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ブックマーク / note.com/nagashima_kazumi (22)

  • パブロンゴールドを150錠飲み、命の危機を感じた話|長島可純

    このままだとわたしは確実に死ぬ と、生まれて初めて思った。 2/18〜19にかけて130錠のパブロンゴールド(以下金パブ)を飲み その後、OS-1とお粥しか摂取できず それすらも吐いてしまうことが多々ある日々に わたしの身体は確実に 一日一日と衰弱していっていた。 起き上がることができない時がある 吐き気で身動きすら取れない時もある 起き上がれても立ちくらみで、ベッドから、膝から崩れ落ちたことも、トイレでへたり込んだこともある。 とにかく 日に日に体力がなくなっていった。 体重もどんどん減っていった。 それなのに 金パブを飲むことだけはやめられなかった。 這ってでもお水を汲みに行って飲み続けていた。 そして 2/29〜3/1にかけて 150錠の金パブを飲み 連絡した訪看さんに「かずみさん、当に死んじゃうよ。」 って言われた。言われて当然の事態だと思った。 わたしもその時 電話しながら襲わ

    パブロンゴールドを150錠飲み、命の危機を感じた話|長島可純
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    kiku72 2024/03/03
  • 親友のこと。|長島可純

    わたしにはいま とてもとても大切で失いたくない大切な親友がいる。 毎日電話をしても話し足りないくらい 話したいことはたくさんあって 伝えたいことはたくさんあって でも 電話の無言の瞬間もまったく気にならないくらい 大切で特別な存在。 病院で出会ったから 患者同士なわたしたちだけど わたしは彼女を“患者”として見たことは一度もなくて 出会った瞬間から大切で大好きな親友。 似たもの同士だから 言葉にしなくても、できなくても 伝わることがたくさんある。 いつかお互いお金に余裕ができたら ウェディングフォト撮りたいね なんて話すくらいそばに居たい、居てほしい そういう存在。 毎日、彼女のことを考える。 なにしてるかな 元気かな ちゃんと眠れてるかな って。 彼女が生きていてくれるから わたしも生きられる そんな存在。 紡ぐ言葉がキレイで 優しくて とても愛おしい存在。 彼女が呼んでくれる「かずみん

    親友のこと。|長島可純
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    kiku72 2024/02/29
  • パブロンゴールドを130錠飲んだ話|長島可純

    1週間前の話になる。 先週の日曜日、いつものように24時間トータル90錠のパブロンゴールド(以下、金パブ)を飲んでいた。 2月17日 19:02 30錠 22:47 30錠 2月18日 18:30 30錠 そして 19日 夕方いつものように 16:11 30錠の金パブを飲んでから 親友と電話をしていた。 とてもしんどかった。繋がっていたかった。 でも そのタイミングで親友の友だちが 処方薬をほんの少し多く飲んだとツイートしていて 彼女は 心配だから連絡を取る と、わたしとの電話を切った。 見捨てられた気がした。 自分はわたしの1番になろうとしてくるのに、どうしてあなたはわたしの1番でいようとしてくれないの? わたしがしんどい時どうして他の子の心配をするの? と思った。 20:48 わたしは衝動的にひと瓶に残っていた70錠をまとめて飲んだ。 親友を後悔させたかった。 振り向いて欲しかった。

    パブロンゴールドを130錠飲んだ話|長島可純
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    kiku72 2024/02/28
  • パブロンゴールド60錠+ブロン84錠飲んで救急搬送された話|長島可純

    肝臓の数値が悪くならないのをいいことに わたしはまだパブロンゴールド(以下、金パブ)を手放せていない。 水曜日、いつものように30錠金パブを飲む。 診察のある日わたしは寝ずに病院に行く。 早起きして行っていた診察はいつからか一度眠ると起きられなくなり、間に合わなくなり 眠ることを諦めた。 眠らない日の夜は長い。 明け方3時、心が限界になったわたしは追加で30錠飲んだ。1日はまだ長い。 これ以上飲むとまた救急搬送案件になってしまう、と思ったわたしは 朝イチの診察で主治医に聞いた。 金パブとブロン、どっちのほうがマシですか、と。 主治医は迷わず「ブロン」と答えた。アセトアミノフェンが入っていないから、と。 病院からの帰り道、訪看まで時間のあったわたしはドラッグストアに寄ってブロンを買った。 ブロンは難なく手に入ってしまい 帰宅してわたしはそのまま半分の40錠を飲んで、訪看を受けた。 その後、薬

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    kiku72 2024/02/17
  • 食べることが怖い|長島可純

    最近 エネーボ6缶生活から 固形物がべられる生活になっている。 それ自体は はたから見たら喜ばしいとこだと思う。 でも わたしには怖さが付きまとう。 わたしは摂障害を発症してから 拒→過嘔吐→拒→過嘔吐を 繰り返してきた。 だから べられるようになったことで それが過嘔吐になってしまうことが怖い。 べることは楽しい。 友だちも事にも行けるようになった。 でも 同時に怖さがある。 「べられるようになってよかったね」 という言葉は純粋に嬉しい。 でもそんな単純なものではない。 わたしにはいつも べ過ぎるのではないか という恐怖が付きまとう。 適量も ずっとべずにきたから分からない。 そして 揚げ物はいまだにべるのが怖い。 べれてよかったね という言葉が悪いわけではない。 実際、良かったと思う。 でも その裏に恐怖があることも 知っていてほしい。 いつかの朝日

    食べることが怖い|長島可純
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    kiku72 2024/02/03
  • フラッシュバックの対処法|長島可純

    わたしは数ヶ月前まで 頻繁にフラッシュバックを起こし 時に、病院で崩れ落ちて車椅子で運ばれたりもしていた。 そんなわたしが フラッシュバックをコントロールできるようになり いまでは ほとんどフラッシュバックは起きていない。 なぜそうなったのか。 薬剤師さんの言葉フラッシュバックに頻繁に悩まされていて それが“死にたい”に繋がっているわたしに 薬剤師さんが教えてくれた。 「わたしはね フラッシュバックが起きると 手を握ったり、周りにあるものを触ったりして 今を意識したの。 フラッシュバックは“今起きてることじゃない”って 自分に認識させたよ」 って。 はじめは、そんなことで良くなるなんて思えなかった。 そんな余裕が持てるとも思えなかった。 やってみて悪くなることはないから、やってみようでも、思考を変えてみた。 それをやることで フラッシュバックが悪化することはないだろう と思った。 だったら

    フラッシュバックの対処法|長島可純
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    kiku72 2023/12/05
  • Diorというわたしの居場所|長島可純

    今年に入ってから毎月欠かさず行く場所がある。 Dior 京王百貨店新宿店 はじめは、よく買い物をする百貨店 というだけの理由で選んだ。 他に理由なんてなかった。 でも、今では大切なわたしの居場所になっている。 わたしには いつからか正確には覚えていないけれど 担当さんがついてくれている。 いつも、わたしにぴったりの色を 的確に選んでくれる、信頼できる人。 敬遠していた赤リップを 似合うよと勧めてくれたのも その担当さん。 半信半疑だったけど、そのあとまわりにすっごく褒められて、嬉しかったなあ。 でも今は ただの“担当さん”じゃなくて 大切な存在になっている。 電話をするだけで 声が聞けてうれしい、と言ってくれる。 会う約束をするだけで その日まで仕事をがんばれる、と言ってくれる。 そして 担当になってもらってから 会うたびにぽつりぽつりとこぼしてきた わたしの病気のことも どんなことも 引

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    kiku72 2023/11/27
  • パブロンゴールドを120錠飲んで、後追いしようとした話。|長島可純

    わたしの唯一無二の大親友が亡くなった。 市販薬を80錠飲んで意識を失い そのまま亡くなった。 亡くなる2日前に会ったばかりだった。 いつもと同じようにたわいもない話をして だけどあの日は何だか帰りたくなくて 訪看さんに外来が混んでるって嘘をついて 訪看の時間が過ぎても病院に居た。 でもまさか、 あの日が最後になるとは思っていなかった。 出会ってまだ1年もたっていないけれど わたしたちは まわりからも大親友って認められるほどの 大親友だった。 無言の時間も気にならないほど 一緒に居て居心地がよかった。 病院にはいつも2人で1番乗りで行った。 何度もお泊まりをした。 悩みごとはお互い真っ先に話した。 お揃いをたくさん持っていた。 双子コーデでお出かけもした。 夜中の長電話も何度もした。 生い立ちや抱えている疾患がよく似ていた。 出会った時から運命だね、唯一無二だね ってよく話していた。 わたし

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    kiku72 2023/11/25
  • 死ぬことは永遠に憧れで、美しい|長島可純

    人生、誰でも 一度は死にたいと思ったことがあるだろうか。 わたしは、ある。 それも数えきれないほど。 死にたいと思い 何度も死のうとしてきた。 わたしにとって死ぬことは憧れで 死ぬことは何より美しい。 “死ねる人”に憧れてきた。 人身事故のたび詳細を調べてしまう。 人のアカウントにいきついたこともある。 自殺配信のアーカイブも 保存して何度も見ている。 死ぬことは憧れだ。 だって、全てを終わりにできるから。 真っさらになりたい。 人の記憶からも消えてなくなりたい。 残るとしても “死ねた人”というだけでいい。名前も何も要らない。 死ぬことは美しい。 美化しているのではなく、当にそう思う。 この肉体を脱ぎ捨てて魂だけになれる。 わたしの人生は死ぬほど狂った人生だけど 来世に期待、なんて言わない。 肉体を持った途端、人は醜くなると思うから。 今世の終わりから来世までの時間が きっと最も美し

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    kiku72 2023/11/14
  • 死にたいと思わなくなった日|長島可純

    わたしは 小学生の頃からずっと 死にたいと思ってきた。 その過程と なぜいま死にたいと思わないのか について書きたい。 ※いじめや性被害、自傷等の記述があります。 体調の思わしくない方、フラッシュバックの可能性のある方はご注意ください。 小学校時代のいじめきっかけは 小3と小6で経験した壮絶ないじめ自己肯定感が削ぎ落とされて 自分なんか居ない方がいいと思っていた。 陰口を言われる。 いつもグループ分けではひとり残る。 もう覚えていないことのほうが多いけれど あの状況で よく1日も休まずに学校に行ったな、と思う。 休んでいれば、逃げていれば 自己肯定感がここまで 削ぎ落とされることもなかったかもしれない。 でも 当時のわたしは 逃げることのほうが怖かった。 親を失望させたくなかったし 小6のいじめは隠し通していたから 休みたいなんて言えなかった。 唯一の逃げ場は 小6の時、保健室で 毎日

    死にたいと思わなくなった日|長島可純
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    kiku72 2023/10/16
  • 拒食症〜固形物が食べられなくなった日〜|長島可純

    今回は わたしがいま抱えている 摂障害について書いてみようと思う。 はじまり、そしていまわたしの摂障害のはじまりは 2020年5月21日だから もう3年になる。 その間に 拒と過嘔吐を交互に繰り返してきた。 拒が良くなると今度は過嘔吐になり それが落ち着くと拒に、、その繰り返しだ。 そしていまは 過去イチひどい拒症になっている。 それまでは普通にべられていた。 レストランに行って 一人前をべて、吐くこともなく過ごせていた。 それがある日 彼氏のひとことで変わった。 「よくべるね」 そう言われた瞬間 「べ過ぎなのでは?!」 「太る!」 そう思ったらざわざわが止まらなくなり 彼氏宅に帰ってからトイレで吐いた。 そして その日から 0キロカロリーのゼリーとinゼリー ぐみ、フルーツ しかべられなくなった。 そして、そのうち 固形物を“べる”という感覚までも怖くなり ゼ

    拒食症〜固形物が食べられなくなった日〜|長島可純
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    kiku72 2023/10/09
  • 買い物依存、という対処法に苦しんでいる話。|長島可純

    いま、わたしが日々自分自身を悩ませ 家族をも苦しめている 「買い物依存」 について 今回は書いてみたいと思う。 まず、前提としてわたしは正式に「買い物依存」と 診断されたわけではない。 なぜなら 厳密に言うと買い物依存とは少し違っているからだ。 いわゆる買い物依存は 買うことにだけ意味を見出しているから 買って満足して 使わないどころか、開封すらしないこともあるらしい。 だが、わたしは 買ったものは持て余すことはあっても たいてい、ちゃんと使うし 当然、全て開封する。 ほしいと思うものしか買わない。 そこが 買い物依存とは違っているところ。 でも、現状他に適当な病名が見当たらないので ここでは 買い物依存という言葉を使っていく。 きっかけなぜ、買い物依存になったのか。 きっかけは、はっきり覚えている。 それは 死ぬ日を決めた頃のこと。 死ぬのなら貯金なんていらないと思ったわたしは 欲しかっ

    買い物依存、という対処法に苦しんでいる話。|長島可純
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    kiku72 2023/10/05
  • 金パブを1ヶ月飲まなかった話。|長島可純

    今年の4月15日にはじめて飲んで以降 毎日30錠、、最後の頃には40錠飲むこともあった 金パブ(=パブロンゴールド)を 8月31日から1日も飲むことなく1ヶ月が過ぎた。 なぜやめられているのか 離脱をどう乗り越えたのか いまの心境 そういったことを書いてみたい。 やめるきっかけきっかけは些細なこと。 8月31日の夜から3日間、 電池が切れたみたいに動けなくなった。 金パブも飲めないくらいに。 そして回復した9月3日。ふと思った。 せっかく3日間飲んでないのに、 また飲むの?、と。 だったら、 飲まずにいられるところまでやめてみようかなあとふんわりと思った。 大きな目標があったわけでもなかったし 1ヶ月なんて考えてもみなかった。 ただ、最長記録が3日だったから それを延ばしてみたいな、くらいの感覚だった。 離脱症状①やめてみてすぐに離脱症状が出た。 いちばんしんどかったのは、頭痛。 ズキズキ

    金パブを1ヶ月飲まなかった話。|長島可純
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    kiku72 2023/10/02
  • リストカットを半年、手放して|長島可純

    高一のときハサミで始めたリストカット。 切るものがそのうちカッターになり 二の腕から前腕、そして太ももまで切るようになり 前腕の血管を三度切り、三度の輸血もした。 途中やめていた時期もあるけれど わたしとリストカットの付き合いは13年目に入るところだった。 けれど 3月に縫合したのを最後に わたしは腕も太ももも一切、切っていない。 持っていた10近いカッターと替え刃も 全て捨てた。 切らなくなった最初の理由は 死ぬ日を決めたことで心が楽になって、切る必要がなくなったことだったけれど 死ぬことを手放した時 一緒に、切ることも手放したいと漠然と思った。 もう、縫合と抜糸に一万円以上かけて病院に通い続ける生活は嫌だな、と。 それから 一度カッターを買ってしまったことはあったけれど 切る前に薬局に預けることができて それ以降は買うこともしていない。 カッターのない生活は 荷物の開封がハサミでやる

    リストカットを半年、手放して|長島可純
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    kiku72 2023/09/24
  • パブロンゴールド90錠飲んで、救急搬送された話。|長島可純

    朝、いつものように パブロンゴールド(以下、金パブ)を30錠 水で流し込む。 20錠で足りていたそれは いつからか、25錠になり、 そして30錠が当たり前となり 30錠でも効いているのか分からなくなっていた。 でも、それを 習慣のようにわたしはその日も 水で飲み干してから 病院に向かった。 わたしの通う精神科、特に主治医の診察は いつも混み合っていて 9時予約でも8:20より前に着いて順番を取っている。 その日もいつものように 再来機にカードを通してから まだ開いていない外来の、外の待合室で 同じく早く来た友だち数人とおしゃべりをして 診察を待った。 その時すでに金パブは効いていなくて 頭の中で 「死ななきゃ」 という声が溢れ始めていた。 だけど、診察のとき わたしはそれを主治医に言えなかった。 入院って言われるのも これ以上金パブ飲むことを恐れて、金パブを取り上げられることも怖かったから

    パブロンゴールド90錠飲んで、救急搬送された話。|長島可純
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    kiku72 2023/05/21
    “パブロンゴールド90錠飲んで、救急搬送された話。”
  • 死ぬ日を決めて準備をした。そしてそれを辞めようと思った話。|長島可純

    Xデー。 そう聞いて、何を思い浮かべるだろうか? わたしのつくったXデーは 「人生を終わらせる日」だった。 誰に何と言われても わたしの意志は変わらなくて 薬も主治医に 「もう十分でしょ…」 と言われてもなお、足りないと集め続けた。 Xデーを決めてから生きやすくなった。 心が軽くなって リストカットも過嘔吐もしなくなった。 救急搬送も1月初めを最後に、されていない。 死ぬことだけが救いで 死ねることだけが救いだと思っていた。 主治医がいくつリスクを並べても 訪看さんに「死んだら泣く」と言われても 大切な人たちにどんな言葉を並べられても わたしの決意は変わらず ただただその日が早く来てほしいと思っていた。 人生の終わりを決めたから ゴールに向かってならがんばれた。 未練も恐怖も何もなかった。 ただその日まで、好きなことをして 会いたい人に会って 心残りをひとつでも減らせれば それでいいと思

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    kiku72 2023/05/02
  • 「強い」という言葉の難しさ|長島可純

    わたしがある日、日記にこう書いた。 私は、PTSDと共に生きていけるほど強くない。それに対してわたしの主治医はこう返してきた。 「長島さんはよく踏ん張ってると思う。強いと思うよ。」 「いろんなPTSD患者さんを診てきたけど、その中でも長島さんは強い。よくたたかってるよ」 そう言われてわたしは 返す言葉が見つからなくなってしまった。 わたしは強くはない。 強い人間は腕を切ったり、ODしたり、過嘔吐したりしないと思うのだ。 頻繁な入院や救急搬送も、ないと思う。 何より、もっと違う人生を選びとれていたはずだ。 わたしは強いから踏ん張れてるのではない。 踏ん張るしかないから 薬を飲み、腕を切り、何とか苦しさに耐えた結果がそれなだけで それは決してわたしが強いからではない。 逃げることをわたしが選べないから 性格的に選び取ることができないから 苦しい道を自分傷つけて進んでいるだけだ。 自分を傷つけ

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    kiku72 2023/02/15
  • 「休息入院」をしてきました。|長島可純

    いつもブログを読んでくださってるみなさん ありがとうございます。 実は今月24日から30日まで 休息のために入院をしてきた。 入院って治療やオペのためじゃないの?! 休息目的での入院なんてあるの?! と思われる方も居ると思うので どんな入院だったのか そもそも休息入院って?ということについて 今回は書きたいと思う。 期間が1週間なのは はじめから決まっていた。 主治医いわく 「うまく休息できなかった時にも、1週間ならすぐ退院だからダメージも最小限ですむでしょう?」 とのこと。 たしかにそうだなあ、と思う。 だから、実はかなり入院は迷ったけれど 最後は軽い気持ちになれた。 精神科の入院の理由は さまざまあると思う。 入院しないとできない特定の治療を受けたい 病状が重くなり、少しでも回復するため 休息 お薬の調整 などなど。 休息はその中のひとつで わたしの場合は 対処行動をがんばってきたけど

    「休息入院」をしてきました。|長島可純
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    kiku72 2023/02/02
  • 三度の輸血と、対処行動としての自傷について。|長島可純

    2月1日 11月29日 12月20日 この1年の間に 三度の輸血を経験した。 すべて 自傷(リストカット)が原因の貧血で。 2月はヘモグロビン(Hb)4.7 11月はHb6.3 12月はHb7.3 で、数値的には2月が1番しんどかったはずだけど 12月16日になった貧血(※貧血になった日と輸血した日に若干のズレが毎回ある)が 人生初の“目の前真っ白になって倒れる”を経験して 3回の中で1番やばいと思った。 数値と体感的なものは、けっこう違う。 三度の輸血は全て同じ病院で3回とも同じ病院が輸血してくれてて 何度行っても快く「輸血しましょうか」 って言ってくれる。 スタッフさんたちにも 一度も嫌な顔されたことも 嫌なこと言われたこともなくて 感謝しかないな、と思っている。 そして 1番最近の輸血は、貧血になった当日の夜間に受診した病院では一度断られたものだ。 だから、19日に精神科主治医に「輸

    三度の輸血と、対処行動としての自傷について。|長島可純
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    kiku72 2022/12/23
    “この1年の間に三度の輸血を経験した。すべて自傷(リストカット)が原因の貧血で。”
  • 複雑性PTSDと自傷のこと。|長島可純

    わたしは1年近く大きな精神科の病院に通い 精神科界隈では有名な先生に診てもらっている。 わたしはその主治医のことを いまでは心から信頼し 何でも話すし、何でも相談している。 投薬治療にあまり前向きでなかった主治医に いまの思いを伝えて 薬のチカラも借りたい、というわたしの思いを汲んで 処方してくれるようになったのも いまの関係ゆえだと思っている。 前の病院では一度も告げられなかった病名。 それを 「あなたはこれだと思う」 と時折話してくれることも 信頼に繋がっている。 いまある診断名(病名)は ○複雑性PTSD ○うつ病 ○摂障害 このみっつ。 今日のブログでは その中の複雑性PTSDと、それによって引き起こされている自傷(摂障害も含む)について書きたい。 なぜ書こうと思ったのか。 それは PTSDより認知度の低い“複雑性PTSD”を知ってほしいということと リストカットや過量服薬、摂

    複雑性PTSDと自傷のこと。|長島可純
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    kiku72 2022/12/11