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ブックマーク / www.ringolab.com (2)

  • ブスがなくなる日 - 情報考学 Passion For The Future

    ・ブスがなくなる日 面白かった。美容ジャーナリストによる男女の見た目格差研究。ブスと美人の定義の歴史、それぞれの時代の両者の生き方など興味深い論点が満載。井上章一の『美人論』が好きな人は、現代版としてこのをおすすめ。 著者いわくメイクの進化や安カワ服のおかげで街からブスが消えたという。"規格外れ"の顔を、美しいとされる理想顔に近づけるのが庶民でも簡単になったからだそうだ。空気を読む人が増えたのと連動して、自身の容貌に気を使う人が増えてきたというのもあるかもしれないと思う。 明治初期の日人の顔は「貴族階級は細長く、庶民は丸ないし四角い」だったと当時の外国人の記述がある。日の原住民としての丸顔の縄文人と、細長の渡来弥生人。しだいに前者が後者を支配するようになって「色白で鼻筋が通っていて、細面」が美人の基形となった。今もその影響は続いている。 「弥生時代の埴輪顔、平安時代の引目鉤鼻、江戸

    kir_royal
    kir_royal 2011/06/29
    「強い者が美しい」をガチでやってるのがアメリカとかだけど、本当分かり易いもんなぁ。日本はたぶんしばらくは「美しい」より「可愛い」が強い時代が続くと思う。
  • 裸はいつから恥ずかしくなったか―日本人の羞恥心 - 情報考学 Passion For The Future

    ・裸はいつから恥ずかしくなったか―日人の羞恥心 ペリーの日遠征に随行した画家の「下田の公衆浴場」という絵には、全裸の男女が秘所を隠すこともなく混浴の浴場でくつろぐ様子が描かれている。若年や中年の男女が多いが、誰も互いの裸体に欲情していないし、恥ずかしさも感じていないことがみてとれる。この絵を見たアメリカ人は日人を「淫猥な人たちだ」といい、フランス人は「日人に羞恥心はない」といい、オランダ人は「男女の性別を気にしていない」といって驚き、そして軽蔑した。 150年前の日では「男女が無分別に入り乱れて、互いの裸体を気にしないでいる」のは普通だったのだ。江戸時代の日人にとって、裸体は顔の延長のようなものであり、現代人の我々がスッピンの顔を見られても恥ずかしくないように、裸を見られても平気だった。 江戸時代の日人がいかに裸に対しておおらかだったか、具体的な記録から明らかにされる。若い娘

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