◀天安門事件の時の王力雄 1989年、私は北京で『黄禍(政治寓話小説)』を執筆していて、当時の天安門民主化運動に対しては、一人の傍観者であった。その時、私は「社会閑雑人員〔社会の雑多な閑人で、社会主義体制では排除・取り締まられる〕」、「無職の遊民」、「盲流〔移動の自由が厳しく制限されている戸籍制度化であちこち移動する流れ者との蔑称〕とされる身分で、民主化運動の側からも、弾圧する側からも警戒されていた。学生運動が発生してから、「六四(天安門事件)」の鎮圧まで、私は毎日、自転車に乗り、北京の至る所に「出没していた。 六月三日のあの夜、私はずっと天安門広場と周囲を駆け回っていた。人民大会堂の西側の道路で、間近に軍隊の掃射を体験した。その時、私とピッタリ身を寄せ合っていた二人は銃撃された。その場面は、今でも瞼に焼き付いている。私は、その一人の被弾した胸からあふれ出る血を止めようとした。彼はもう話す
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