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ブックマーク / ukdata.blog38.fc2.com (182)

  • 看取りで裁判を起こすクズ | ブログ運営のためのブログ運営

    https://www.asahi.com/articles/photo/AS20231206001640.html 「看取り」とは、裁判で問う 「父の最期は自宅で」かなわず、救急搬送 2023年12月6日 16時30分 父を自宅で看取(みと)りたい――。訪問看護施設にそう希望を伝えていたのにかなわなかったとして、家族が施設側に損害賠償を求めた裁判の判決が8日、大阪地裁である。終末期のあり方をめぐっては、人や家族が医師と事前に話し合うよう国は勧めるが、十分に浸透していない。 86歳で認知症の父親の容態が悪くなったという。自宅で看取りを希望していたのに、訪問介護の人に救急車を呼ばれてしまった。そして病院で死んだ。それが許せないとして、裁判をやっているそうである。当にくだらないと思ったのは、父親の危篤の瞬間、この原告は仕事中だったらしい。仕事をやめて介護しているならともかく、仕事をしている

    kiyo_hiko
    kiyo_hiko 2023/12/15
    "左翼は人情家ではないので、逆に、原理原則にとても拘る"
  • 清原の息子に価値なし。親が金持ちなだけ。 | ブログ運営のためのブログ運営

    慶応大学というのはずいぶん不思議なところであり、「親が金持ち」というオーラがとても強い。極貧家庭に生まれて慶応大学に進学した人ももちろんいるのだろうが、その場合は出自を黙っているのかもしれない。清原の息子にしても、慶応だから野球部でベンチ入りできるのであり、普通の強豪校ならベンチ外である。「親が金持ち」という血縁や門閥を世間に見せつけて、いったい何がやりたいのか、当に不思議である。これによって人から尊敬されるとは思えないし、いや、尊敬されたくもないだろうが、社会の底辺層から嫉妬ややっかみだけ受ければ満足なのだろう。慶応大学とは、「親が金持ち」ということでふんぞり返る、ずいぶん奇妙な社会集団なのである。ボンボンにはボンボンなりのコンプレックスがあるのかもしれないし、そもそも当に優秀なら国公立大学に行くと思うので、つまり、親の力で上げ底するために慶応に行くのだろう。よくよく考えると、親が金

    kiyo_hiko
    kiyo_hiko 2023/09/01
    "そもそも本当に優秀なら国公立大学に行くと思うので、つまり、親の力で上げ底するために慶応に行くのだろう。…ともかく彼らは威張っており、自分がすごいのではなく親がすごい、ずいぶん倒錯的なブランド大学"
  • 罪悪感でなにかをやった気になる | ブログ運営のためのブログ運営

    神経症とはなんだったのか、といえば、善良であろうという意思であるし、ではそんなに模範的な人物なのかというとたぶんそうではなく、おまじないの類である。罪悪感というのも、おまじないである。祟りを恐れるというか、当に祟られるかどうかは別として、自己処罰をしておかないとまずいという疚しさである。HSP(ハイリー・センシティブ・パーソン)なる言葉があるが、これも要するに疚しさである。なにかにつけて罪悪感を持っておいた方がよいという呪術的なものである。この内面的な良心は人間の根幹ではあるが、それがない世の中には耐えられないから過剰に分泌するのか、とりあえずタダなので偽札を濫造しているのか、ともかくおまじないである。さて、それでは、どのような理由で疚しいのか、となると理由が判然としないこともある。この世界の様々なことについて心を痛めておくというか、それこそ天皇陛下みたいな感じになっている。あまねく人間

    kiyo_hiko
    kiyo_hiko 2023/07/16
    うつ病は芝居
  • うつ病とコンプライアンス | ブログ運営のためのブログ運営

    精神的な病気は、治ったら困るというのがあるわけだ。病気になれば休めるとか、そういう発想である。うつ病に関しても、そういう側面はある。誰かがになったら、自殺の心配をしないといけない。そこには、自殺したら誰かが責任を問われるというコンプライアンスが内在している。コンプライアンスの時代だからこそ、うつ病になるのである。コンプライアンスもクソもない世の中だったら、になっている暇はないし、ならないのである。昨今においては、人生の苦痛がうつ病に昇格すると、それによって特権階級となる。やはりメンタルヘルスには流行り廃りがあり、かつてあれだけ隆盛を極めた強迫神経症(強迫性障害)も時代遅れである。強迫神経症よりはうつ病になっておいたほうがいい、というのがある。怠けたり休んだりするのに使いやすい方便はなにか、それがうつ病なのである。人生が辛い・苦痛でしかたがない、というのは万古からの人類の悩みである。生き

    kiyo_hiko
    kiyo_hiko 2023/05/16
    "人生の苦痛がうつ病に昇格すると、それによって特権階級となる…怠けたり休んだりするのに使いやすい方便はなにか、それがうつ病なので…なると得するからうつ病になるわけだ"
  • 餌やりおばさんの庭先の野良猫が矢で撃たれる事件 | ブログ運営のためのブログ運営

    https://news.yahoo.co.jp/articles/61987dc311bca8d4b9ce3a8128bc47ba608472da 日テレNEWS 29日、埼玉県熊谷市で、胴体に矢のようなものが刺さったが見つかりました。 警察によりますと、29日、埼玉県熊谷市の住宅で、70代の女性から「野良の体に矢が刺さっている」と通報がありました。通報した女性によりますと、は胴体に10センチほどの矢のようなものが刺さっていましたが、保護しようとしたところ、そのまま逃げたということです。 が見つかった家の住人「なんか体についてるよって。それでよく見たら矢が刺さってた」 女性はこのに定期的に庭でエサをあげていたということですが、29日、庭にきた際に矢のようなものが刺さっていたということです。 警察は、の捜索を続けるとともに、動物愛護法違反の疑いで詳しく調べています。 野良への

    kiyo_hiko
    kiyo_hiko 2023/05/11
    "猫は人間を差別しないので、差別感情がない桃源郷だ。餌やりだけで懐いてくれる。餌がすべてという頭の悪い世界だ"
  • 保護してくれてありがとう? | ブログ運営のためのブログ運営

    YouTuber界隈において、野良を保護したひとに「ありがとう」という風習があるようだ。まず、人間の言葉というのは儀礼的であり、いわば定型的な挨拶と言うか、とりあえずメールの末尾に「よろしくお願いします」と書いたりする。「保護してくれてありがとうございます」というのも、当の意味でのお礼ではなく、定型的な挨拶、と考えることもできる。独自の表現を用いるよりは、定型的な挨拶文の方が無難なのである。ちなみに、現実世界で保護を飼っている人に「保護してくれてありがとう」とは言わないし、YouTuber界隈の挨拶文と考える方がよさそうである。おそらくすべてのへの愛というファンタジーがあるのだと思うが、実際には野良に餌やりする行為と通底している。自分のだけを大事にするのが実は正しいし、自分が飼ってないを大事にしてはいけない。もちろん排泄物のお世話までするのならいいが、たいていは餌やりだけなの

    kiyo_hiko
    kiyo_hiko 2023/04/25
    "9万人の登録者がいる「Hana Channel.保護猫ライフ」というチャンネルでは、おそろしいことに野良猫食堂と称して玄関先で野良に餌をやっている" クソい
  • 少女漫画は遠近感がない | ブログ運営のためのブログ運営

    20世紀後半は男女の性差を否定する時代であった。 女という生き物は社会的に造られたものであり、生まれつきの性差など決して存在しない。 こういう思想がはびこっていたのである。 ようやく、フェミニズム思想のブームが去り、生まれつきの性差を扱えるようになった。 そして指摘されるようになったことのひとつは、女は視野が広いが遠近感がないということである。 女は男より広い範囲を見ているが、距離感が掴めていない。 女の運転が下手糞なのも、運動神経の問題だけでなく、距離感を計算する脳がないのも問題である。 少女漫画の読みづらさも遠近感の欠如の問題である。 「動物のお医者さん」なんか当にひどい。 遠近感が崩壊しているから、キャラの上半身を平面的に並べたような作画になるのである。 少女漫画家でパースがきちんとしているのは稀である。 少女漫画を読むというのは、遠近感がない人間の絵を見るということであり、これは

  • たいていのクズは育ちが悪い | ブログ運営のためのブログ運営

    翌朝カチェリーナは学校に行った。足取りは重かったが、もう怠惰な生活には戻りたくないのである。教室に入ると、ソーネチカはすでに登校していた。他の女の子と楽しそうに話している。グルーシェンカの毒牙に掛かった様子など微塵も見せず、いつも通り品のある立ち振る舞いをしていた。グルーシェンカによれば、近いうちにソーネチカを調教してカチェリーナの寝室に届けてくれるそうだが、カチェリーナは複雑な絶望と欲望で頭を抱えるしかなかった。 やがて昼休みになると、ソーネチカがカチェリーナに声を掛けてきた。 「ちょっとお話ししたいことがあるのです。校舎の外の方、よろしいでしょうか」 「ああ、いいよ」 カチェリーナはやむを得ず立ちあがった。何かしら用件があるのだろうし、聞かないわけにもいかないのだろう。そして二人は裏庭に行った。裏庭と言っても、辛気くさいところではなく、狭苦しくもない。庭師が綺麗に整えた色鮮やかな花壇が

    kiyo_hiko
    kiyo_hiko 2022/12/20
    "やはり育ちというのは重要だ。優れた人間には優れた親がいる。神様が魂を作って人間性を創造したなんて嘘っぱちだ…家庭環境の問題だ。クズ親からネグレクト…ていたわたしでさえ…上流階級の家ではちゃんと勉強"
  • 社会改善への意思 | ブログ運営のためのブログ運営

    われわれは社会改善への意思を持っている。高潔な動機というのではなく、自分の都合としても、世の中が良くなってくれたほうがありがたいからである。では社会改善への意思が人類普遍のものかというと難しく、ロシア人にはなさそうだし、中東の国家でもあまりありそうにない。独裁的な政治を受け入れる国民性の問題もあるだろう。民主的な国家では、支配者と人民が阿吽の呼吸というか、支配者側も批判を甘んじて受けるようなところがあるが、独裁者はそうではないし、批判されれば粛清して終わりである。ロシア人の冷血さの原因はよくわからないが、なぜか共存共栄という発想が弱いようだ。DNAがそうなのか、ロシアという広すぎる大地がそうさせるのか、そこは不明である。プーチン個人が独裁気質だというのもあろうが、それを受け入れてしまうロシア人の性質の問題でもありそうだ。利他的な行動で社会を改善し、それがいずれは巡ってきて自分のためにもなる

  • 「真面目にやれば報われる」という危険思想 | ブログ運営のためのブログ運営

    安倍晋三を殺害した犯人もそうだが、真面目な人間は腐りやすい。真面目にやれば報われるという信念で生きているから、報われなかったときの怒りがとても強く、その攻撃が他者に向かったり、そうでなければ、不貞腐れるだけの真面目系クズになるわけだ。いや、安倍晋三の犯人についてはさすがに背景が極端なので、典型的な事例とは言い難いが、真面目人間の怨みの強さというのはよくある。真面目な人はよだれを垂らしながらご褒美を待っている。ご褒美がなければ怨みを持つ。おそらく性格の評価として「真面目」と言われる人と「温厚」と言われる人の違いである。温厚とされる人は気が長く、ごく自然に真面目だったりする。真面目と言われる人は、フロイト神経症の患者のようで、人参のために走っているようなところがある。なにかしら見返りを求めて頑張っている人は、人生がうまくいかないと、虚空に手を伸ばし続ける壊れた機械のようになり、それが反復強迫に

    kiyo_hiko
    kiyo_hiko 2022/07/17
    "真面目と言われる人は、フロイト神経症の患者のようで、人参のために走っているようなところがある"
  • 高卒は本当に高卒か | ブログ運営のためのブログ運営

    人類に付き物の衣住の貧困は、安っぽいユニクロやそれなりの事や、安い住まいで確保されたように見えるが、やはり高い服や、美味しい事やタワーマンションへの憧れはあろうし、紙屑と塵芥が有象無象として虚空を舞っているからこそ、存在の輪郭を現し格差を識別する位階秩序として高学歴を求め、それが新たな貧困の温床となっている。行き倒れて餓死することはない世の中だが、教育貧困があるらしい。学びたいという欲は、欲や性欲のような根源的な欲求ではなく、学歴を渇望する煩悩であるが、「卒業させてもらっている」のが教育の実態である。高卒の人は、だいたい高校を卒業させてもらっている。高校で高校の勉学など全うしておらず、むしろ退学処分が似つかわしいのに卒業させてもらっている。高卒の学力は中学レベルである。さて、それでは大卒の実態は高卒なのか、というと、そういう側面もあるだろう。当に大学の学問を深く理解するのは難し

    kiyo_hiko
    kiyo_hiko 2022/06/21
    "高卒の人は、だいたい高校を卒業させてもらっている…勉学など全うしておらず、…高卒の学力は中学レベル" / 現代学歴はだいたい稼ぐための方便なので高卒だろうが稼いでしまえば学は大きく問われないはず(高卒 談)
  • 伊藤博文。人生の後半の勉強。 | ブログ運営のためのブログ運営

    伊藤博文といえば、偉人ではあるが、さほど崇敬されているわけでもない。女好きを公言して実践していたので美化しづらいのも理由のひとつだが、秀才エピソードがないところも大きい。まったく神童ではない。だが、伊藤博文くらいに勉強が好きな人間はそう滅多にいないように思える。大人になってからかなり勉強している。後半生の勉学は経歴に反映されないので、どうしても前半だけ机にかじりついて箔をつける格好になりやすい。脳の若さの問題もある。50歳になってから医学部に入るような人もいるが、中途半端な医者になるだけだし、前半に勉強が偏るのは仕方がないところもある。勉強は人生の前半に集中的にやるのがいろんな意味でいいわけだ。人生の後半に勉強しても箔が付かないので、無為の後半生を過ごす暇人が多々いる。出遅れたレースを後から頑張ってもどうせ負けは負け、だから何もやらない、という人がいる。そもそも世の中のエリートのひとたちで

    kiyo_hiko
    kiyo_hiko 2022/05/31
    汎用的な知識/技能なら早く習得する方が長く使えお得感はある。例えば大学行きつつ免許取った人と同じ金額出して今免許取る気がしない。乗れる時間が半減している。勉強の効用も同様、逓減を上回るメリットないと
  • 木村花さんにうんざり | ブログ運営のためのブログ運営

    木村花さんの死は、人間が生きていく苦悩という実存的な課題から遠く離れており、物事の真実ではなく、法的に勝てるかどうかの話になっている。厳罰化を主張しておけば安全という人々の無責任さと相俟って、反知性主義が猖獗を極めている。知性ある人間は刑罰について吝嗇でなければならない。あまりにも阿呆が多いので仕方ないのだろうが、茫漠たる世情である。木村花さんが死んだのは、コロナでプロレス興行が中止に追い込まれたからであるが、これだと誰にも責任を問えない。であるから、誹謗中傷のせいで死んだとしたいのである。これで木村花さんの御遺族が儲かるわけではないと思うし、世論を動かすこと自体に酔ってるのかもしれないが、他罰的思考の見苦しさである。コロナは天災だから罪を問えないので、どうしても人災に話を擦り替えなくてはならないらしい。人生が苦しくて死んでしまいたいという実存的苦悩が等閑に附され、見当違いの勝利を目指した

    kiyo_hiko
    kiyo_hiko 2022/05/19
    "木村花さんが死んだのは、コロナでプロレス興行が中止に追い込まれたからであるが、これだと誰にも責任を問えない。であるから、誹謗中傷のせいで死んだとしたいのである。…他罰的思考の見苦しさである"
  • 自立してない女性の魅力 | ブログ運営のためのブログ運営

    厚生労働省のサイトの統計を見ると、やはり最近は共働きが増えている。「こんな高い価格のマンションを誰が買うのだろう」と疑問に思うことがあるが、共働き夫婦で合算すれば意外と買えるのかもしれない。こうやって専業主婦の割合が低下しているからには、男性から見て社会人女性がさぞかし魅力的なのかというと、そこはわたしにはわからない。古い価値観で言うなら、社会人女性は男性的であり、専業主婦は純粋な女性である。女が学歴をつけると、女としての魅力が下がる。学歴や社会的地位が高い女性にはチンコが付いているイメージである。あるいは一応は社会人でも、古めかしい言い方で言えば腰掛けOLとして寿退社するような女性はいい匂いがする。重役まで行くとなると女として片輪である。こういう古臭い価値観が変わりつつあるからこそ、専業主婦がどんどん減っているのだろう。社会人女性が当に魅力的に見えているのか、それとも、共働きで合算しな

    kiyo_hiko
    kiyo_hiko 2021/12/17
    "そもそも、勉強ができると性的な魅力が下がるのは男性でもそうである。勉強とセックスが相反するという根っこの問題は男女とも変わりがない"
  • 生き残って殺人オリンピックを見る | ブログ運営のためのブログ運営

    少なからずの人が、生死の境を彷徨っている。そして、生きていたらオリンピックを見るということなのだろう。バッハ会長もモントリオール五輪金メダリストだ。頭の中が女と金、そういう梟雄の予備軍が競技を行う姿を観賞するわけである。税金を10兆円使ったら、それは誰かの懐に入るのだし、いいのではないか。世界的疫病における匡救事業としてはまったく的確でないように思えるが、貴族にお金を配れば奴隷に行き渡るという竹中平蔵のご高説もある。殺人オリンピックのせいで土に還る人々もいるだろうが、生き残った民草は、殺人オリンピックを見て、納税者として膏血を啜られるのである。金メダリストはいずれ五輪貴族の旦那衆になるわけだが、この災禍を生き残った愚民はその栄達を見守るのであり、いずれバッハ会長の後継者となる守銭奴が金メダルを首にかけて表彰台に上がる晴れがましい姿を目撃するのであろう。暴走機関車が走れば轢死体が山積みになる

    kiyo_hiko
    kiyo_hiko 2021/06/29
    "金メダリストはいずれ五輪貴族…生き残った愚民はその栄達を見守るのであり…守銭奴が金メダルを首にかけて表彰台に上がる晴れがましい姿を目撃するのであろう" 夢だの感動だの思い出で糊塗しようが実体はこれな
  • 中年男性の若者感 | ブログ運営のためのブログ運営

    年齢相応ではない中年男性というのがいるわけだ。卑近な事例として有村悠さんが思い浮かぶが、有村悠さん(41歳)の話がしたいわけではない。41歳だと痛々しいにせよ、若作りも可能な年齢である。もはやそれどころではなく、50歳代までいったひとの話である。これくらいになっても、まだ年齢不詳な人がいるわけである。50歳代で年齢相応というのは外見的に醜いものであるが、その醜さは避けられないものであり、そうそう美しく年輪を重ねられるものではない。50歳代の男性が美しかったら、其の方がおかしいのである。その不可避である老醜を避けるために年齢不詳なタイプになってしまうのは、別の意味の薄気味悪さがある。こちらとしても接し方が難しい存在となってしまう。年齢が50歳代であれば、いかにもおっさんという方が接しやすい。「成熟していない」という言い方もできるが、年齢と比例して立派な人間になるというのは虚妄であるし、結局は

    kiyo_hiko
    kiyo_hiko 2020/12/16
    "50歳代で年齢相応というのは外見的に醜いものであるが、その醜さは避けられないものであり、そうそう美しく年輪を重ねられるものではない。50歳代の男性が美しかったら、其の方がおかしいのである"
  • 不適応と淘汰 | ブログ運営のためのブログ運営

    熊沢英一郎さんが元事務次官の父親から殺害された事件について、この父親に共感するのは明らかな危険思想である。熊沢英一郎さんは何しろ元事務次官の息子なのだから、どこかしら使い所はあったはずである。東京大学で最上位の頭脳の遺伝子を引き継いでいるわけだ。九州の山奥でガリ勉ロボットとなり、東大に辛うじて合格という具合だとパラリンピックだが、事務次官まで行けるならオリンピックの金メダルである。熊沢英一郎さんが欠陥人間なのは確かだが、その欠陥に着目し烙印を押して疎外してきた社会がこういう悲劇を生み出した。hagexを殺害した低能先生みたいな凶行もあったが、この手の人が現実に刃物を突きつける確率がかなり低いのも確かである。低確率のテロリズムの可能性がある引きこもりのネット弁慶が大量にいるのだから、つまるところ、母数が多いだけの話である。引きこもりが当に通り魔を犯す確率は低いのだが、引きこもり自体が多いの

  • 有村悠さんは歯の神経が全滅 | ブログ運営のためのブログ運営

    https://twitter.com/lp_announce/status/1126201366118932480 これはわたしも以前から気になっていたのだが、有村悠さんは自撮りで決して歯を見せない。精神だけでなく口腔も魔窟のごとく蝕まれていることは容易に察せられたが、恫喝されても怖いので指摘は控えていた。学生時代のがどうこう言っているが、東大入学まで健康優良児だったとは思えないし、欠損家庭は歯も欠損しているという法則通りなのであろう。エリート東大生のキラキラした歯列とは対極的なのである。九州の田舎者の歯がボロボロというとシンナー疑惑も持たれるところだが、典型的な教育ママとガリ勉というか、刻苦勉励して東大合格という経歴からして、それは考えづらい。やはり母子家庭は母子家庭であり、父という頭部がもげた状態で、壊死を待つまでの断末魔として蠢いている。東大に入学すれば薔薇色になると思っていたの

    kiyo_hiko
    kiyo_hiko 2019/05/24
    "欠損家庭は歯も欠損している" / 生まれって大事だわ
  • 成功報酬型の職業の衰退 | ブログ運営のためのブログ運営

    人手不足だと言われるが、消費者が自ら選ぶ時代に対応できてないのだろうと思われる。消費者の求めに従って機械的に対応するのが「単純労働者」として括られて低賃金だからこそ、人手不足ということになる。消費者が自らの判断で選ぶとなると店員は機械的で低賃金だが、押し売りは商品知識が必要で賃金が高いという妙な話である。この無駄な商品知識を取り除かなければならない。変な話ではあるが、商品知識のない店員のほうが(押し売りしてこないから)消費者には望ましいのである。 では、望まれてない職業がなぜあるのかというと、まず旧態然とした法律に守られているからだし、利益構造が成功報酬型だからである。あちこちで疎まれて三振だらけでも、時たまホームランを打てばいいわけである。消費者からすると被弾と言ったほうがいいのかもしれないが、ともかく成功報酬型の職業というのは、昔なら必要悪とも言えたが、ネット時代ではかなり迷惑な存在で

    kiyo_hiko
    kiyo_hiko 2019/05/09
    "オーナー本人が賃貸する場合は現行法でも認められている。これを傍目で見て、果たして不動産屋は必要なのかと思ったわけである"
  • 他人に注意するのはろくな奴ではない | ブログ運営のためのブログ運営

    自然な人の流れに抗って、ルール通りにやるのは思想犯罪者である。多くの人は、人とすれ違う時は自分の右側を空けようとしており、これは利き手の方を空けようという能であろうが、左利きの人間だっているのだし、右利きだってその習性が強く根を張るわけではあるまい。あくまで人の流れを見た上での臨機応変である。この間も新宿駅の階段で、(普段は左側を歩く習性があるからわたしも違和感はあったのだが)進行方向の矢印がなかったので、上から降りてくる人が多いから臨機応変に手すりの右側の狭いところを登ったのである。登ったところに改札口があるのだが、朝のラッシュのときなら満員電車から一気に吐き出された雲霞の如き人の群れが改札口を通過するべく階段を埋め尽くすはずである。ラッシュでないと、改札口から降りてくる人間の方が多いこともあろう。ともかくラッシュの時間帯ではなかったので、改札口から降りてくる人の方がマジョリティとして