台北市立動物園と迪化街めぐり 子連れ台湾#5 年越し台湾旅行5日目、レジャーや友人との食事を楽しむ日です。前日の様子はこちら www.oukakreuz.com 台北市立動物園へ パンダ館 パンダが見られるレストラン 迪化街へ 林茂森茶行でお茶を購入 小花園で刺繍グッズを購入 黒武士特色老火鍋で夕食 台北市立動物園へ 松…
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2006年現在の日本は、各人の所属する文化・習慣・価値観の多様化が著しい状態だとしばしばいわれるが、オタク文化圏もまた、カルチャーの細切れ化がとりわけ進行している分野のひとつと言えるだろう。ゲームやアニメといったコンテンツが無尽蔵に氾濫し*1、好み・ジャンルによって樹状の枝分かれを遂げた現在のオタク文化シーンの全体像を把握することは、一人のオタクにとって殆ど困難になっている。例えばエロゲーという分野なり、例えばミリタリーという分野なりは、それぞれのジャンル内だけでも幅広いニッチに分かれており、同じエロゲー愛好家の間でさえ、“互いに翻訳可能な共通認識のあるゲーム”を探しながら話をしなければならないという状況は少なくない。相手の知らないゲームの話をする際、「月姫の琥珀さんみたいなキャラ」とか、「スクールデイズっぽい黒さ」などといった表現を用い、何とか自分の考えを伝達しようとしたオタクさんは決し
オタク同士のコミュニケーションが、オタク界隈の細分化・多様化によって受ける影響 - シロクマの屑籠 上のリンク先にも書いたけれども、コミュニケーション媒体としての「共通体験」「共通理解」としてオタクコンテンツを要しているオタクにとって、秀逸でメジャーなオタクコンテンツは単なる娯楽ではない。彼らにとってのオタクコンテンツは、コミュニケーションの為の重要なツールとしても機能している*1。かつて、そしておそらくはこれからも、オタク達はオタク仲間とのコミュニケーションのツールとして、個々のオタクコンテンツに関する蓄積を用いていくことだろう。非言語コミュニケーションが不得手なオタク(そして今現在オタク趣味に深く傾倒している人の過半数以上が、そのような人達だと私は確信する)にとっては尚更だ。 だから、オタクコンテンツをコミュニケーション媒体として多用するorせざるを得ないオタク達にとって、オタク界隈全
じつは「オタク学入門」には、わずか数ページではありますが、美少女キャラクターについてふれた一節が存在します。 そこで岡田さんはこういったキャラクターには「文脈」があり、それを把握しておくことが大切だ、という話をしている。しかし、ふしぎなことに、それではその「文脈」というものが具体的にどのようなしろものであるかは語られない。 むしろそのような文脈とは、説明不要な、あるいは説明不可能なものとして捉えられているように読める。 つまり、わかるひとにとってはあまりに自明なのに、わからないひとにとってはさっぱりわからない、そういうものであるということなのでしょう。 しかもそれは時代時代によって瞬く間に移り変わっていく。それを捉えることができるのは、膨大な知識や執拗な分析ではなく、ある種の感性だと思います。 まあ、ある作品を楽しむためにはそれなりの感受性が必要とされるという、あたりまえすぎるほどあたりま
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