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増田文学に関するkiteretsu-elekitelのブックマーク (35)

  • 妻の遺骨を財布に入れている

    5年前に亡くなったの骨の一欠けらを財布に入れている。 彼女が亡くなった時、俺は激しく取り乱していてずっと泣いてたと思う。 泣き止んだ後の記憶は曖昧で、周りが色々と尽くしてくれた。 情けないことに自分は夫な癖にの葬式の手配すらままならなかったのだ。 ほんと、情けない話だよ。 骨上げの際、俺はの骨をくすねた。 周りから気付かれないようにしたつもりだがバレバレだったと思う。 それでも誰も、なにも言ってこなかった。 何処の部位の何かも分からない小さな骨の欠片。それを今も財布に入れている。 あんなに好きな人はもう二度と現れないだろうと、気でそう思っていたのだ。 少しずつ、ようやくがなくなったという事実を受け止められるようになってきたのは最近のことだ。 増田もそろそろ前を向いてもいいんじゃないか?そう声をかけてくれたのは友人だった。 いつまでも後ろを向いていたら彼女もきっと悲しむだろうから。

    妻の遺骨を財布に入れている
  • 同級生だった男の子が好きだった

    同級生だった男の子が好きだった。幼稚園から高校までエスカレーターでもないのにずっと同じだった。一番好きだったのは高校生の時期だった。家が近いわけでもなかったし同じ趣味があったわけでもなかった。クラスはたまに同じになったり離れたりしていた。高校生のとき同じ部活に入った。彼が入ったから入った。他にも理由はあったように思うし、後付けのような理由だったとも思う。女子の競技人口が少なくて大学進学時の箔付けになるから。そう自分を誤魔化していたように思う。ボードゲームの部活だからかいつだって部室の空気は緩く、先輩後輩の上下関係もなく、先生にもタメ口で話していた。学校に持ち込むのを特に禁止されていたわけでもなかったお菓子をみんなでつつき、暗くなるまで駄弁っていた。皆仲が良かった。帰りが遅くなったからと送ってもらったことがある。10年以上前なのに未だに鮮明に覚えている。あの時流行っていた曲の歌詞のような時間

    同級生だった男の子が好きだった
  • 腫瘍を取ったら姉だった話

    過去にね お腹がすごく痛くなったことがあるんです なんていうか圧迫感っていうか 体を折り曲げるとテニスボールを挟んでいるような違和感があって それでまぁ我慢できなくてかかりつけ医のところに行ったんです そうしたら難しい顔されて あれよあれよという間に大学病院に連れて行かれて腫瘍ができてるから手術するよって それで取ったんです 腫瘍 わたしどうしても腫瘍っていうのが見てみたくて 必死にしつこくお願いして見せてもらったんです 腫瘍はなんというか モッツラレラチーズをカマンベールチーズ色にして赤い血を浴びせたようなそういう見た目でした そんで 中に何が入ってるか調べるっていうんで それも見せて欲しいって言ったんです そうしたらね まあ面倒そうに口元ひん曲げながら銀色のトレーに中身を入れてずいっと差し出してくれてね 中には髪の毛の束と小さな歯か骨のカケラが入っていました わたしが元母親(縁切りして

    腫瘍を取ったら姉だった話
  • 元増田です。10年経ちました。 当時はみなさん優しい言葉をかけてくれて本..

    増田です。10年経ちました。 当時はみなさん優しい言葉をかけてくれて当にありがとう。 なんとか生きています。 お日様から東から上がる限り、 その太陽の光を希望に生きていかないといけないんだなあ、なんて当時ぼんやり思いながら 時間が過ぎるのを待って過ごす日々でした。 なんとか仕事を見つけて 5-6回転職繰り返して 20年近く住んでいた街とも別れて新しい街で生活を始めて その間にパワハラからのも経験したりして。 そこから復帰して、この春また新しい職場で働く予定。 最近はもう死産から10年にもなるし 親しくなった人に死産経験をカミングアウトしたりし始めていたところです。 妊娠楽しかったよ、 1人で産むって決めたら色んな人が色んなこと言ってたよ、 でも自由で楽しかったよ。 死産だって言ってるのに「当に?」って聞いてくる無神経なマダムがいたりとか、人間関係リトマス試験紙だったよ なんて笑い話

    元増田です。10年経ちました。 当時はみなさん優しい言葉をかけてくれて本..
  • 私の子供はサッカーをやっている。 いわゆる某リーグのチームの下部組織、..

    私の子供はサッカーをやっている。 いわゆる某リーグのチームの下部組織、アカデミーで。 こういうところで「サッカーうまい」と言うのは当たり前で、当にうまい連中というのは 年齢なんて関係なく化物みたいに圧倒的な力を見せる奴で、そういう意味ではうちの子は普通レベルだ。 ユースを終わればトップチームはない。大学でやるか、競技サッカーは引退か、という感じ。 全国大会にも出た、名前とチーム名でググれば、JFAのページが引っかかる。 だけど残念ながら、レギュラーではない。 守備固め、あるいはスターティングメンバーがうまく行かなかった時、あるいは怪我をした時に2番手として出てくる。 変わってると言われるかもしれないが、俺は自分の子供がベンチでウォーミングアップをしている姿が好きだ。 後半から始まるルーチンのアップではなく、急遽出るために一人だけトレーナーとアップを始めるその姿が好きだ。 一番手にはなれな

    私の子供はサッカーをやっている。 いわゆる某リーグのチームの下部組織、..
  • 迷子の犬についていったら飼い主の家についた話

    10年以上前の話。 友達の家のあたりで遊んでいたら、大型犬がリードもつけず歩いているのを発見した。 野良犬なんて滅多にいない時代だったし、飼い主らしき人もどこにもおらず、二人で迷子だろうと結論付けた。 小学校高学年あたりだったけど、隣に並んで立つと私の腰くらいの大きな犬だった。犬が立ち上がれば私と同じぐらい、いやもっと大きいかもしれないと思った。もうあまり覚えてないけど毛並み的にゴールデンレトリバーぽい感じの犬種だったと思う。 笑顔に見える人好きのする顔で、全く吠えず人懐っこい犬だった。 よく吠えられるせいで犬に近寄れない私でさえ怖がらず撫でることができた。 首輪をみると名前しか書いておらず、悩んだ私たちは交番まで連れて行くことにした。 なのに、犬は道がわかっているかのようにスタスタとどこかへ歩き出した。まるで私たちがついてきてるか確認するように振り返りながら。 私たちは好奇心でその犬につ

    迷子の犬についていったら飼い主の家についた話
  • 木屋町にあるキャバクラで黒服の仕事をしていた

    この日記の内容はみだしのとおりだ。京都での学生生活の4年間をキャバクラでの黒服の仕事に捧げた。 昨年末のこと。コロナのおかげでストレスが溜まる中、ふと京都が懐かしくなって一人旅に行った。学生時代と社会人約十年目では、さすがに景色に差があった。いろいろと感じるものがあったので、ちょっとしたためてみることにした。 広島の田舎から京都に出たばかりの、当時18才だった私は大学生活に憧れを抱いていた。第一志望ではなかったが、行きたいと思っていた大学だった。 4月はあっという間に過ぎた。入学式、オリエンテーション、サークル勧誘、学部学科での新入生歓迎会、初めての履修登録、初めての講義、初めてのゼミ活動。 楽しくもあったし、不安もあったけど、5月になって、まだあることをしていないのに気が付いた。 アルバイトである。大学生はアルバイトをするものだと思っていた。それ以前に読んだ漫画やアニメでは、大学生はみん

    木屋町にあるキャバクラで黒服の仕事をしていた
  • 蝉の声

    僕が地球に不時着したのは32年前で、故郷の星に戻ることを諦め今の結婚してから4年になる。 結婚を機にウォーターサーバーの営業の職に就き、契約先のオフィスを巡って重たい水のボトルを運ぶ日々を送っている。 ーー 数年に一度くらいのことなのだけれど、街角で僕以外の宇宙人を見かけることがある。 地球人にはまったく気づかれないと思うが、やはり宇宙人同士だと一目でそれとわかるものだ。 苦笑いを浮かべて会釈を交わすこともあれば、こっちに気づいた瞬間に走って逃げられることもある。 お互いにいろんな事情があってこの星に迷い込み、生きることを決めたのだろう。 ーー 地球人は安全極まりない生き物だけれど、得体の知れない異星人には捕される危険性がある。 だから宇宙人同士で会話することはないし、会話したとしても必要最小限の二、三言で、以後はできる限り互いが会わないように注意して行動するようになる。 なので今日

    蝉の声
  • 旅が終わる気がする

    私の故郷はとても寒い場所にあって、そこで大人になるまで暮らしていました。 事情があって町を出てから初めて、あぁ、私はここから当に離れたかったのだなと気がつきました。 一人暮らしを始めた日は大雨警報が出ていて、ラジオからは空港で足止めになった人がインタビューを受ける声が聞こえました。 これから暮らす知らない街は嫌がらせのように道が入り組んでいて、番地の順番はひどく不規則でした。土砂降りの中、散々迷ってほうほうのていでアパートに辿り着いたとき、私は全身ずぶ濡れで、まるで服のままシャワーを浴びたかのようでした。 電気がまだ通っていなかったので部屋の中は真っ暗でした。ドアを開けると、安くて古い家特有の匂いがして、一歩進むごとに床がぎしぎし鳴りました。アパートの廊下の灯りに照らされて、自分だけの部屋に一人佇む私のシルエットが浮かぶのが見えました。 それを見た瞬間、お腹の底からわーっと力強いエネルギ

    旅が終わる気がする
  • ほぼ叔父に育てられた

    父親はモラハラで母に興味が無く気まぐれに私を殴り 母親はアル中で不倫中毒で家事一切しない 共働きで父母どちらも炊事洗濯掃除全くしない そんな家庭で育った 乳幼児の頃から当に叔父に助けられて育った 叔父は母の年離れた弟で叔父が大学生の時に私が生まれた 私が生まれたばかりの頃から母の子育てを危ぶんだ叔父は私の世話をかって出た(らしい) それから小学校に入学するまで母の実家で祖父母と叔父と暮らしていた 高齢者のパート賃金と大学生だった叔父のバイト代、叔父が就職したら新卒の給料が頼りだったので裕福とは言えない暮らしだったが穏やかだった 小学校入学とともに父母に引き取られた 地獄だった 叔父は土日に遊びに連れ出してくれたり母の実家にお泊まりさせてくれたりした 母はなぜか実家にあまり来ないので叔父と祖父母といられて懐かしいごはんがべられて嬉しかった 10代になると自分の家庭が明らかにおかしいことが

    ほぼ叔父に育てられた
  • 荒川区と北区の増田

    早稲田行きの荒川線がほとんど空っぽなまま夜の王子駅に...(王子、十条、西日暮里) https://anond.hatelabo.jp/20200502162137 https://anond.hatelabo.jp/20200504221805 尾久は奥(田端、尾久、西日暮里) https://anond.hatelabo.jp/20200510103842 All Right, All Right (田端、赤羽) https://anond.hatelabo.jp/20200510184249 https://anond.hatelabo.jp/20200513075855 あなたは脱ぎたてのぱんつをその場でもらったことが...(田端) https://anond.hatelabo.jp/20200513214310 日全国のユウダイを許さない会(上中里、町屋) https://an

    荒川区と北区の増田
  • PHIというネトゲでおじさんに救われていた小学生女児の話

    私が小学生の頃、Phantasmal Islandというネトゲをプレイしていたときの、 そこでのおじさんとの思い出話(2003~2008年くらい)です。 ※おじさんが今何歳なのか知らない。当時も結局教えてもらえなかったので。 だから当はおじさんじゃないのかもしれないけど、便宜上おじさんと呼ぶ。 釣りっぽいタイトルになってしまった。おじさんに届いてほしいので許してください。 小学生のとき、私にはほとんど友達がいなかった。 正確に言えば、幼稚園の時点で既に友達がいなかったようだ。幼稚園の連絡帳に、遠回しにそういった内容が書いてあったのを以前見たことがある。 自分の記憶を辿ってみても、誰かと遊んでいた印象はあまりない。 他の女の子が私を遊びに誘ってくれても、断って絵を描き続けていたことを覚えている。 描いていた絵は当時母親がプレイしていたトルネコの大冒険のアイコン。壺とか巻物とか。 その女の子

    PHIというネトゲでおじさんに救われていた小学生女児の話
  • 一軒家(借家だけど)に越したので犬を飼うことにした

    俺は犬とが好きだ。嫁もと犬が好きだ。だからずっと犬を飼いたかったのだが住宅事情と仕事の関係でずっと飼えなくて、去年の暮に満を持してペット可能の借家を借りることにした。 家は多少ボロいのだがペットOKの条件で探したのでそこは文句なく、中村珠緒似の大家さんに犬を飼っていいか尋ねると「もちろんいいですよぉどぼぼぼぼ」と中村珠緒みたいに笑って許可してくれた。 果たして犬を(願わくばも)飼うべく俺たちがまず認識を共有したのは「保護犬()にしよう」ということだった。ここでは生体販売がどうのとか言うつもりはない。ただ、可哀想な子を可愛がろうと思ったのだ。 いくつかの里親募集イベントをネットで調べて二人で出かけてみたが、なんか色々と条件を付けられ「それ必要なのか?」って思うようなものまであって、いくつかのイベントを見送ってはめげずに別の里親イベントの予定を作っていた。 その犬に俺たちが出会ったのは

    一軒家(借家だけど)に越したので犬を飼うことにした
  • 2年ほど前だっただろうか、同僚が辞めるからってその送別会のために出張し..

    2年ほど前だっただろうか、同僚が辞めるからってその送別会のために出張した。 しかも送別会にかこつけた出張なんてって半分遊びみたいなもんでその地で待っている業務なんて何もない。 経費削減の折に、なんて無駄なものなんだなんて思うけども、年度末の道路工事と一緒で部署としては確保した予算は使い切りたいもの。ありがたくマイルも頂戴する。 汚いお店だけども、美味しかった中華屋で光輝く去りゆくものと、残されたものたちのコントラストがなんともいえなかった。 そんな別れを惜しむ夜にホテルでデリヘルを呼んだ。我ながら最低だなと思った。しかも、ただのデリヘルじゃない、はじめてのデリヘル、はじめての風俗。 やはりはじめては特別で、忘れがたい。前から風俗が気になってはいたけど知らない土地で、知り合いもいないこの地が背中を押してくれた。 呼ぶまでたいぶ迷ったし、呼ぶと決めてからもお店選びにだいぶ迷った。優柔不断さがこ

    2年ほど前だっただろうか、同僚が辞めるからってその送別会のために出張し..
  • 僕らの寮に住んでいた猫のはなし

    その灰色のは夏ごろから僕らの寮に住んでいた。 エアコンもない居室のドアは、いつも開けっ放しだし、24時間誰かが起きていて誰かが起きていたから 気が向いた部屋に入っては、ベッドで寝たり、餌を貰ったり、酔っ払いに絡まれたりしていた。 ぼくの周囲の友達からはタロウちゃんと呼ばれていたが、いろんな部屋に出入りしていたので沢山の名前を持っていたようだ。 タロウちゃんは、弁当が入ったコンビニ袋を開ける音を聞きつけると コンクリートの廊下をカチャカチャと爪を鳴らしながら走ってきて、分け前をねだってきた。 授業をさぼって寝ていると、ベッドに入ってくるのだが多分ノミを背負っていたから、その後で体が痒くなったりした。 その秋にタロウちゃんは友達の先輩のベッドで子供を3匹産み落とし、僕らは彼が実は彼女だったことを知った。 冬になる頃、子供はいつの間にか1匹になっていたが、僕らもタロウちゃんも特に気にせず いつ

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  • 実家のイッヌが死んだwww

    あのねwww今日のねwww11時半ぐらいに実家のマッマから連絡があってねwwwイッヌwww死んだってwww 午後からの仕事まったく手につかないwww それで定時になってすぐ帰ったらねwww イッヌ寝てるのwww いや、寝てるようにみえたのwwwホントは死んでるのwww草生えるwww 体触るとねwwwまぁ硬い硬いwww 正月に帰った時寝たきりのイッヌをねwww触って揺らすとねwwwふりふりって感じに揺れたのにねwww ぜーんぜんwwwゆwれwなwいwwwびっくりしたねwww死後硬直ってやつwww 「はーん、しんだんか、おまえ」 っていってねwww実感なく飯ったwwwふと目をやるとねwwwやっぱ寝てるようにしかみえないのwww 俺が飯ってると俺の顔じっと見てたけど見ないからやっぱ死んでるのねwww パッパが「おし、埋めるぞ、手伝ってくれ」って畑までいって、車のライトで埋めるところ照らしてね

    実家のイッヌが死んだwww
  • 一六

    人生ではじめてをまじまじと目の真ん前で眺めた日がそのがうちにやってきたちょうどはじめの日で 小さな籠におさまってやってきたはしかしすでに堂々とした体躯で、四国銘菓のような姿で堂々と眠っていたので一六と名づけた 名が音をたてて天井から降ってきて頭にぶつかったような日だと思いながら籠の中で眠るを眺めて眠った いつかどこかで、もしまたなにかあずかり知らぬ縁がありもう一匹が我が家にやってくることがあれば そのときはまだ知らぬ彼か彼女かをタルトと名づけてやろうかともくろんだがその日はとうとうやってこず 一六はただ一匹のただのなんでもない一六のまま14年ここで暮らして去った すとんと切り落としたようなきれいに丸い甘いお菓子のような寝姿を思い出している

    一六
  • そして今私は障害者の中にいる

    ■半年前の日記 https://anond.hatelabo.jp/20190615163022 「私もう、訴えます。当に、訴えます」 盲の人が叫んだらしい。いわゆる障害者部屋で。相手は職場のありとあらゆるすべて。同じ障害者の人からそれを聞いた私は、はははとしか言いようがなかった。そりゃそうだ。何の疑問もなくそう思った。 彼女はもうとっくに限界なのだ。 今年の4月、うちの会社は急遽障害者部屋を作った。障害者の雇用率が全く達成されておらず、世間からぼこぼこに叩かれて急遽作らさせられた障害者部屋。何十人という人間を詰め込んで、雑務に近い定型作業をただひたすらにやらせる。よくある特例子会社を社内に作ったような部署だ。 私はそこに4月から障害者枠の正社員で採用された。中途の社員もほとんどいない中、障害者雇用率は大幅に未達。障害者がほとんどいない、新卒プロパー純粋培養の環境。そこに大量の障害者。は

    そして今私は障害者の中にいる
  • 特に好きでもない人と結婚して10年

    私は23のときに特に好きではない人と結婚した。 結婚の経緯は今どきあり得ないでしょ?って言う思惑がらみのお見合いで。 相手は干支が一回りしそうな男。この話が5年早かったら間違いなく犯罪。早くなくても人身売買じゃないのこれ?って言って良いような政略結婚。いやほとんど借金のカタじゃないの?当時の私はそう思ってた。せめてもの救いは彼もこの結婚に対して同じような気持ちであったことと、イケメンではないものの清潔感のある温厚な男だったこと(これがちびデブだったらもう当悪いけどダメ)。そして私たちに共通していたことは「親を守りたい」という意識だった。言ってしまえば彼は私に安定した生活の保証をする代わりに、私は彼に世継ぎ(である必要は必ずしもないと言われたが)を産む。暗黙の契約のような気持ちで私はこの結婚に同意し、いささか、いやかなりの格差婚を感じさせる結婚式を挙げると私は実家から飛行機の、夫の実家から

    特に好きでもない人と結婚して10年
  • ゲームが好きで一時期ゲーム会社にも入った私からの意見。 少し長くなるが..

    ゲームが好きで一時期ゲーム会社にも入った私からの意見。 少し長くなるが議論を聞く余地がありそうな書きぶりだったのでよかったら読んでほしい。 私は高校生までこの方と同じような状況と考えだった。 時間の無駄。何が楽しいのかわからない。 何時間もやる連中の気が知れない。 映画が好き。 私の兄は子供の頃からゲームが大好きな人だった。兄弟のお年玉を共有財産として使ってしまう人で、私が無欲だったのをいいことに私のお年玉を自分のお年玉と合算してゲームを買ってしまう人だった。 (いま思えば兄への不信感はこの時から始まり以後数十年続いているのだけどそれはまた別の話) 自分はそれこそゲームなんてまるでなんの興味も関心もなかったし、シューティングゲームだのRPGだの、そういったゲームを兄が夢中になってやるのを、冷めた目で見ていた。 ためしにやってみなよと言われていくつかやってみたものの、ぷよぷよはどうしても半魚

    ゲームが好きで一時期ゲーム会社にも入った私からの意見。 少し長くなるが..