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ブックマーク / blog.gururimichi.com (13)

  • 門外漢にも易しい、前向きな“政治”のお話『僕らはいつまで「ダメ出し社会」を続けるのか』感想 - ぐるりみち。

    書のメッセージを一言で要約すれば、「これからの社会には、あなたの〈ポジ出し〉が不可欠だ」、ということです。 (荻上チキ著『僕らはいつまで「ダメ出し社会」を続けるのか』P.3より) このような序文から始まる、荻上チキ著『僕らはいつまで「ダメ出し社会」を続けるのか』を読みました。 いつでもどこでも、誰かが何かにダメ出しをしていて、生きにくく感じることもある今日この頃。ネット上の過激な発言は言うに及ばず、駅前でもあれこれと声高に叫ぶ人がいる。いや、もちろんデモやスピーチは自由ですし必要な場合もあるとは思いますが、どうも言葉が強すぎて、聞くに耐えないんですよね……。 特に政治的な問題については、どこもかしこもセンセーショナルな発言ばかりが目立って、ダルい(って書くと、これも “ダメ出し” なのかもしれないけれど)。 「冷静に考えている人もいるよ!」「あんなのは一部だよ!」という指摘もわかるのだ

    門外漢にも易しい、前向きな“政治”のお話『僕らはいつまで「ダメ出し社会」を続けるのか』感想 - ぐるりみち。
  • 「個性的な文章」ってなんだろう?作文は「通念化」との戦いだ - ぐるりみち。

    「個性的な文章」ってなんだろう? 周囲の人とは違う「自分ならではの表現」への憧れ。それは、創作に携わる多くの人が抱いたことのある感情なんじゃないかと思う。特に「文章」に限って見れば、誰も彼もがTwitterやブログで文章を書いている昨今、「個性的な文体」への渇望は高まりつつある……のかもしれない。 しかし一方で、話題になった個々のツイートが「個性的」かどうかを考えてみると、必ずしもそうではないようにも見える。それどころか、むしろテンプレート的な表現のほうが拡散されやすい傾向にあるのではないだろうか。実際、日頃からタイムラインに流れてくるツイートを見ると、流行りのネットスラングや構文など、広く知られた「型」をアレンジした呟きが少なくない*1。140字という文字数制限のあるTwitterでは、そういった「型」ありきの投稿のほうが共感を集めやすいのかもしれない。 では、「短文」に対して「長文」の

    「個性的な文章」ってなんだろう?作文は「通念化」との戦いだ - ぐるりみち。
  • 「書く」を鍛える発想法「ノンストップ・ライティング」の魅力(アイデア大全より) - ぐるりみち。

    5月に『アイデア大全』を読んで以来、同書に書かれている「発想法」をいくつか試している。『アイデア大全』については下記記事で感想をまとめているので、詳しくはそちらをどうぞ。 アイデアを生み出すための手法が、42個も掲載されている書。当然、すぐに全部を実践できるはずもないので、暇なときにちょちょいと読み直しつつ試している格好。 そんな発想法のうち、継続的に取り組んでいる手法がひとつある。 『アイデア大全』を最初から最後まで読んだうえで、特に「これはぜひとも実践したい!」と感じられた手法。6月上旬から取り組むようになり、この2ヶ月以上、なんだかんだで続けられている。それどころか楽しんですらいるし、メリットと言えそうな効果も現れてきている。 それが、「ノンストップ・ライティング」だ。 スポンサーリンク テーマなし&時間制限ありのフリースタイルが楽しい! 「ノンストップ・ライティング」 あるいは「

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  • 川上量生監修『ネットが生んだ文化 誰もが表現者の時代』要約まとめ - ぐるりみち。

    角川インターネット講座4 ネットが生んだ文化 誰もが表現者の時代 (角川学芸出版全集) posted with ヨメレバ 川上 量生 KADOKAWA / 角川学芸出版 2014-10-25 Kindle Amazon 全15巻で構成される『角川インターネット講座』シリーズ。その第4巻である『ネットが生んだ文化 誰もが表現者の時代』を読みました。川上量生さんによる監修の下、序章を含めると全8章・計8人の筆者によって、「ネットカルチャー」について論じられた1冊です。 書には、ネットでもおなじみのライターやジャーナリストをはじめ、大学教授に評論家といった多彩な筆者陣が参加。同じ話題でも各々が別視点で説明しているため、多様性の権化とも言えるネット文化を多面的に捉えることのできる、“参考書”的な立ち位置のだとも言えそうです。 章ごとに筆者が異なる、しかも各章がそこそこ濃ゆい内容となっていること

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    kenjiro_n
    kenjiro_n 2016/05/11
    Webでの個人表現に対する適切なタグが思いつかないのでブログタグで代用。
  • 自分の主張を持てない、独りよがりで“個人的”なブログ - ぐるりみち。

    ブログを「メディア」と捉え、何かしらの目的を持って運営していくのは今やひとつの王道になった気がする。でもその一方で、そこで紋切り型の強い言葉を並べて「発信」していくのは疲れるし、そもそも複数人で運営されているウェブメディアに敵うはずもないと思う。 — けいろー (@Y_Yoshimune) 2016年4月7日 この辺の話を、ちょろっと。 「わかりやすさ」が重要視される、ネットコンテンツ 自分の意見をはっきりと言葉にできる人、ある物事について論理的に話すことのできる人は、(皮肉でも何でもなく)当に心の底からすごいと思う。 トークイベントの登壇者、社員の前で話す企業のお偉いさん、テレビ番組のコメンテーター、ラジオパーソナリティーなどなど。さらには、ツイキャスやニコ生、ブログやTwitterといった、数々の個人ユーザーの中にも、日頃から持論を展開して支持を集めている人は少なくない。 そんな人た

    自分の主張を持てない、独りよがりで“個人的”なブログ - ぐるりみち。
    kenjiro_n
    kenjiro_n 2016/04/11
    同意はするものの出歯亀もそれなりに世に出てきた以上自分としてはこういう態度をとり続けるのも難しいと思っています。
  • 生きづらさやコミュ障は「生きる速度」の違いで説明できる? - ぐるりみち。

    「秒速5センチメートル」予告編 HD版 (5 Centimeters per Second) - YouTube 2006年に映画『秒速5センチメートル』*1の特報を見たときの衝撃は、今でも忘れられない。わずか35秒の動画をiPodに入れて持ち歩き、何度も何度も繰り返し観ていた覚えがある。美麗な映像、切ないピアノの音色、そして、印象的なキャッチコピー。 “どれほどの速さで生きれば、きみにまた会えるのか。” 作で描かれる「速さ」とは、遠く離れてしまった想い人との文通によって生じる時差や、物理的な距離、心情の変化を示すものだと考えられる。人間関係において「すれ違う」ことはままあるが、それは物理的な「距離」のみによって可視化されるにあらず。各々が抱える想いのギャップは、こうした「速度」の違いという形でも可視化されるのだと、この作品を見てから考えるようになった。 ところで、近年は「個性」を重視す

    生きづらさやコミュ障は「生きる速度」の違いで説明できる? - ぐるりみち。
    kenjiro_n
    kenjiro_n 2015/07/05
    本論には同意はする。でも「お前がそう思うんなら(以下略)」はそういう煽りに使っちゃダメなんですってば。
  • 爪がある自慢かよ!ネットを舞台に繰り広げられる『リア充対非リアの不毛な戦い』 - ぐるりみち。

    「ネット上に『爪を切った』と書くときは、『爪がある自慢かよ』と怒りだす人に気をつけなければならない」 この一文を読んで、「なんだか聞き覚えがあるような……?」と感じた人もいるかもしれません。こちら、ちょっと前に各種SNSで広く拡散され、話題になった記事で登場した言いまわしです。 「トゥギャッチ」や「オモコロ」などのウェブメディアでおなじみ、小野ほりでい(@onoholiday)さんの記事ですね。ミカ先輩は黙っていればかわいいと思うんだ。黙っていれば。 さて、先日から読み進めております、川上量生さん監修『角川インターネット講座4 ネットが生んだ文化 誰もが表現者の時代』。その第3章の筆者が、小野ほりでいさんでした。 章タイトルは、「リア充対非リアの不毛な戦い」。ほとんど自称されることのない「リア充」に対して、自らを「非リア」と称する数多くの人たちの心性から、「リア充・非リア」の構造と問題を明

    爪がある自慢かよ!ネットを舞台に繰り広げられる『リア充対非リアの不毛な戦い』 - ぐるりみち。
  • インターネットに疲れたら、別のインターネットを探しに行こう - ぐるりみち。

    なんか、もっと、こう、自由になれないかなって思う。 最近のサイトをみても、みんな一般論しか述べていなくて、自分は間違っているだろうけれどもこう思うとか、こうしか生きられないからこう生きてる。っていうブログとかサイトがない。あっても、すぐ、“お前はおかしい”ってリプがついて、消えて行ってしまう。 (最近、ブログが不自由になってきたと思いませんか? - orangestarの雑記) 各所で話題になっている、ブログに代表される「インターネット」の話。だいたいどの意見を読んでも、「あるあるー」「わかるわー」と頷いてしまう自分だけど、インターネット歴は15年程度。「初めてのネットはギリギリで電話回線だった」くらいの経歴です。 それでもやっぱり “昔と比べて” 、現在のネットに息苦しさを感じてしまう気持ちにはなぜだか共感できてしまう。 振り返ってみれば、当時は最低限のマナーさえ守って、あとは荒らしだけ

    インターネットに疲れたら、別のインターネットを探しに行こう - ぐるりみち。
    kenjiro_n
    kenjiro_n 2015/01/06
    匿名ダイアリーの人も言っていたけど実存性あるいは肉体性からは自由にならないから探しに行くのも難しいとは思っている。
  • 「オタク」の基準とは?雑食は「なにオタク」に定義されるんだろう - ぐるりみち。

    一部で話題となっていた、こちらの記事。 「調査対象のジャンルが狭すぎない?」「消費金額が少なすぎね?」「そもそもオタクの定義がなんじゃらほい」などなどのツッコミが入っており、僕もいまいち納得できていなかったのですが、ニュースリリースのページを見て得心がいきました。 <「オタク」市場とは> 調査における「オタク」市場とは、一定数のコアユーザーを有するとみられ、「オタクの聖地」である秋葉原等で扱われることが比較的多いコンテンツや物販、サービス等を指す。 (「オタク」市場に関する調査結果 2014 - 市場調査とマーケティングの矢野経済研究所) まず、基準が「秋葉原」になっていること。そのうえで、「オタク」という言葉の定義は置いといて、それを「自認」している人がどれだけいるかという調査になっていた。それを鑑みてpdfファイルを参照してみると、結構おもしろい。 このデータを見てちょっと気になった

    「オタク」の基準とは?雑食は「なにオタク」に定義されるんだろう - ぐるりみち。
  • すべての文章は自然と「嘘」になってしまう?文章の《物語化》問題について - ぐるりみち。

    「文章力」という言葉がある。なんとなく当たり前に使っている言葉ではあるけれど、一口に「文章力」と言っても、実は複数の要素に分けられるんじゃないかしら。 自分の考えを言語化する「作文力」。それをわかりやすい言葉・伝わりやすい表現に差し替える「語彙力」や「表現力」。論理の展開、文脈などを整理し、読みやすいよう再構成する「編集力」。 そのような「文章力」を磨き、より魅力的な文章を書きたい! と思う人は、少なくないんじゃないかと思う。実際、書店に行けば、その手のハウツーはたくさん見つかりますしね。 ところがどっこい。言葉を操り、文章を時におもしろく、時に伝わりやすく編集することによって、ひとつの問題が現れてくる。それが、過剰な表現による事実との解離──文章の《物語化》と呼ばれるものです。 これは、先日読んだ『危険な文章講座』の文中で触れられていたもの。なかなかに興味深い内容だったので、今回は文章

    すべての文章は自然と「嘘」になってしまう?文章の《物語化》問題について - ぐるりみち。
    kenjiro_n
    kenjiro_n 2014/09/16
    「話を盛ること」の問題点について。
  • 「見たいものしか見ない」人間と、Twitterにおける「ノイズ」の問題 - ぐるりみち。

    先週、話題になっていた、Twitterの仕様変更。 日Twitterユーザーの反応としては、「そんなのお望みじゃないんですが……」といったものが大半っぽい。そりゃあ、見たいものだけを選んで見ていたところに、強制的に無関係なものを「見せつけられる」ようになってしまっては、あまりよくは感じないでしょう。 ただ、「見たいものだけを見る」ことに関しては、「それってどうなん?」と思わなくもない。同じ分野のもの “だけ” を消費し続けることは、マンネリ化に結びついたり、視野を狭めたり、といった影響も考えられるのではないかしら。 そんな、ネットで「何を見るか」について、ちょろっと考えながら書いてみます。 「見たいものだけを見る」ことによる弊害 「何を好んで、興味のないものを見なきゃいけないんだー!」 「リア充の意識高い系ツイートなんざお呼びじゃねえんだよー!」 「迂闊にエ口画像をふぁぼれなくなっちま

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  • 平成生まれの僕が見てきたインターネットの世界 - ぐるりみち。

    Nightmare City どうも、平成(初期)生まれです。 相当数の日人が多かれ少なかれネットに関わっているわけで、もうメディアの「ネットで話題」という言葉は「日で話題」ぐらいの意味しかない (あなたの知らないインターネット - 脱社畜ブログ) 日常的にネットに接していると、意外と忘れがちなこと。何でもかんでも “ネットで” と一括りにするのは、たしかにおかしい。考えてみれば、昔からWebサービスはそれぞれが別個のコミュニティを持ち、住み分けがされていたように思う。2ちゃんねるの「住民」に代表されるように。 たまには、自分の知らないインターネットを見にいくのも楽しいのかもしれない。 閉鎖的なコミュニティにとどまるよりは、普段からさまざまな価値観に触れていたほうがいいように思う。特にWeb上では、似通った価値観を持った人たちが自然と同じ場所に集まりやすいから。 そんななか、ふと「僕の

    平成生まれの僕が見てきたインターネットの世界 - ぐるりみち。
    kenjiro_n
    kenjiro_n 2013/11/30
    Web上の娯楽に関する歴史。これとは別にニュースなどをどういう風に摂取していたのかを知りたかったのだがどうもそういうのにはそもそも興味がなさそうな感じ。
  • 僕は「偽善」という言葉が嫌いです。 - ぐるりみち。

    photo by wstera2 「偽善」って、なんだろう。 スポンサーリンク 「偽」の「善」ってどういうこと? 僕は、「偽善」という言葉が嫌いです。 まず、「偽」の「善」ってなんじゃい? という話。自分がやった行動が「善」でないならば、それは「悪」と呼べるものだろうし、もしそれが周りから見て「偽」の物ならば、その判断基準はどこにあるのか、ということにある。 客観的な評価として、「正しい」か「間違っている」かを指摘するならまだしも、それを「偽」と表現するのはいかがなものか。 「偽」であるとすることと、「否定」することは、ちょっと違う。 否定は、「それは違うよ!」と間違いを指摘し、場合によっては正すこと。 論破してそれで終わり。あとは知らん。なんて人もいるが、否定された側が言い返し、議論になるような余地もある(それが建設的なものとなり、結論が出るかどうかは別問題)。 一方、「偽」は、「なーに

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