普通に生きていれば、普通に幸せになれるはずだ、という考え方への信頼は、「普通でない生き方」への恐怖を、裏面に持っている。少しでもはみ出してしまったらもう未来はない、あるいは、普通の人生ではあり得ないくらいの苦労が待っているはずだ、という。 だけれども、そうした「転落」のきっかけは、今ではどこにでも見られる。病気だとか、倒産だとか。ちょっとしたきっかけでハードモードの人生が始まる状況を指して「『溜め』のない社会」なんて言い方もする。つまりバッファというか、普通の人生の外側への緩衝地帯がないということだ。 「震災」という出来事は、そんなバッファのない社会で、色んな人々を「普通の外」に放り出してしまった。特に子どもたちは、あるのが当たり前だったことが、大なり小なり失われた経験を、自分の思春期の一部にしなければならなくなってしまった。授業でプールには入れなかったってレベルから、学校と、学校生活がな
![立派な大人になる――劇場版『ヒミズ』に加えられたいくつかの変更(ネタバレ含む)](https://cdn-ak-scissors.b.st-hatena.com/image/square/ed28c64f0e1c43cd15cb3217a4ce014bb4b49d03/height=288;version=1;width=512/https%3A%2F%2Fblog.szk.cc%2Fwp-content%2Fuploads%2F2014%2F12%2F514SHU3HaeL._SL160_.jpg)