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2008年8月16日のブックマーク (7件)

  • ミラン・クンデラについて

    (著書)『ミラン・クンデラと小説』.水声社,2000年. 「クンデラの小説家としての特質を映し出す、詩人が主人公の反‐教養小説」[書評:『生は彼方に』(西永良成訳.早川書房(ハヤカワ epi 文庫),2001年)「オンライン書店bk1」に寄稿した書評(アップロードは、2001.08.30) 書評:『無知』(西永良成訳.集英社,2001年)「時事通信社」関連の地方紙の書評欄、2001年4月 書評:『笑いと忘却の書』(西永良成訳.集英社,1992年)、『微笑を誘う愛の物語』(千野栄一・沼野充義・西永良成訳.集英社,1992年)、『冗談』(関根日出男・中村猛訳.改訂版.みすず書房,1992年)『週刊読書人』(1992年9月7日号)の「1頁特集:ミラン・クンデラの世界」のために書いた書評 書評:『別れのワルツ』(西永良成訳.集英社,1993年)『すばる』(1993年9月号) 「取りもどされた小説

  • 正直であるということ(いしわたり淳治) - 日々の音色とことば:

    移転しました。新URLはhttp://shiba710.hateblo.jp/です。ここは更新されませんがアーカイブを置いておきます MARQUEE 68号の「新感覚派ロック・バンド特集」に載っていた、いしわたり淳治のインタヴューがとても興味深かった。 今の時代、街でアーティストの名前を耳にしてインターネットで検索かけたら、誰が書いたかもわからないたくさんの下世話な情報と、オフィシャルで発表してる事務所の情報とがごっちゃに出てきますよね。もうアーティストの見え方を管理できるような時代じゃないんですよ。見え方はある事もない事も勝手にどんどん膨れ上がっていく。 そんな状況で、どこまで情報を掘り下げられても、その人の音楽が同じように響くっていうのは、今の時代ですごく大事な事だと思うんです。そのためには、正直である事が、当たり前の事だけど、すごく大事だと思うんです。例えば『いい曲ができたので聴いて

  • 解説委員室ブログ:NHKブログ | 時論公論 | 時論公論 「サイクロンから3ヶ月 どうするミャンマー」

    << 前の記事 | トップページ | 次の記事 >> 2008年08月14日 (木)時論公論 「サイクロンから3ヶ月 どうするミャンマー」 (道傳解説委員) こんばんは。ニュース解説「時論公論」です。  ミャンマーを襲ったサイクロンから3ヶ月が経ちました。最大都市ヤンゴンでは、子どもたちが路地裏でこんな歌を歌って遊んでいることがあったそうです。「ヤンゴンの街が水に沈んで、タン・シュエ議長が隠れる。水が引いて新しい豆から油がとれる頃には、スー・チーさんが現れる」。1990年に行われた選挙の結果を無視して政権の座にとどまり続ける軍事政権のタン・シュエ議長に代わって、民主化運動の指導者スー・チーさんがやってくる、とも聞こえるこの歌は、すぐにも政権交替があることを示唆している訳ではありませんが、天変地異が起きれば何か変わるかもしれない、また天変地異でも起きなければ何も変わらないのではないかと言う悲

  • Tokyo Drifter  :ヒョードルのテクニックセミナーDVD

    kiomushi
    kiomushi 2008/08/16
  • Soirée Centellas à Tokio - Soirée William Centellas

  • DTMn - 過去のニュース : ノードをつないで作曲するソフト「Nodal」

    モナッシュ大学CEMAは、ノードをつないだグラフで作曲するソフト「Nodal」をリリースした。音楽イベントを表すノードと、ノードをつなぐエッジを使ったグラフをもとに、MIDIを使って自動演奏する(音源は非搭載)。「GarageBand」との連携も可能。Mac用、フリーウェア。デモ曲あり。 ⇒ nodal

    kiomushi
    kiomushi 2008/08/16
  • メジャーではなぜボールのカウントが先なの? - エキサイトニュース

    メジャーリーグを見ていて不思議に思うのが、ストライク(S)とボール(B)のカウントが日と逆だということ。 日は「S・B」の順だが、メジャーでは「B・S」の順に表示される。 これってなぜなんだろうか。 日では「投手」目線から野球を観るのに対し、メジャーでは「打者」目線だということ? ある野球雑誌の編集部に聞いてみたところ、 「あまりに古い歴史なので、正確な理由はわかってないんですよ」とのことだった。 また、別の野球雑誌の編集部でも、 「カウントが逆である理由は、諸説あるんですが、結論から言うと、わかっていません」 そこで、いろいろな資料を調べてみたところ、『にっぽん野球の系譜学』(坂上康博/青弓社)というのなかに、興味深いこんな記述を見つけた。 「当時の野球は“打者中心のゲーム”であり、打者を三者凡退に仕留めることはきわめてむずかしかった。日にはほとんどなじみがないが、イギリスやオ

    メジャーではなぜボールのカウントが先なの? - エキサイトニュース