■ちょっと、いそがしいので更新は低速で。文章は支離滅裂で 時間の積み重ねを使った手法は文章技術や思考操作とかレトリックでなんとかなるものではないと思うのだけれど。 長篇における喪失感の話で言いたいのは、いくらレトリカルなしかけをしても 時の質量には勝てない気がするってこと。 いいや、ちがうか、文章や設定の秀逸な設定でできることと、実時間を使った仕掛けでは与えられる効果が違うというべきか。 七年待った。って言葉は七年本当に待った人間がつぶやく言葉だから意味があるわけじゃん。 これを想像であの人は「七年待った」という情報がどこかで与えられてるから、読み手は言葉の重みを感じる。 じゃ、情報じゃなくて実際に七年待った人と同じ経験をさせたらどうなるか。 というか、七年待ったという情報に思いを馳せるのと 実際に一緒に七年待つのとどっちの方が気持ちがシンクロするだろうか? つー話。
このあいだ、近所のYouTube行ったんです。ようつべ。そしたらなんか人がめちゃくちゃいっぱいでダウソできないんです。で、よく見たらなんか垂れ幕下がってて、「YouTubeのアニメを高画質で見る方法」とか書いてあるんです。 もうね、アホかと。馬鹿かと。 お前らな、ブロックノイズ補正如きで普段来てないTERRAZINEなんかに来てんじゃねーよ、ボケが。なんか親子連れのデブとかもいるし。一家4人でようつべでハルヒか。おめでてーな。よーしパパ、ハレハレダンス踊っちゃうぞー、とか言ってるの。もう見てらんない。お前らな、トレントやるからその席空けろと。 ようつべってのはな、もっと殺伐としてるべきなんだよ。コメント欄で煽られていつ喧嘩が始まってもおかしくない、削除か再うpか、そんな雰囲気がいいんじゃねーか。女子供は、すっこんでろ。 で、やっとダウソできたと思ったら、ネトランが、「削除されたYouTub
自分が指摘される事について ブログなどに付随するコメント欄で指摘するのは失礼だ、と考える人もいるけれど、個人的にはいちいちメールで指摘されるのも鬱陶しいので、指摘してくれるのならコメント欄でその事実だけを指摘してくれるのが好ましいと考えます。 メールアドレスは、今見ている画面の下の方に画像で表示しているけれど(ekken.san★gmail.com)、あんまり確認しないし、心当たりの無い件名が表示されているメールの場合、読まずに捨てちゃう事もあるので、コメント欄の方が確実です(一度に多数のコメントが寄せられた場合、見逃す事もあります)。 誤字の大部分がタイプミスか変換ミスなので、特にバカにされたと考える事はないものの、ごく稀に素で間違っている事もないわけじゃないので、指摘自体は有り難いと思う事も少なくないです。 自分が指摘する事について だいたいにおいて数箇所の誤字では、前後の文脈からなに
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