ヨコジュンの紹介してる物しか読んだ ことないが、、、押川春蔵だったけ? まず何か面白い物教えて呉れろ。
ヨコジュンの紹介してる物しか読んだ ことないが、、、押川春蔵だったけ? まず何か面白い物教えて呉れろ。
映画観て唖然とした。ただただびっくりした。 何が? ブレラン。 いまさらのブレランだし、ファイナル・カットとか言っても、まあ完全版とかディレクターズカットとかいろいろ観てきましたし、驚きはもはやないだろう、何よりこういうパッケージの発売にともなって、イベント的にまた劇場でこれを観られるというのが幸福なことであってね、とかそのくらいにしか考えていなかったわけですが。 いや、これ、なんちゅうか、割と壮絶。洒落になってない。凄まじすぎる。 いままでのデジタルリマスターを見てきた感じで、まあ、フィルム傷とかね、あと当時の35mmフィルムの粒状性の限界から来るフィルムノイズとかね、そういうのはデジタルで取るだろう、とそれくらいにしか考えてなかったんですよ。最初のラッド・カンパニーのこの木何の木なロゴや、その後に続くタイトルとスタッフクレジットの文字とかが妙にくっきりぱっきりしているのを観たときもね、
理論上はありえても物理的にありえない死に方とか(笑) 例えばブラックホールに落ちた人は一瞬で何キロもの原子の糸状になるとか(笑)
日本人によるSF評論のアンソロジーだが、論争に関わった論文だけを集め、そこからSFの歴史を俯瞰する、という方針で編集されている。評論集でありながら、日本SF大賞を受賞した大作(値段も5000円超!)。年代も発表媒体もバラバラな論考が集められているものの、様々な論者によって小松左京、ハインライン、そして安部公房への評価が繰り返しリフレインされ、全体を通す芯のようになっているのが面白い。 それにしても、ここまで自らの定義について議論を繰り返してきたジャンル文学というのは、他に無いかも知れない。まさに論争がSFを育んだ、というところか。ただ正直な所、今の自分の意識としてはこの自意識過剰ぶりが、ちょっとうっとおしい。ニューウエーブ論争あたりは特にそう感じるのだが、これらの論文がかもし出してる「雰囲気」に、とても辛いものを感じてしまう。個々の作品やニューウェーブ運動総体の成果としては評価するのだけれ
ARTIFACT@ハテナ系 - SFファンヘイト論は世代闘争 http://d.hatena.ne.jp/kanose/20070307/sffan 10代のころは熱心なSFファンだったが、いまでは「ごくたまに読むだけ」になった者として、ちょっと補足。もともと日本のSFは、草創期から激しいイデオロギー闘争が繰り広げられていた。『SFマガジン』初代編集長の福島正実は「SFは単なる娯楽読み物ではなく、新しい文学作品でなければならない」という強い信念の持ち主で、福島正実とともに初期『SFマガジン』を支えていた批評家の石川喬司は政治的には左派だと公言しており、ハインラインの『宇宙の戦士』を「どんなにストーリーが面白くても、軍国主義を礼讃する作品は認められない」と評し、読者投稿欄を巻き込んだ大論争に発展した。何しろあの筒井康隆でさえ、「作風がブルジョワ的すぎる」という理由で『SFマガジン』本誌にはな
これは以下の日記の続きです。 →本や映画の批評は知識のない「自分語り」レベルじゃ単なる「感想」だよ 以下のところから、 →ハイウェイ惑星ネット(デュマレスト・サーガ風) あとhttp://www.sf-fantasy.com/magazine/interview/010402.shtmlにある徳間デュアル文庫で復刊されたときの著者インタビューによれば、福島編集長はこういったハードSFが超お好きでしたとのことです。 以下のところへ。 →著者インタビュー<石原藤夫先生> [雀部] 「ハイウェイ惑星」が掲載されてから、石原先生の短編が次々とSFマガジン誌上を賑わせるようになったのですが、当時の編集長の福島正実さんは、こういうハードSFは、お好きだったんですか? [石原] 超お好きでした。 いっぱんに当時のSF関係の人たちは、書くものは文系であっても、理系のことに理解のある人たちばかりだったと
アカデミズムの人たちが本や映画について語っているテキストはなぜかたいてい退屈で、それは高校生ぐらいまでのときはぼくの頭が悪いせいなんだろうと思っていたんですが、小林信彦とか石川喬司とか双葉十三郎とか和田誠といった人たちの作品レビュー本を読んで、「アカデミズムな人は、数少ない読んだ本で自分語りをしたいだけなんだ」ということがわかりました*1。狭い穴(深いことは深いけれども)と少ない素材(素材的には美しかったり新しかったりするけれども)で、自分たちの知識の乏しさを隠している。ぼくは人の話を心のこもらないやりかたで聞くのは嫌いではないのですが、十分な知識と斬新な見方で何かを言ってくれる人のほうが興味深いわけです。 ええと、あんまりいい例が思い浮かばないんだけど、SFマガジンという、今では日本でひとつしかないSF*2雑誌がありまして、1960年代は福島正実という人が編集長でした。小松左京や筒井康隆
11月4日、「アキバ・ロボット運動会」会場にて、「ハヤカワSFセミナー・SFにおける人間とロボットの愛の歴史」と題してSF作家の山本弘氏による講演が行なわれた。司会は早川書房「S-Fマガジン」編集長の塩澤快浩氏。 山本氏は今年5月、ロボットや仮想現実を扱ったSF『アイの物語』(角川書店)を出版した。舞台は数百年後、機械に支配された地球。アイビスという名前の戦闘用女性型アンドロイドが人間の少年に対して「物語」を語るという形式をとった連作短編集だ。ロボットが知性を獲得していった経緯や、なぜ人類が衰退していったのか、アイビスがなぜ女性型で戦闘用ロボットなのかといった謎は、徐々に明らかにされる。バラバラの時期に発表された短編を一本のストーリーとしてまとめたこの作品は、SFファンや評論家たちから高く評価されている。 人間そっくりのロボットを作りたいという物語は、昔から繰り返し語られてきた。「ロボット
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