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ブックマーク / d.hatena.ne.jp/Takeuchi-Lab (4)

  • 竹内研究室の日記

    竹内研究室の日記 2019 | 01 |

    竹内研究室の日記
    kenjou
    kenjou 2016/01/30
    「負けてない」ではなく「負けたくない」と思わなければ技術の世界ではすぐに置いて行かれますよね。日々進歩して行きますから。
  • 大学を卒業して20年たつとわかる、終身雇用なんて、幻想だった。 - 竹内研究室の日記

    自分は大学院を卒業して20年たつのだけれども、同期の連中の身の振り方をみると、終身雇用で会社に勤めあげる人なんて、ほんの一部。 就職した時には、東大の工学部の同期たちは、自分も含めて、いわゆる大手企業、メーカーや金融機関、商社などに就職して行った。 その時は、特にメーカーは世界の中で競争力があったし、日メーカーの間で転職はできないとも言われていたので、就職した会社に一生勤めるのは普通だ、という認識だったと思う。 つまり、ほとんどの人は、終身雇用のつもりで、就職をしていた。 それが、20年後の今では、最初に就職した会社に勤め続けている人は、同期の中でも1/3も居るかどうか。 就職した時と、その後の展開は、全然違ったものになりました。 まず、90年代、私たちが20代の時に、金融バブルがはじけ、盤石だと思われていた、大手の金融機関がバタバタと倒れて行った。 特に、東大生は長銀に就職した人が多か

    kenjou
    kenjou 2013/06/17
    終身雇用が可能だったのは安定して経済が成長し続ける限定された時期だけの話で、企業というものが本質的に不安定な存在である以上、雇用が流動的になるのは必然なのだと言えるでしょう。
  • パイオニアをリスペクトするシリコンバレーと、リスペクトしない日本。頑張った人は残るシリコンバレー、頑張った人から辞めていく日本。 - 竹内研究室の日記

    IEEE IMW(International Memory Workshop)という、半導体の不揮発性メモリの学会に参加するため、アメリカのモントレーに来ています。 竹内研からは4件の発表をします。 モントレーはシリコンバレーから車で2時間ほどと近いため、シリコンバレーの多くの企業の人が参加し、技術的議論に加えて、業界内の情報交換なども活発に行われる。 自分にとってもう一つの楽しみは、東芝でフラッシュメモリを一緒に立ち上げた、先輩や仲間に会えること。 現役で東芝に残っている人はわずかで、ほとんどの人が、辞めました。 私は大学でも東芝と協力して研究をしているのですが、いまでも、東芝と関係があるのは、私くらいでしょうね。 大半の人は、競合関係の外国企業に移りました。 東芝をやめて5年も経つのに、アメリカ人から、「なんでお前は東芝を辞めたのか?」と、頻繁に聞かれます。 毎年説明しているので、もう

    kenjou
    kenjou 2013/05/28
    ソニー創業の動機って優秀な日本のエンジニアたちの能力を活かせばすごいことができるのではないか、というものだったそうですよ。大企業化した今の日本の電子業界からは消えた発想なのでしょうね。
  • 単に技術が好きなだけでは、食べていくことが難しい時代になったのか - 竹内研究室の日記

    電機メーカーが苦しくなる中、企業も大学も知恵を出せ、と迫られているのですが。 ・日企業はハードは強いけれど、ソフトは弱い。 ・ハードを売るための標準化など、売るための仕組みを作ることが弱い。 ・ハードを売るための環境やコラボレーションが下手。 など、言われますね。 何か仕様が決まったものを作るのは上手だけども、何を作ったらいいかを考えるのは苦手。 また、デザインなど、新しいライフスタイルを提案するのもの下手。 なぜそうなってしまったのか。 ある技術者の言葉で、「自分は技術好きでやってきたので、そういうことを考えろと言われても苦手なんだよな」 この言葉は、今の日のメーカーの苦しさを象徴しているような気がします。 いまや、コンピューターにしろ、テレビにしろ、エレクトロニクスの製品のスペックは十分に高い。 これ以上、スペックを上げても、対価を払ってもらえない。 だから、単にスペックを上げる技

    kenjou
    kenjou 2013/04/05
    そのために大学には教養課程があったわけなんですけどね。
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