明治35年創業、本の街・神田神保町にて貴重な書物を扱う専門古書店です。江戸時代の和本から明治以降の初版本・限定本、名家文豪の肉筆草稿などを販売・買取いたします。
編集工房ノアは、1975年(昭50)9月、私が29歳で始めた。住んでいる大阪、関西の地で、文芸出版がしたかった。42年が経つ。 本書のサブタイトルに迷った。「編集工房ノアの42年」と出来ない。実は、私が還暦(10年前)に出そうと思いまとめ、校正刷りまで上げたが、自信がなくなり、放置していた。自社で自分の本を出すことに迷いもあった。が古希をむかえ決心した。恩義を受けた足立巻一さんの享年72歳を越えては、あまりに恥ずかしい。 考えた末、「編集工房ノア著者追悼記」とした。すべてが著者への追悼記なのである。私と著者との間の話なのだが、私だけが知ることもあり、記憶、記録として残しておくことも意味があるかもしれない、と思いなおした。 帯文は、手さぐりで始めた出版の業界の師とも思う、地方・小出版流通センター代表の川上賢一氏の言葉。 「関西で唯一の文芸専門出版社主・涸沢純平が綴る、表現者たちとの熱い交わり
現在の枕頭「本の本」は、寿岳文章著 布川角左衛門編『書物とともに』(冨山房百科文庫)。寝る前に気のむいたところから読み始め、きりのよいところで適当にやめてしまうということを繰り返しているから、再三読んだエセーもあるし、全く読んだことのないエセーも未だにあって、この一冊でずいぶん楽しんでいる。こういう読み方は、どこまで読んだかということをいちいち気にせずに済むからよい。 ところで同書には、「向日庵私版発願記」(pp.173-74,初出:一九三四年十二月『書物之道』)というのと、「なぜ向日庵私版を復興しないか」(pp.175-78,初出:一九五一年六月「日本古書通信」)というのとが収められてあって、これらを続けて読むとたいへん面白い。「向日庵」とは、寿岳が昭和八年初夏からしばしその居を構えていた京都の向日町に由来する名称で、「向日庵私版」というのは、ウィリアム・モリスを敬愛する寿岳らしく、寿岳
架蔵の細川叢書、メリメ『イールのヴィーナス』(杉捷夫訳、細川書店、一九四七年八月二〇日)。Makinoさまより以下のような質問メールを頂戴したので取り出してみた。 《佐藤春夫『美しい町』(細川書店・1947年・非売品)を入手しました。フランス綴じの美しい本で、本文の紙質、印刷、活字・レイアウトも申し分ありません。裏表紙には「Ne se vend pas」と空押しがしてあります。敗戦直後にこんな洒落た本が出ていたとは驚きです。「細川叢書5」としてありますが、この叢書について、何かご教示いただければさいわいです。》 細川叢書および細川書店の岡本芳雄については曾根博義『EDI ARCHIV 3 岡本芳雄』(エディトリアルデザイン研究所、一九九七年)が詳しい。また拙著『古本デッサン帳』(青弓社、二〇〇一年)にも一文を収めているのでご参照あれ。かいつまんで岡本芳雄の略歴を掲げておく。 大正元(一九一
今度『斎藤昌三 書痴の肖像』(晶文社)という本を書かれたそうですね。斎藤昌三というと古書マニアの間では、番傘や竹で装幀した変った本をたくさん出した人として知られていますが……。 いわゆる“ゲテ装本”のことですね。番傘の油紙を剥がして昌三が自分の著書の表紙に使った『書痴の散歩』という本を評して、民俗学者の柳田国男が「下手もの趣味もここまで来ては頂上だ」と言ったと。口の悪い柳田のことですから揶揄したつもりだったのかもしれませんが、昌三はそう言われたのを逆手に取って、これまでの本造りでは決して使わなかったような材料を使って装幀したこれらの本を、自ら“ゲテ装本”と称するようになりました。いまならいくら変った材料を装幀に使ったとしても印刷してしまうので、どれも同じになってしまいます。“ゲテ装本”の全部がそうというわけではありませんが、実物を使っているため、一冊一冊が微妙に異なっています。なかには昌三
古本好きなら、誰しも斎藤昌三の名前はご存じだろう。いまも高額の古書価で取り引きされることの多い「ゲテ装本」を作った人として知られている。本書でもゲテ装本の一部はカラーページを設けて紹介しておいた。ゲテ装本とは通常、本造りでは使わない酒ぶくろ、蚊帳、竹皮、風呂敷といった実物をそのまま装幀に使用した、風変わりな本のこと。番傘の油紙で装幀した昌三の著書『書痴の散歩』を前にした民俗学者の柳田國男が「下手もの趣味もここまで来ては頂上だ」と洩らすと、この言葉を気に入った昌三は、こうした本を自ら「ゲテ装本」と称した…..という話も、「日本の古本屋」のメルマガ読者なら先刻ご承知かもしれない。 ならば、そんなゲテ装本を数多く作った書物展望社社主にして名編集者の斎藤昌三とはどんな人物だったのか。一旦調べはじめたら、出てくるわ出てくるわ、これまで知られていなかった出版史・文学史・趣味の歴史のエピソードが山のよう
とある。 1部だけでもゲテ本と呼ぶのか、一体いつごろからこの言葉が使われ、いつごろからゲテ本があったのか、などなど説明不足で疑問の残る解説だが、要は「奇をてらった装丁」と言うような意味なのだろう。 ゲテ本の本家本元の齊藤昌三自身は 「常道に外れた者を世人は奇人と稱し、常識をもって常道とする。常識は極端に云えば平凡で、水平線以下のものである。書物の装幀に於ても、普通には從来の慣例に依るものに馴らされ、多少斬新なものや、常道を逸したものをゲテ本と云ふ、故に昔の嵯峨本の如きも初めて世に出た頃は、當時の讀書人からは驚異の眼を以て迎えられたことであろうが、未だゲテ本の名稱こそなくも、常道から見ては矢張り一種のゲテ本であろう。」(「げて裝本の話」、『書斎随歩』、書物展望社、昭和19年3月)と、人間で云えば奇人の類いのようだ。 ゲテ本創作家としてよく知られているは、何といっても斎藤昌三であろう。数部だけ
明治・大正・昭和を生きた斯くも面白き出版人!風変わりな造本でいまなお書物愛好家を魅了し続けている〝書物展望社本〟――その仕掛け人・斎藤昌三の人物像と彼をめぐる荷風、魯庵、茂吉、吉… 明治・大正・昭和を生きた 斯くも面白き出版人! 風変わりな造本でいまなお書物愛好家を魅了し続けている〝書物展望社本〟――その仕掛け人・斎藤昌三の人物像と彼をめぐる荷風、魯庵、茂吉、吉野作造、梅原北明ら書痴や畸人たちとの交流を描き出し、日本の知られざる文学史・出版史・趣味の歴史に迫った画期的労作。 今では貴重な傑作装幀本の数々をカラー頁を設けて紹介。詳細な年譜・著作目録も付す。 地下水脈的ネットワークの中心にいた奇人歴史にはときとして人物交差点のような人が現れる。その人自身の業績もさることながら、親しく付き合ったり反目したりした人たちがあまりに多彩なので、この人物交差点を中心に据えた「交際事典」のようなものをつく
梅原北明の出版人脈の中にあって、その文章がまとめられ、出版や翻訳や装丁に携わった「書物一覧」も編まれている人物が一人だけいる。それは西谷操で、秋朱之介『書物游記』として、書肆ひやね から昭和六十三年に刊行された。そこには荻生孝による「秋朱之介とその時代」という西谷の書物と寄り添って生きた個人の軌跡も収録されている。「付録」には「秋朱之介と関係出版社系譜」を収め、城市郎の「“昭和艶本合戦”珍書関係者系譜」よりも幅広く、さらに秋が関係した限定版や特装版の出版社が加わっていて、両者の出版人脈が重なっていることを教えてくれる。 残念ながら、私は西谷が出版した本は、操書房の戦後の二冊しか所持していない。それらはいずれも昭和二十三年発行のヴォルテールの『オダリスク』(三谷幸夫訳)とアンリ・ド・レニエの『ド・ブレオ氏の色懺悔』(矢野目源一訳)で、表紙のセンスは突出しているにしても、時代を感じさせる仙花紙
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