運命に関するkikuutanのブックマーク (18)

  • こんな時にしかできないことをやっていこう - 親鸞に学ぶ幸福論

    【精進(1)】 新型コロナウィルスで経済は冷え込み、 中でも旅行業、飲業など壊滅的な打撃を被り、 私の友人のセミナー講師も軒並みキャンセルで、 何もできず、家にいるとのこと、 オリンピックを目指していたアスリートや 開幕を目指して調整していたプロ野球選手なども、 いつ頃終息するかもわからぬ状態に、モチベーションを保つことが難しいようです。 収益も上がらず、仕事もできない、練習もままならない、 こういった不遇な環境に取り残されていくような不安を覚えたり、 投げやりになったり、周りに当たり散らしたり、絶望したり、 となっていくものです。 しかし一方で「窮すれば転ず。転ずれば通ず」。 こんな事態から始まった窮余の策からイノベーションが起きるのも世の常で、 願わくばこの未曽有の逆境をかけがえのないものと転じていきたいものです。 自由にできない不遇な環境にあって己を磨いて、 後に羽ばたくきっかけと

    こんな時にしかできないことをやっていこう - 親鸞に学ぶ幸福論
  • 経営悪化の企業に見られる負のスパイラル - 親鸞に学ぶ幸福論

    【自因自果(2)】 コロナウィルスの影響で深刻な景気悪化で、 飲業や旅行業は大打撃ですが、 今後ますます経営不振の波は各方面の企業に及びそうです。 これはバブル崩壊のときも、リーマンショックの際も繰り返されたことですが、 会社の収益が上がらないとき、きまって社内で起きることがあります。 それは、以下の3つです。 1.社長が幹部重役の落ち度を責める 2.幹部重役は管理職の社員を叱咤する 3.管理職の社員は社員を追い詰める この1~3は、社内全体にギスギスした空気を蔓延させるので、 よけい収益が上がらなくなり、さらなる1~3が始まります。 これはあらゆる会社が陥りやすい負のスパイラルです。 もしあなたが上の立場にあたる社長、幹部、管理職なら、 部下を責めることに何の意味もないことを胸に刻むべきです。 それは単に「私は責任がない無力な被害者だ」と 周りにアピールしているようなものです。 自らの

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  • 穢土、修羅の世界に生きた信長・秀吉・家康 - 親鸞に学ぶ幸福論

    【穢土(1)】 日で彼ほど成功したものはないと言われる豊臣秀吉。 しかし天下人として送った晩年の彼は、 はたしてこれが当に幸せな人なのだろうか、人生の勝利者といえるだろうか、 と首をかしげたくなるようなエピソードに事欠きません。 中でも、病に臥し、いよいよ死を覚悟した時、 跡継ぎである秀頼の行く末を案じ、 自分の死後、日で最も有力な武将となる徳川家康に 我が子の行く末を託す際、すがりつくように家康に頼み込む様は痛々しいほどです 秀吉亡き後、家康が豊臣家に牙を剥くであろうことは 多くの武将たちがひそかに予感していたことではありましたが 秀吉とてあれほどの人です、 それらの武将以上にその時代の空気を感じ取っていたかもしれません。 それなのに、その家康より先に死んでいかねばならない無念さ、 そしてその一番危険な男に、大事な我が子を託さなければならないという 暗澹たる気持ちはいかばかりだった

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  • 自己の境遇に不平を持っている人へのブッダの教え - 親鸞に学ぶ幸福論

    【自業自得(1)】 これはつくづく周りの人を見ていて 私自身首をかしげたくなるときもあるほどなのですが、 よくいますよね、「こんなことをやっていてもうまくいくはずがない、やりたくない」「あんな人の下で働きたくない」 と職場の体質を批判したり、上司の言動に対してぼやいたりする人は。 あれでは人生つまらないだろうし、 仕事にも身が入らないだろうし、 いいこと起きるはずないのにな、と思うのですが、 それでもそれらの人が文句言いながらも その仕事をその立場でずっとし続けているのはなぜなのだろうと思うのです。 いろいろ話を聞いたりして思うのは、結局のところ 「その人が実はその仕事が好きだから」なのかなと思います。 いや、好きとまでは言わなくても、 少なくとも他のことを選択するよりも今の方が居心地がいいから その選択をしている、といえるかと思います。 「やる気が出ない」職場を誰がえらんだのか、 「第一

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  • 意業(心)に一切の責任があり、すべてを生む元であると説く仏教 - 親鸞に学ぶ幸福論

    【三業(2)】 心で思ったことが口に表れ、体に表れる、だから心が一番大事である、 と仏教で説かれていることを前回から話をしています。 今皆さんがこの文章を読んでおられるのは体の行いですが、 読もうと思ってクリックした、その読もうと思われたのは心の行いです。 この文章を読んでおられる今も、 心がこの後も読もうと思われているから、今この文章を読んでおられるのです。 読もうという心がなかったら、たとえ途中まで読んでも、クリックして違うページに飛んでしまうでしょう。 今私がこうしてこういう文章を書いているのも、 心でこういう文章を書こうと思って書いているのです。 心で思わないことが体に現れることはありません。 今年一年どんなを読んだか、どんなテレビ番組は見たか、どんな人とどんな話をしたか、 もっと言えば、今自分の住んでいるところも、している仕事も、結婚相手も、 その一切は自分の心が決めたことです

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  • 心と口と身体の三つの行為、三業で人を判断する仏教 - 親鸞に学ぶ幸福論

    【三業(1)】 仏教では、その人が善人か悪人か、心と口と体の三方向から判断します。 身体で何をやっているか、やっていないか。 具体的にいえば、人を殺したとか、物を盗んだとか、不倫したとか、親切したとか、裏表なく努力しているとか、などです。 口で何を言っているか、言っていないか。 二枚舌を使ったり、悪口言ったり、ウソをついたり、あるいは温かい言葉をかけたり、感謝の言葉を述べたりすることです。 心で何を思っているか、思っていないか。 これも具体的にいえば、あの人死ねばあれはオレの物になるのに、とか、あいつは何かひどい目に遭ってくれたらいいのに、とか、どうかあの人が元気になってほしいと切に思うとか、そういうことです。 この心と口と体の三つの行為から人間を判断します。 それでこの三つの行為を『三業』といいます。 中でも仏教が最も重視するのは心の行いです。 ここは世間一般と仏教の大きな違いの一つです

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  • 羽生善治名人の向上心に感銘を受けた - 親鸞に学ぶ幸福論

    【精進(1)】 「AIが台頭して将棋界が進歩した今、残念ながら私のこれまでの経験はほとんど生きません」 これは通算勝利歴代一位の将棋棋士、羽生善治名人がインタビューで語っていた言葉です。 こう言えてしまうところに、 長年にわたってトップで居続けることができる羽生名人の非凡さがあるように感じます。 なにしろ国民栄誉賞を取るほどの棋士です、 ふつうなら「おれはできるんだ」と思ってしまいますし、 過去こうしてオレは勝ち続けてきたんだ、との自負心もあるだろうし、 なかなか新しいことに挑戦できなくなると思うのです。 ところが羽生名人は「これまでの経験はほとんど生きない」と自己の現状を受け止め、 「最新の研究結果を知る努力がすごく問われるようになりました。AIの手を自分なりに理解し、納得することが大事です」 と今なお、AIソフトを前に格闘し、現状を打破しようとしています。 「慣れない環境に極力身を置き

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  • 仏法の『法』とはどんな意味か - 親鸞に学ぶ幸福論

    【法(1)】 仏教では三世十方を貫く真理のことを『法』といいます。 『三世』とは過去世、現在世、未来世のことで 「いつでも」ということです。 『十方』とは東西南北上下四惟のことで 「どこでも」ということです。 いつでもどこでも変わらない真理、 古今東西を通じて普遍の真理を『法』といいます。 『法』と名が付くものに、憲法、法律、交通法規などがありますが、 私情や気分で変えてはならない、一つのものさしとなるものに 「法」という字が使われているのがわかられると思います。 交通法規で信号機の赤青黄色の意味が毎日コロコロ変わったら大事故が頻発しますし、 法律でも、明日から年金支給は止めますとなったら社会は大混乱ですから、 そうそう変えてはならないものです。 とはいえこれら憲法、法律、交通法規は三世十方を貫くものではありません。 スマホしながらの「ながら運転」は12月より罰金三倍、一発で免停、 それで

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  • 懈怠になりがちな年末年始に自戒を込めて - 親鸞に学ぶ幸福論

    【懈怠(1)】 仏教で教えられる6つの善い行い、『六度万行』(『六波羅密(ろくはらみつ)』ともいう)の一つに『精進』があります。 人が見ていようが見ていまいが裏表なく、コツコツと継続して努力することです。 『精進』の反対を仏教では『懈怠(けたい)』といいます。 怠けること、楽したくて、やるべきことをやらないこと。 掃除をしない、サボる、寝坊する、などの自堕落な生活は『懈怠』にあたります。 「楽して得られるものは貧と恥のみ」 懈怠な生活の果ては身の破滅あるのみです。 懈怠になるときには、自分に口実を与えるものです。 特にこの時期、怠惰に流れる口実に「年末年始くらい」というのがあります。 私も数年前までは「年末年始だし」と、ふだんとは違うものをべたり、したりとしましたが、 最近はしなくなりました。 日常に戻る仕事始めが億劫になるのも嫌なので、 いつもの時間帯に寝起きし、 やるべきことも平常モ

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  • 占いを否定された親鸞聖人 - 親鸞に学ぶ幸福論

    【因果応報(1)】 親鸞聖人は「卜占祭祀をつとめとしている」ことを 「かなしきかなや」“嘆かわしいことだ”と書き残されています。 「卜占(ぼくせん)」とは占いのことです。 昔も今も占いにすがる人はあとを絶ちません。 「今日の運勢」や「ラッキーカラー」「星占い」「タロット」「手相」「墓相」など、 色々な種類があります。 「この人は自分にとってどんな存在なんだろう」 「この人と結婚したら私は幸せになれるのかなあ」 「もっと違う運命の人が実はいるのかなあ」 「どの株の銘柄が上がるんだろう」 「今、起業するタイミングだろうか」 このように先のことをみな知りたいと思います。 見通し明るくなれば、安心しますから。 でも先のことだから、誰もよくわかりません。 そこに断言口調で、確信に満ちた目で、将来を言い切る人がいると つい選択権をそこにゆだねてしまうのでしょう。 わたしはこのメルマガで時々占いを否定す

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  • 陰陽道と仏教・浄土真宗の違い - 親鸞に学ぶ幸福論

    【かなしきかなや(1)】 「かなしきかなや道俗の 良時吉日えらばしめ 天神地祇をあがめつつ 卜占祭祀つとめとす」(悲歎述懐和讃) 親鸞聖人のお歌です。 最初の「かなしきかなや」とは、 “なんと悲しいことだろう、情けないことか”ということですから、 親鸞聖人が悲嘆なされて詠まれた歌であることがわかります。 では聖人は何を悲嘆されたのでしょうか。 続けて読んでみましょう。 「道俗」の「道」とは僧侶、出家の人。 「俗」とは俗人、在家の人。 よって「道俗」とは、僧侶も、在家の人も、ということです。 この歌で親鸞聖人は、僧や門徒の実態を嘆かれていることが分かります。 では僧侶や門徒のどんな実態に嘆かれたのか、こう続きます。 「良時吉日をえらんでいる」 「天神地祇をあがめている」 「卜占祭祀をつとめとしている」 こういった行為を親鸞聖人は「なんと情けないことか」と嘆かれているということです。 では、こ

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  • 【疲れない人間関係】人間関係を決める「縁」とは何かを知ろう

    こんにちは。小野ひかりです。 このお盆休みに、5年ぶりの嬉しい再会がありました。 前職の先輩で、毎年の年賀状が再び縁をつなげてくれました。 今回は人とのつながり「縁」についてお話ししたいと思います。 「縁」とは何か 「縁結び」「縁談」「血縁」「宿縁」など、人とのつながりを表す「縁」という言葉は来、仏教の言葉です。 夫婦・親子・職場の同僚・友人・恋人・師弟など、私たちはさまざまな人とご縁があって生きています。 よく自分と関係の深い人のことを「縁の深い人」とか「因縁のライバル」といいますね。 夫婦や親子になる人も、ライバルも、よほどの因縁の深い人です。 「袖触れ合うも多生の縁」ということわざがあります。 電車の中で隣になった人と袖が触れ合うことがあります。 大抵、電車で隣になった人とは、名前も知らなければ言葉も交わさず、降りる駅までただ隣同士になっただけの人でしょう。 そんな人でも、仏教では

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    kikuutan
    kikuutan 2019/08/14
  • 業力不可思議・なぜ今私はここにいるのか・仏教の運命論 - 親鸞に学ぶ幸福論

    【業力(1)】 もう10年ほど前のことですが、 仏教講座に来られた40代のAさんは、 ちょうどバブルの絶頂期に入社された方でした。 その会社はボーナスが年3回出る優良企業です。 会社がAさんの携わっていた事業から撤廃したので、 新部署が決まるまでは、海外旅行などしてゆっくりしている、と言われていました。 その間の収入は?と訊くと、 正社員なのでリストラの心配も無く、 会社を休んでいても給料は出るそうです。 いい会社ですね、うらやましいです、とため息交じりに言うと、 なんでもAさんはその会社にさしたる就職活動もせず、 ただ大学の先輩から、うちの面接と試験を受けてみないか、と夕をご馳走され、 すぐ決まったそうです。 あのころはそうだったんですよね。 私の大学卒業時もバブルの終わりかけの時でしたが、 やはり就職は引き手あまたでした。 その方が言われるには 会社に自分の後輩として入ってくる20代

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  • マンガで学ぶ仏教(8)【自業苦】 | 生きる意味が分かる親鸞の教え

  • 運命の理不尽さをブッダはどう説き明かすか - 親鸞に学ぶ幸福論

    【因果の道理(1)】 イスラム国から解放された市民たちの声から、 イスラム国統治下での蛮行が次々と明るみになっています。 異教徒の大量虐殺、奴隷としての人身売買、 見せしめの公開死刑と拷問、 子供たちは銃器の使い方を学校で学び、 住民を人間の盾として最前線に立たせる、など 人権を無視する壮絶な惨状に世界中が息をのんでいます。 今も心に深い傷を負っておびえている少年少女の顔は痛々しいばかりです。 その年頃の日の子供なら、 音楽が好きなら親が塾に通わせたり、 サッカーが得意なら少年チームに入れさせたりして、 やがて才能が開花し「努力は裏切らない」と胸を張って言えるように育ちます。 しかしイスラム国統治下だったその子たちは、 処刑映像で脅され、子供も扱える銃で最前線に送られる、 あるいは一方的に囚われ、人身売買されたのです。 「なんでこの子たちはこんなひどい目に遭わねばならなかったのか」 世の

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    kikuutan
    kikuutan 2019/02/13
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