竹内研究室の日記 2019 | 01 |
![竹内研究室の日記](https://cdn-ak-scissors.b.st-hatena.com/image/square/f1215aed73a1dce6ada5c2fac6057a0c1df91a7c/height=288;version=1;width=512/https%3A%2F%2Fimages-fe.ssl-images-amazon.com%2Fimages%2FI%2F517mkU7HijL._SL160_.jpg)
自分は大学院を卒業して20年たつのだけれども、同期の連中の身の振り方をみると、終身雇用で会社に勤めあげる人なんて、ほんの一部。 就職した時には、東大の工学部の同期たちは、自分も含めて、いわゆる大手企業、メーカーや金融機関、商社などに就職して行った。 その時は、特にメーカーは世界の中で競争力があったし、日本メーカーの間で転職はできないとも言われていたので、就職した会社に一生勤めるのは普通だ、という認識だったと思う。 つまり、ほとんどの人は、終身雇用のつもりで、就職をしていた。 それが、20年後の今では、最初に就職した会社に勤め続けている人は、同期の中でも1/3も居るかどうか。 就職した時と、その後の展開は、全然違ったものになりました。 まず、90年代、私たちが20代の時に、金融バブルがはじけ、盤石だと思われていた、大手の金融機関がバタバタと倒れて行った。 特に、東大生は長銀に就職した人が多か
IEEE IMW(International Memory Workshop)という、半導体の不揮発性メモリの学会に参加するため、アメリカのモントレーに来ています。 竹内研からは4件の発表をします。 モントレーはシリコンバレーから車で2時間ほどと近いため、シリコンバレーの多くの企業の人が参加し、技術的議論に加えて、業界内の情報交換なども活発に行われる。 自分にとってもう一つの楽しみは、東芝でフラッシュメモリを一緒に立ち上げた、先輩や仲間に会えること。 現役で東芝に残っている人はわずかで、ほとんどの人が、辞めました。 私は大学でも東芝と協力して研究をしているのですが、いまでも、東芝と関係があるのは、私くらいでしょうね。 大半の人は、競合関係の外国企業に移りました。 東芝をやめて5年も経つのに、アメリカ人から、「なんでお前は東芝を辞めたのか?」と、頻繁に聞かれます。 毎年説明しているので、もう
電機メーカーが苦しくなる中、企業も大学も知恵を出せ、と迫られているのですが。 ・日本企業はハードは強いけれど、ソフトは弱い。 ・ハードを売るための標準化など、売るための仕組みを作ることが弱い。 ・ハードを売るための環境やコラボレーションが下手。 など、言われますね。 何か仕様が決まったものを作るのは上手だけども、何を作ったらいいかを考えるのは苦手。 また、デザインなど、新しいライフスタイルを提案するのもの下手。 なぜそうなってしまったのか。 ある技術者の言葉で、「自分は技術好きでやってきたので、そういうことを考えろと言われても苦手なんだよな」 この言葉は、今の日本のメーカーの苦しさを象徴しているような気がします。 いまや、コンピューターにしろ、テレビにしろ、エレクトロニクスの製品のスペックは十分に高い。 これ以上、スペックを上げても、対価を払ってもらえない。 だから、単にスペックを上げる技
リリース、障害情報などのサービスのお知らせ
最新の人気エントリーの配信
処理を実行中です
j次のブックマーク
k前のブックマーク
lあとで読む
eコメント一覧を開く
oページを開く