今朝の朝日新聞に、阪大の研究室が550万円の研究費を「流用」したという記事が出ている。 まるで「風物詩」のように、時々このような記事が出る。その度に、私は二つのことを考える。日本の「官」 の杓子定規の駄目さ加減と、日本の新聞の浅薄さである。特に後者はジャーナリズムの名に値しない。 中には、真に悪質なケースもあるかもしれない。しかし、大抵の場合、研究費の「流用」として報じられるのは、日本の文部科学省、JSTなどの研究費が余りにも使い勝手が悪いことの副産物に過ぎない。 たとえば、秋葉原に行って、実験に必要な器具を臨機応変に現金で購入するということができない。「費目」というのが決められていて、異なる費目に使えない。研究というものは、流動的なもので、当初のもくろみとは異なることにお金を使う必要があることもある。むしろ、そのような研究の方が、ドラマティックな進展が見られることが多い。しかし、予算申請