「逃げるな、火を消せ」と、盧溝橋事件から間もない1937年8月、長野県全域の初の防空演習が行われていました。 北京郊外の盧溝橋での日中両軍の衝突から交渉がこじれて日中戦争がはじまった1937(昭和12)年7月に先立つ4月5日、「防空法」と呼ばれる法律が公布され、10月1日から施行されます。まるで準備万端、日中戦争に備えていたような絶妙のタイミングです。 防空法は、空襲があったときに民間人もこれに対応するため、組織や装備、備え、行動などを決めたものです。防空壕は敵が通り過ぎるのを待つまでの避難所ではなく、敵の爆弾が落ちたら飛び出して消火に当たれという一時的な待避所といった位置づけで、隣組単位での「民間防空」を強制しました。「逃げるな、火を消せ!」ということです。 ◇ 長野県では、防空法の公布から施行の間に当たる1937(昭和12)年8月に県内全域での防空演習を行いました。事前にチラシを作って
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