吉本隆明さんは2012年3月16日午前2時13分、お亡くなりになりました。 ほぼ日刊イトイ新聞は吉本さんからたくさんのものをいただきました。 ありがとうございました ※糸井重里が3月16日の午後、書いたこと。
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一九八二年は、もしかしたら戦後日本文学史におけるひとつの大きな節目だったのかもしれない。 この年の一月、「核戦争の危機を訴える文学者の声名」が発表される。この声名への署名を呼びかけた発起人は大江健三郎、中野好夫を中心に、埴谷雄高、本多秋五、堀田善衛、井伏鱒二、吉行淳之介、安岡章太郎、井上靖ら三十六人だった。こうした「文壇」の動きをよそに、六年前にデビューした村上龍は二月から雑誌「ブルータス」でひさびさの長編『テニスボーイの憂鬱』の連載を開始する。三年前にデビューした村上春樹は八月に三作目となる初の長編『羊をめぐる冒険』を「群像」で発表し、同年十月に単行本として刊行される。 吉本隆明は、この年にデビューしたある新人作家の小説について次のように述べている。 『さようなら、ギャングたち』は現在までのところポップ文学の最高の作品だと思う。村上春樹があり糸井重里があり、村上龍があり、それ以前
糸井重里さん主宰の「ほぼ日刊イトイ新聞」が、「吉本隆明プロジェクト」という名前の企画をはじめています。吉本さんの講演音源をアーカイブ化する作業をしていて、CD・DVDブックとして発売されました。吉本さんは、NHK教育テレビとか、批評家や哲学者、思想家が出演しそうな真面目なテレビ番組にはほとんど出演してこられなかったので、生の声は貴重です。 一度だけ「電波少年」には出演されました。吉本さんが湘南で溺れかけた事件の後です。松本明子さんが吉本さんのご自宅に直撃して、たしか「吉本さんの海水浴恐怖症を克服させたい」とかいった企画で、洗面器に顔をつけさせられていました。吉本さんのテレビ出演の基準は、等身大の自分より高くみせるものは原則断る、というものらしいです。 「ほぼ日刊イトイ新聞」の「YOSHIMOTO TAKAAKI」のページに、弓立社社長の宮下和夫さんのインタビュー(参照)が掲載されておりまし
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