皆さん、東北にハイテク産業が集中してるって知ってました? 殆ど震災で吹っ飛んだってのも知ってますか? 復興が進んでいない事情、そして来るべき物不足の予兆について、今まで殆どWebで語られていなかった事をInuinu_void氏のツイート中心に纏めました。誰でも編集できるようにしてあります。
![日本の製造業がヤバい(物資が足りない的な意味で)](https://cdn-ak-scissors.b.st-hatena.com/image/square/99c30ca867b22d2c221771cc147e9b990371c289/height=288;version=1;width=512/https%3A%2F%2Fs.togetter.com%2Fogp2%2Fd1f64c78043f501e1404722db98fef3c-1200x630.png)
皆さん、東北にハイテク産業が集中してるって知ってました? 殆ど震災で吹っ飛んだってのも知ってますか? 復興が進んでいない事情、そして来るべき物不足の予兆について、今まで殆どWebで語られていなかった事をInuinu_void氏のツイート中心に纏めました。誰でも編集できるようにしてあります。
NHK水野解説員 出番を減らされていた事実が発覚 Tweet カテゴリニュース 1:名無しさん@涙目です。(東京都):2011/04/11(月) 21:42:16.24ID:94sr8stP0● ソース 福岡先生の生放送による爆弾発言 544:名無しさん@涙目です。(静岡県):2011/04/11(月) 22:40:25.39ID:aj1Fa+6Z0 きたぞー 水なんとか 554:名無しさん@涙目です。(中部地方):2011/04/11(月) 22:41:48.17ID:yVEKMDLG0 >>544 まじだったw 50:名無しさん@涙目です。(東京都):2011/04/11(月) 21:48:20.63ID:JNfGqsiE0 言いたい事も言えないこんな世の中じゃ… http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/B00005FHC5/2log0
福島第一原発の事故を受け、日本気象学会が会員の研究者らに、大気中に拡散する放射性物質の影響を予測した研究成果の公表を自粛するよう求める通知を出していたことが分かった。自由な研究活動や、重要な防災情報の発信を妨げる恐れがあり、波紋が広がっている。 文書は3月18日付で、学会ホームページに掲載した。新野宏理事長(東京大教授)名で「学会の関係者が不確実性を伴う情報を提供することは、徒(いたずら)に国の防災対策に関する情報を混乱させる」「防災対策の基本は、信頼できる単一の情報に基づいて行動すること」などと書かれている。 新野さんによると、事故発生後、大気中の放射性物質の広がりをコンピューターで解析して予測しようとする動きが会員の間で広まったことを危惧し、文書を出した。 情報公開を抑える文書には不満も広まり、ネット上では「学者の言葉ではない」「時代錯誤」などとする批判が相次いだ。「研究をやめな
校長賞を贈られた瀬内龍虎くん=栃木県下野市の国分寺中学校 東日本大震災が起きた今月11日、栃木県下野市の市立国分寺中学校の体育館で、同中1年の柔道部員、瀬内龍虎君(13)が、崩れ落ちる天井の下から女子生徒を助けた。自身も落下物が肩にあたり、けがをするなか、女子生徒を上から覆うようにして壁際まで移動させた。とっさの判断だったが、「勇気ある行動」として校長賞が贈られた。 この天井の崩落では生徒20人がけがをした。1、2年による合同学年集会が午後3時から開かれる予定で、多くの生徒が集まっていた。 地震が起きた午後2時46分。瀬内君は体育館のほぼ中央に座っていた。揺れ始めてからまもなく、天井から小さな木片のようなものが落ちてきた。さらに揺れが激しくなると、大きな規模で天井が落ち始めた。 みんなと一緒に瀬内君が壁際に避難しようとした時、同じクラスの女子生徒が、落ちてきた照明器具で頭部にけがを
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栄村大震災(さかえむらだいしんさい)とは、2011年3月12日午前3時59分に発生した、長野県と新潟県の県境を震源地とするマグニチュード6.7、震源の深さ8キロ、最大震度6強[1]という大地震と、その地震による災害のことである。 概要[編集] 栄村とは、長野県北部下水内郡に属する人口2300人あまりの小さな村である。長野県と新潟県との県境に位置し、主な産業といえば農業と林業しかなく、特筆すべき施設と言えばダムしかないような栄村に、2011年3月12日、震度6強の地震が発生する。この段階で、地方自治体としてはもはやどうしようもないレベルである。しかも、本震発生から1時間あまりのうちに、同じ震源域内で震度6弱の余震が2度繰り返される。これは、北信濃の鄙びた寒村に過ぎない栄村に、新潟県中越地震以来の近年まれにみる大災害が訪れたことを意味した。 そして、短時間にわたって繰り返された激しい揺れは栄村
安物のデジタルビデオで撮影したため手ブレが酷くピントが合うまで時間がかかるのは、ご理解頂けませんでしょうか。 あとパニくって一人で騒いでいる男は私です。許して下さい・・・ なお現場の津波の高さは5.0mだったようです。 http://www.seisvol.kishou.go.jp/eq/tsunami_keihou_kentokai/kentokai3/siryou2-4.pdf (上記のPDFファイルのP.17に記載があります。) 北茨城市の見解では4.4mとなっております。 また津波の第一波は地震後、約20分後。二波は地震後、約35分後に到達しました。 この映像は第二波の津波によるものです。 映像を撮影していた場所より右手に200~300m進んだ所に居住していました80歳の独居老人の方が自宅ごと津波に飲まれ亡くなられております。 画面奥にあります「山海館」という宿泊施設ですが
「ウェブリブログ」は 2023年1月31日 をもちましてサービス提供を終了いたしました。 2004年3月のサービス開始より19年近くもの間、沢山の皆さまにご愛用いただきましたことを心よりお礼申し上げます。今後とも、BIGLOBEをご愛顧賜りますよう、よろしくお願い申し上げます。 ※引っ越し先ブログへのリダイレクトサービスは2024年1月31日で終了いたしました。 BIGLOBEのサービス一覧
キュゥべえ @QB0 これから、少しキミたちには不安な話をするかも知れないけど、これは今から考えておかないといけない問題だから聞いて欲しいんだ。今、東電が関東に供給できる電力はおよそ3300万kWだけど、それに対して需要が3400万~3800万kW必要だと想定されてる。それが今の計画停電の理由なんだ。 2011-03-16 14:38:26 キュゥべえ @QB0 だけど、これは福島や茨城が停電していることに加えて、鉄道もかなり運休していることを前提に想定されてる需要なんだ。つまり、これから鉄道網が回復するに連れて必要電力はますます増えるし、被災地でも復興がはじまれば電力は当然もっと必要になるってことだ。 2011-03-16 14:41:40 キュゥべえ @QB0 仮に、四月の必要電力を4000万kWと想定したとして、これは今の状況でも賄える。計画停電が続いた前提だけどね。だけど、問題はそ
3月11日の地震以来、胸にこみあげるものはいっぱいあります。でも、ツイッターでは、知人の安否を確かめるためにDMを利用するだけで、公ではあまり語らないでいます。 その理由は2つ: 2)正直な気持ちを書くと、説教じみた言葉になってしまうから。 とくにふたつめについて。 「日本の米軍は何もしてくれない」とか「原発のメルトダウンをなぜ最初から予測していなかったのか」とか「政府は何もせずに眺めているだけ」といったツイートを読むと、悲しくなるからです。 というのは、TVや新聞が書かなくても、地震が起きた時点で、米国政府は日本政府に援助の申し入れをし、日本政府が要望する形ですでに動いていましたし、原発についても、最初の放射能漏れの時点から、メルトダウンを含めて惨事の可能性があることは専門家には分かっていて、それをくいとめるために必死に対応しているのは明らかなのですから(こちらの報道では、早い時点でその
昨日は通行止めで県境を越えられませんでしたが、今日は連絡が取れなかった、栄村で建てた2軒のお宅を歩いて訪問しました。 車で入れたのは栄村役場までで、そこで施主さんにお会い出来、住宅の様子を聞けましたが、やはり実物を見たくて歩いて現場に向かいました。 青倉が一番被害が甚大とは聞いておりましたが、橋という橋は全てこんあ感じで壊れています。(国道はかなり応急処置をしてありましたが、一般車の通行はまだ出来ませんでした) 青倉の村は聞きしに勝るダメージを受けておりました。 橋の取り付き部分の歩道もこんな感じで、注意して歩きました。 横倉まではトンネルを通って向かいます。途中で点検作業をしていましたが、やはり継ぎ目からコンクリートの欠片がいくつも落ちていました。 横倉でも多くの家が被災しておりました。 凄い揺れで建物がねじ曲がり、窓が落ちています。 1階が傾いて危険な状態です。 無人だったのでしょうか
地震の当日、3月11日の夜。 午後10時を過ぎたころ、ホテルの方がロビーに小さなテレビを設置してくださった。 私を含め、この時点では何が起こっているのか全く理解できてなかった人達が、寝ていた床からゆっくり起き上がってテレビの周りに集まった。 私もくるまっていた毛布から出て見にいった。 午後 2時 46分に地震があってから 7時間後、初めて情報らしい情報に触れたのがこの時だった。 テレビは信じられない映像を流していた。 文字通り一瞬のうちに津波で流される街。 興奮したヘリコプターからのレポーターの声。 衝撃だった。 テレビを見始めた人はみなひとつの声もあげず、誰も彼も沈黙して画面を凝視していた。 中には、見ていられなくなってテレビの前を離れる人もいた。 津波に飲み込まれる街を見ながら、神戸の地震を思い出した。 あの時も私はテレビを見ていた。 早朝に地震があって、東京にいた私は仕事の最中もずっ
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