ブックマーク / asahi2nd.blogspot.com (11)

  • 第4章:日本と中国のあいだ ――「近代性」をめぐる考察――(2)

    8.29.2014 現代中国|第4章:日中国のあいだ 梶谷懐第12回 第4章:日中国のあいだ ――「近代性」をめぐる考察――(2) 1. 中華圏に拡がる市民的不服従の動き 前回の連載(http://asahi2nd.blogspot.jp/2014/04/gendai11.html)でとりあげた台湾のヒマワリ学生運動の後、香港でもオキュパイ・セントラル(「中環を占拠せよ」)とよばれる、民主的な政治を求める市民による大規模な社会運動が起きた。香港では例年1989年の天安門事件の記念日である6月4日や、1997年に香港が中国に返還された日である7月1日に、中国政府に批判的な市民によるデモが行われてきた。その中で2014年の7月1日は、香港政治のトップである行政官を選ぶための民主的な選挙の実施を求める動きと合わせ、主催者側発表で約51万人という多数の市民がデモに参加する特筆すべき

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    kinbricksnow 2014/08/30
    【梶谷懐】
  • 朝日出版社第二編集部ブログ  梶谷懐 第11回 第4章 日本と中国のあいだ ――「近代性」をめぐる考察(1)――

    4.25.2014 梶谷懐第11回 第4章 日中国のあいだ ――「近代性」をめぐる考察(1)―― 「ひまわり学生運動」と安保闘争 この連載では、これまで中国の「民主」や「立憲主義」、そして「国家」の関係について考察を行ってきた。これらの問題を考える上でも決して無視できない重要な動きが、近年経済面を中心に中国との結びつきがますます強まりつつある台湾で起きた。2013年に台湾中国と締結したサービス産業部門における市場相互開放協定「ECFA(海峡両岸サービス貿易協定)」について、その内容および批准プロセスの不透明さに抗議する学生たちの運動「ひまわり学生運動(ひまわり学運)」をめぐる動きがそれだ。 規制緩和による既存の産業への影響や、政治経済面における中国の影響力の拡大が予想されるなど、かなりセンシティヴな問題を含んでいたにも関わらず、協定の内容を十分に情報公開しないまま批准を進め

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    kinbricksnow 2014/05/20
    【オススメ】“台湾のひまわり学運をめぐる一連の動きの中で浮かび上がってきた問題の中には、明らかに日本社会における現在、あるいは過去の状況と共有されうるものも存在している”
  • 朝日出版社第二編集部ブログ

    1.22.2014 梶谷懐第10回 第3章「国家」と「民間」のあいだ ――中国は国家資主義なのか?(3)―― 中国経済の「自生的な秩序」と国家資主義 1. 中国経済の成長とイノベーション前回の連載からかなり間が空いてしまったので、その最後に投げかけた「問い」を、もう一度確認しておこう。 つまり、中国経済について今改めて問われているのは、そういった「専制的な政治制度と自由な市場経済」という、かつては「停滞」の原因とされた制度的な組み合わせの下で、なぜ現在長期にわたる高度成長が生じているのか? そして、その高度成長は今後も持続していくのか?ということなのではないだろうか。 そのカギは、結局のところ中国の産業においてみられる「イノベーション」をどのように評価するか、という点にかかっているように思う。この点についても以前の連載の記述を再掲しておこう。 現代中国の製造業のダイナミズ

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    kinbricksnow 2014/01/23
    【梶谷懐】“「主体」がはっきりしない中国流のイノベーションでは、産業全体の生産性の向上をもたらしている経済主体(企業や労働者)と、その果実を受け取る経済主体が必ずしも一致しない”
  • 第3章「国家」と「民間」のあいだ ――中国は国家資本主義なのか?(2)――

    11.15.2013 梶谷懐第9回 第3章「国家」と「民間」のあいだ ――中国は国家資主義なのか?(2)―― 包括的な制度と収奪的な制度 前回の連載の最後で、以下のように書いた。 例えば、中国の「大衆資主義」的側面と「国家資主義」的側面は、全く性質の違う相いれないもののようでありながら、実際にはお互いに「持ちつ持たれつ」というか、切り離してしまうとどちらも勢いがなくなって枯れてしまうような、そういう関係にあるということはないのだろうか? この問いに正面から答える前に、国家と経済の関係を論じて、世界的に話題になったをとりあげよう。ダロン・アセモグル、ジェイムズ・A・ロビンソンの『国家はなぜ衰退するのか』がそれだ。 同書の記述は、国境のフェンスを一つによって隔てられた、米アリゾナ州ノガレスとメキシコソノラ州ノガレスのエピソードから始まる。二つの「ノガレス」は、地理、気候、

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    kinbricksnow 2013/11/16
    【梶谷懐】“「専制的な政治制度と自由な市場経済」という、かつては「停滞」の原因とされた制度的な組み合わせの下で、なぜ現在長期にわたる高度成長が生じているのか?”
  • 現代中国 過去と現在の間 第8回

    8.30.2013 梶谷懐第8回 第3章「国家」と「民間」のあいだ ――中国は国家資主義なのか?(1)―― 曲がり角を迎える中国経済中国経済が揺らいでいる。中国経済がその減速傾向を露わにする中、それと並行して「バブル崩壊」「信用危機の発生」が喧伝(けんでん)されるようになっている。特に今年の6月に「6月危機」とも呼ばれる金融市場における資金逼迫(ひっぱく)が中国経済を襲って以降、にわかに注目を集めるようになったのが、中国版「影の銀行(シャドーバンキング)」の存在である。 もともと米国の量的金融緩和が終了間近だという予測が広がり、ホットマネーの逆流が生じていたほか、理財商品(銀行の簿外取引を通じた資金調達手段である高利回りの金融商品)の返還期限が6月末に集中していたことから、短期金融市場は流動性不足ぎみに推移していた。 その中で、中央銀行である中国人民銀行は、あえて市場から資金を

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    kinbricksnow 2013/09/18
    【梶谷懐】“中国の「大衆資本主義」的側面と「国家資本主義」的側面は全く性質の違うようでありながら、実はお互いに「持ちつ持たれつ」の関係にあるということはないのだろうか?”
  • 朝日出版社第二編集部ブログ 現代中国  現在と過去の間 梶谷懐      第七回 6.27.2013 

    6.27.2013 梶谷懐第7回 第1章:左派と右派のあいだ ──毛沢東はなぜ死な(ね)ないのか(3)── 前列右から二番目が頭山満、三番目が犬養毅。 後列右から三番目がクルバンガリー。 日における「右翼と左翼」──普遍性と相対性のはざまで── 前回の連載で、経済学者の松尾匡(ただす)による以下のような独自の基準による「左翼」「右翼」の定義を紹介した。 松尾によれば、「左翼」「右翼」とは、ある一つの価値基準による立ち位置の違いというよりも、そもそも「世の中をどうみるか」という、価値基準自体の違いとして理解できるのだという。すなわち、世界を「上(経済的強者)」と「下(経済的弱者)」、に分けて、その間に質的な対抗関係を見いだした上で、「下」つまり弱者の方に味方するのが、松尾の考える左翼である。それに対して、世界を「ウチ」と「ソト」に分けて、その間に質的な対抗関係を見て、「ウチ

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    kinbricksnow 2013/06/28
    梶谷懐:現代中国 現在と過去のあいだ 第7回:第1章:左派と右派のあいだ ──毛沢東はなぜ死な(ね)ないのか(3)──:日本における「右翼と左翼」──普遍性と相対性のはざまで──
  • 第2章:左派と右派のあいだ──毛沢東はなぜ死な(ね)ないのか──(2)「現代中国――現在と過去のあいだ」

    4.16.2013 梶谷懐第6回 第1章:左派と右派のあいだ ──毛沢東はなぜ死な(ね)ないのか──(2) 毛沢東像:新疆ウイグル自治区カシュガル、著者撮影、1997年 ■ 中国の「人権」と新左派 前回の連載で、以下のように書いた。 中国の左派はそもそも「普遍的人権」の尊重というところから出発していない。だから、普遍的人権や言論の自由を盾に政権を批判する、現代中国で言うところの「維権(権利擁護)運動」は、たとえそれが行政によって立ち退きを余儀なくされた人々など、明確に「弱者」の立場に立った行為であっても、左派からは白い目で見られることになる。 ここで、「左派」の主張と、いわゆる人権問題との関係について、近年の中国社会の変化をふまえながらもう一度整理しておこう。 社会主義国家としての中国にとって普遍的人権論、すなわち天賦(てんぷ)人権論は「ブルジョワ階級的民主主義」の思想として

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    kinbricksnow 2013/04/16
    現在の中国にあって「民間(思潮)」とは、社会の病根を「外部」に求めるのではなく、「内部」の専制政治に目を向けることで変えていこうとする、極めて象徴的な意味を持っている
  • 第2章:左派と右派のあいだ ──毛沢東はなぜ死な(ね)ないのか──(1)「現代中国――現在と過去のあいだ」

    3.09.2013 梶谷懐第5回 第2章:左派と右派のあいだ(1) ──毛沢東はなぜ死な(ね)ないのか── ■ 中国における左派と右派の区分まだ記憶も新しい昨年9月の一連の反日デモやそれに続く暴動の報道で、毛沢東の肖像を高く掲げた人々の姿がテレビに映し出されたことに、名状しがたい思いにとらわれた人々は少なくないだろう。現在の中国社会に様々な矛盾が存在し、それが反日という形で吹き出している。そこまでは何とか理解できる。だが、それがなぜ、毛沢東の肖像を掲げながらなされなければならないのか? そもそも、毛沢東は中国の庶民にとって当の「味方」などではなかったはずだ。毛沢東が君臨した時代、大躍進の失敗による大飢饉や文革によって吹き荒れた暴力によって、何千万人という人々が犠牲になったことは、中国共産党の公式見解においてさえ認められてきた否定しようのない事実である。過去にそういった重大な失政を行っ

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    kinbricksnow 2013/03/12
    【梶谷懐】連載第2章「左派と右派のあいだ(1)毛沢東はなぜ死なないのか」。中国の左派と右派について非常にわかりやすい解説。新左派がなぜ中国の維権(権利擁護)運動に対して冷たいのか、国家主義なのか。
  • 朝日出版社第二編集部ブログ

    12.10.2012 梶谷懐第3回 第1章:烏坎村と重慶のあいだ ──公共性と一般意志をめぐる考察──(3) 政府の集計作業を見張る烏坎村の村民 (2012年2月11日、麻生晴一郎氏撮影) 重慶事件と薄熙来 予定されていたより開幕が遅れた第18回中国共産党大会も11月20日に終了し、習近平(しゅうきんぺい)新総書記を中心とする中国最高指導部の顔触れが出そろった。新しい指導部の性質や直面する課題については、すでに新聞各紙が活発な報道を行い、中国ウォッチャーによる分析が紙面やネット上の記事にあふれるようになっている。胡錦濤(こきんとう)が中央軍事委員会主席の座に就かず、指導部から引退したことで鄧小平(とうしょうへい)以来の長老支配に幕を引いたことは注目に値するが、改革派といわれる共青団派*1の有力な政治家が最高指導部入りできず、改革の後戻りが懸念される、というのが大方のウォッチャーた

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    kinbricksnow 2012/12/10
    【梶谷懐】「民意」を後ろ盾にした権力者の専横を防ぐという観点からは、中国社会にとっての喫緊の課題は「民主」化ではなく、むしろ「法治」「憲政」の徹底だ、ということになる
  • 朝日出版社第二編集部ブログ

    10.11.2012 梶谷懐第2回 第1章:烏坎村と重慶のあいだ ──公共性と一般意志をめぐる考察──(2) 政府の集計作業を見張る烏坎村の村民 (2012年2月11日、麻生晴一郎氏撮影) 近年の中国では、「群体性(ぐんたいせい)事件」と呼ばれる住民による集団示威行動が相次いで生じている*1。住民の政治参加が制度化されていない中国において、「上訪(シャンファン)」あるいは「信訪(シンファン)」と呼ばれる陳情とならび、直接的なデモ行動は住民が政府への不満を表明し、事態の改善を図るための数少ない手段だ。特に農村部において、私利私欲に駆られた役人に対する農民達の抗議手段として「群体性事件」は多発してきた。最近では、江蘇省南通市の啓東(けいとう)で、王子製紙工場からの排水管建設計画に反対する住民のデモが生じたことが記憶に新しい。 *1──中国において、民衆が政府や企業のトップを対象として

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    kinbricksnow 2012/10/11
    【梶谷懐 @kaikaji さんが盛り込みすぎなので圧縮要約】烏坎村、村民独自選挙、近代的民主主義?、でなくて中国の伝統=「公と私」で理解、その現代的可能性、閑話休題ルソー、「公と私」の少数者弾圧の可能性
  • 「現代中国:現在と過去のあいだ」第一回 - 朝日出版社第二編集部ブログ

    9.11.2012 梶谷懐第1回 第1章:烏坎村と重慶のあいだ ──公共性と一般意志をめぐる考察──(1) ■ 東アジアにおける「公共性」概念の困難性僕は大学で中国経済について教えている。その職業がら、経済問題を中心に、現代中国を題材としたものを書く機会が多い。最近では、専門家ではない人々を対象にしてものを書いたり喋ったりする機会も少しずつ増えてきたが、正直なところ、そのたびどうも不完全燃焼のような気がして仕方がなかった。それはどうしてなのだろう、と考えたときに、同じ現代中国について論じたものであっても、「専門家」が分析し、アカデミズムあるいはそれに近いところの中で流通する言論と、よりジャーナリスティックで、より多くの読者を獲得する(=大衆受けする)言論との間に前提となる認識や内容面でのギャップがありすぎるからではないか、という考えに行き着く。 前者は、基的に経済学政治学、歴史

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    kinbricksnow 2012/09/13
    中国社会には民主や自由が「ない」と思うから理解が難しくなるのではないだろうか?むしろ、単一権力社会の下での民主や自由があったりするのではないだろうか?
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