 別にそれを統計学的に分析するならともかく、不快感の理由付けに利用するなよ。 彼らの異常性を指摘する? あからさまに精神疾患な犯罪者も混ざってるだろ。DQNやオタク以前に。 オタクもDQNもとっ捕まったヤツを「アイツは馬鹿だな」とか、「あんなん俺らと違う」とか、「あのキャラじゃ犯罪もするわなw」とか、完全に排除して守りに入ろうとするじゃん。犯罪に至る前の姿は大してかわりゃしないのにさあ。そうやって臭いモノにはフタなんだな。んで最後に、「犯罪するヤツは○○じゃなくてもいつかやるもの」って結論付けるんだろ?お前らは遺伝レベルで犯罪を捉えてるのか。住基ネットとDNA検査で犯罪予備軍をガス室送り出来たら満足か?それなんて多重人格探偵サイコ? と、大塚英志に毒された部類の俺がこの記事を読んで、上のよ
悪い奴が目の前にいる。だから俺が裁く。 この世には悪い奴がいっぱいいる。だからこの世はこんなにも腐っているんだ。俺は昔からそう思っていた。だから力がついた頃から、公園や橋の下に勝手に住むホームレスをボコボコにしていた。あいつらは税金も払わずに勝手に公共の場所に住んでいる。だから悪だ。ああいう大人がいるから、日本が悪くなるんだ。そう思って見かける度にボコボコにしていた。俺は正義だった。 ある日、俺の住んでる町に、殺人犯が引っ越ししてきたことがわかった。何度か引っ越ししたけれど、いろいろな所で追い出されたあげく、今度はこの町に来たらしい。むかつく掲示板みたいなのもあるけど、こういう時には、ネットは便利だ。同じ町だけど、川向こうの地区だったので、川向こうの連れに聞いてみると、みんなビビってるらしい。当然だ。殺人犯が、しかも小さい子供も殺すような奴が近くに住んでいたら誰でもビビるだろう。だから、俺
ある朝、目が覚めると違う世界にいた。いや、違う世界だと言っても、見た目は昨日まで生きていた世界と何ら変わりがなかったので、最初はそうだと気づかなかった。では、何が違うのかと言うと、私以外の人間が全く違っていたのだ。と言っても、全員が裸で過ごす世界や、食事とセックスの概念が入れ替わった世界など、そんな嬉しいものでも、見た目でわかるものでもなかったから、最初は気づくことができなかったのだ。しかし、彼らと話してみると、いつものように話しているはずなのに、いつものようではない。もちろん、話す言語は以前と変わらず日本語であるのだけれど、言っていることがてんで理解できないのだ。よく理解できないことの例えに微分積分のようだと言うがその比ではない。むしろ私は数学は得意であったから微分積分は理解できないとは思えない。しかし、彼らが話す言語は、微分積分の例で言うと、大学院から研究者レベルの数式であった。彼らは
ある朝キリンのアゾルカが目を覚ますと、目の前にキリンの足がありました。 (おや、寝惚けているのかな。起きたんだから首を起こさなくちゃ) ところが、いくら力を入れても、 視界が横に動くだけで、ちっとも首が上に上がりません。 ざわざわと地面の草が首を撫でてとてもむず痒いです。 (どうしたことだ。何かの病気かもしれない) と、アゾルカは思いました。 そこへ、アゾルカの母キリンがやってきました。 とても哀しげな目付きでアゾルカを見下ろして、こう言いました。 「坊や、あなたの首はもげてしまったの。じきにあなたには「死」に捕らえられるわ。 キリンは首がもげたら死んでしまうの。私にはどうすることも出来ないの。 新しい子供を作るために旅立つわ。さようなら坊や」 そう言うと母キリンはアゾルカの首を置いて去ってしまいました。 首のないアゾルカの胴体は、母キリンを慕ってついていきます。 母キリンははじめアゾルカ
知的障害者と健常者の境界をご存知だろうか。制度の運用上、それは知能指数で分類されている。 即ち、知能指数が70に満たない者は知的障害者と分類されるのである。 そして、世間からは「池沼」だの「隔離しろ」だの差別を受ける身分となるのである。 ところで、知能指数とはある種の比例尺度である。 大人同士ならば、例えばIQが110ある人間は100の人間の1割増の「知能」を持っていることになる。 そして、平均は100になるように設定されている。 つまり、平均的な人から見て、「知能」が3割引ならば社会的に対等に共存できないということになる。 それが現在の制度だ。 そこで、知的障害者とは共存できない、隔離せよと主張している諸君に告ぐ。 諸君はこの制度の規定に従って「障害者」と名付けられた者を隔離せよと主張しているわけだ。 つまり、IQが3割も低い者とは共存できない、対等ではないと。 ところが何を隠そう、一度
甘えるな固めを受け続けると嫌でも自己解決能力が高まるけれど、同時に独りで出来る事の限界も徹底的に思い知らされるので「独りで実現可能かどうかを見極める能力」はもっと発達するのかも。独りでは実現不可能に思えるから仕方なく諦めたら「やらないうちから諦めるのは甘え」と言われて、そうかなあやっぱりやってみなくちゃわからないかなと挑戦してみたら、一番最初に「この部分が1人ではクリアできないから不可能」と諦めた箇所で案の定つまづいて、周りには誰もいないし助けを呼ぼうものならまた「甘えるな」と言われるに決まっているから黙って諦める(本当はやる前からわかっていたのに!)自分の横で、あっさり他人の助けを得て達成し「やっぱり人は1人では生きられないよね」的な美談を作る人の事を前のエントリのコメント欄を読んで思い出した。
http://anond.hatelabo.jp/20070118160424 喩え話。 オンボードにコミュニケーションスキル/スペックの技能が埋め込まれている奴はさぞかし便利だろう。脳や体に大きな負担をかけることなくコミュニケーションに勤しむことが出来る。 OSにコミュニケーションスキル/スペックがついている奴もかなり便利だろう。リソースを幾らか喰うことによって他の幾つかの点がおろそかになるかもしれないが、OSと喧嘩することもなく、おそらく他のアプリケーションとガタガタ揉めることも少ない。 ハードにもOSにもコミュニケーションスキル/スペックがついていない人は、アプリケーションを積みまくってコミュニケーションを補佐しなければならない。リソースを喰いやすかったり、他のアプリケーションと一層ガタガタ揉めるかもしれない。だが、脳CPUや脳メモリに大きな負荷をかければ、無理やり動かすことは出来る
ブログ(iiyu.asablo.jpの検索) ホットコーナー内の検索 でもASAHIネット(asahi-net.or.jp)全体の検索です。 検索したい言葉のあとに、空白で区切ってki4s-nkmrを入れるといいかも。 例 中村(show) ki4s-nkmr ウェブ全体の検索 ASAHIネット(http://www.asahi-net.or.jp)のjouwa/salonからホットコーナー(http://www.asahi-net.or.jp/~ki4s-nkmr/ )に転載したものから。 --- 高校の美術教師だという「ビッキーの飼い主」さんから http://iiyu.asablo.jp/blog/2006/12/03/980057#c1177608 にコメントがありました。 http://iiyu.asablo.jp/blog/2007/02/09/1173221 で、 「あ、いま
前のコラム「作品の魂をパチンコに売ってしまうような権利者は死んでしまえばいいのに」で、自らコメント欄で脱線していまい、パチンコの話になってしまった。 ワシはパチンコはしない。多分、一生することはないだろう。ワシはパチンコが嫌いだ。ワシはパチンコに偏見を持っている。ワシがどうしてそうなったのか、話してみよう。 ギャンブラーの棲み家 ワシは北九州の繁華街にあるカプセルホテルでアルバイトをしていた。カプセルホテルというと、残業で遅くなって帰れなくなったビジネスマンが、寝るだけのために泊まる簡易宿泊施設というイメージがあるだろう。しかし北九州はビジネスマンの街ではない。ギャンブラーの街だ。競輪・競馬、ボートにオートまで全部揃っている。もちろんパチンコもあり、カプセルホテルにはギャンブラー達が「住んでいた」。 パチプロの生活 パチプロの生活は意外と規則正しい。前の日、どんなに飲んだくれて帰ってきても
インプレスのwebは「PC Watch」から「Broadband Watch」までを一通り見て、あとは見ない。まぁそんな感じでした。比較的最近「家電Watch」てのが始まって、家電??とか思ってたんですが、実はこれがなかなか面白い。特に「家電製品ミニレビュー」と「やじうまミニレビュー」、あわせて2製品のレビューを近頃はほぼ毎日やってくれるのはすばらしい。家電ネタって結構あるもんなんだなぁと思います。というわけで家電Watchは時々のぞいてみることにしました。 以下がレビューのバックナンバーのURLです。「2製品とも“やじうま”じゃないのか?」って日も多い。「チン! してチップス」は気になるけど、スライスしたジャガイモを並べるのがひたすらめんどくさそうだ……。 http://kaden.watch.impress.co.jp/static/link/mini.htm しかし、自分がレビューを
【特選】 ・最近人気あるスレ 名スレは自分で探すもの と↓の更新なしの言い訳>< ・月別特選スレ ・俳句書いてけ ・みんなのうたで萌えた ・ジャムパン仕掛けた ・すげぇ発見したかも ・新ジャンル「児玉 清」 ・最強のエロゲムービー ・野菜をレイプする ・ライアンですが ・スプー 映画予告 ・クイズこれなんてエロゲ ・DELLユーザー驚愕 ・胸を隠してる女の子 ・立体的に見える画像 ・5 0 の 事 実 ・警察署でジョジョ立ち ・きんたま袋のシワ ・良かった、童貞で ・1分で絵描いてみるか ・1000行ったら生きる ・スラムオナニー ・彼氏いない女の子おいで ・ひぐらしがなくですの ・暴君ハバネロにチンコ ・酷いよ圭ちゃん…くっ… ・ガチャピンチャレンジ ・ポッポのようすが… ・孤独のカレーパンマン ・絶対に事故らない車 ・奇妙な英単語ジョジョ単 ・節子…ドロップやない ・新ジャンル「ツン辺
まいった。いや、本当にまいった。 何が参ったかというと、病気になってしまったのだ。いわゆる「うつ病」と呼ばれる病気に。 もともと4年前からパニック障害を発病し、気絶しては人に助けられる迷惑な奴だった。 うつ病という奴は人から「やる気」や「自信」を根こそぎ奪っていく。 そんな状態で、本家のダイアリーはとても更新できる状態じゃない。 最初は本家のダイアリーに書こうと思ったけど、自分がこのような状態になっていることを、いつも見ている人たちに知られたくないと、思いとどまった。 そんなわけで更新が止まりそうです…ってここに書いても仕方ないんだよな。 だけど、この病気になったことで一つだけわかったことがある。 この手の病気で知人友人を何人か失っているから、自分の中で「自殺」、それ自体が禁忌になっていた。それを肯定する村上春樹の小説は、その意味で憎んでいた。 でも実際、罹るとそういう問題ではなくなるんだ
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